95年、西麻布「クイーン・アリス」入社。石鍋裕シェフに師事。99年に渡仏。3ツ星レストランのパリ「ルカ・キャルトン」、ブルゴーニュ「ラ・コート・ドール」、モンペリエ「ル・ジャルダン・デ・サンス」等、計7件のレストランで3年間修行。帰国後は、水天宮フランス料理「ル・ブッション」の料理長を経て、05年、南青山「ピエール・ガニェール・ア・東京」の料理長に就任。現在に至る。
 

フランスの三ツ星レストランの中でも、最もエレガントでアーティスティックなシェフ“ピエール・ガニェール”。次から次へとサーブされる、目にも美しいお料理には思わずため息が出てしまうほど。彼が繰り広げる美食の世界をどうぞお楽しみください。

東京都港区南青山5-3-2
南青山スクウェア4階、RF

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  調理師学校卒業後、私はフランス料理店「クイーン・アリス」に入りました。テレビ番組「料理の鉄人」を見て、凛とした白のコックコートに憧れた私にとって、鉄人・石鍋氏の下で働けることはとても光栄でした。でもあいにくキッチンの空席がなかった。そこで最初はホールを経験しました。腰掛のつもりが丸2年。今、振り返ると、この2年間はじぶんにとってとても貴重な体験だったと思うのです。
  最初は不承不承、ホールに立っていました。でも次第に「自分がなぜ料理人をやりたいのか」が見えてきました。幼少の時からずっと母親の隣で台所に立っていた私は、もともと料理に興味はありました。_高校生の時には、よく友人を招いて料理を作り、友人の喜ぶ顔を見ては、自分のやりたいことはこれだ、思っていたのです。「ありがとう」と目尻を下げるお客様の笑顔は、高校時代の友人の笑顔と重なり、これが僕の料理人としての原点なのだと気づいたのです。
  またホール・スタッフの方が“何のための料理なのか”をよく理解していました。料理人は表現することに必死で、興に入るあまりお客様の存在を忘れてしまうこともあります。しかし象牙の塔では無意味。「自己満足するだけの料理人にはなるまい」と自分に誓いました。こういったことを早い段階で気づけたのは、本当に良かったと思います。
  2年後、念願のキッチンに異動になり、皿洗いから再スタートです。でも、一度だけ実家に帰ろうかと自暴自棄になったこともあります。それはキッチンに入って間もない頃。毎日の睡眠時間は3時間。過労で意識もおぼろな毎日。「25歳で渡仏し、30歳で有名レストランのシェフになる」という学生時代からの夢を僕は完全に見失っていました。仕事が忙しすぎて、まかないも一日1回しかとれず、しかも立ったまま飲み込むような休憩でした。
  そんな時、北海道で料理フェアをやる予定の石鍋さんが、僕に声をかけてくれたのです。「お前、確か北海道出身だよな。一緒に行くか?」。雲の上の人からの思いも寄らない優しい言葉。僕の出身地を覚えてくれていたとは…。ちゃんと見ていてくれているのだ!
  緊張しながらも、先輩方に付いてフェアの手伝いをしました。といっても、当時の僕はまだ包丁も満足に使えず、やったことと言ったら掃除や後片付け、そして挨拶ぐらい。それでも後日、「石鍋さんが、お前のことをほめていたよ」と人づてに聞くと、「僕のやるべきことは料理だけではないのだ」と胸が熱くなりました。
  これ以来、希望を取り戻し、“25歳渡仏“に向けて着々と準備を始めました。まずは資金の準備。会社の経理の人に頼んで、給料天引きで財形貯蓄をはじめました。毎月わずかな手取りで何とかやり繰りしました。それを知った石鍋さんは、通常、退職金を出していないにもかかわらず、僕の退職時にだけ特別に退職金を支給してくれました。

  そしていよいよ念願の渡仏。フランスではまず食材の違いに衝撃を受けました。最初の店はブルゴーニュにあるレストランでしたが、エスカルゴ(かたつむり)は毎日新鮮なものが木箱に入れて届けられ、殻から身をそぎ落とす作業からはじまりました。鳥も毛付きのままキッチンに届けられるのです。これらの素材を生かすために、バターを控え目にし、ジャガイモのでんぷんでソースにとろみをつけていました。一言にフランス料理と言っても、店によっていろんなやり方があったのです。
国民性も違いました。勤勉な日本人とは対照的に、フランス人は仕込み中もおしゃべり。時間にもルーズでした。出しっぱなしにしている肉を発見することもあり、下っ端ながら僕はハラハラして見ていました。しかし店がオープンすると、彼らはたちまち別人に変わる。真剣な面持ちで、もし皿に指紋ひとつでも付いていたりするものなら、怒り狂ってしまうのです。フランス人のプロ意識は本当にすごいですよ。だから彼らは強い(笑)。彼らは僕たちよりも、心の切り替えが断然上手いのです。
さて帰国してからしばらくすると、信じられないことが起こりました。パリの一流レストランを経営する有名シェフ、ピエール・ガニェール氏の店で(シェフとして)働かないかと、知人に紹介されたのです。彼が近々、日本に出店するらしいことは僕もうわさで聞いていましたが、僕にすれば青天の霹靂。調理学校在学中に、研修にいったレストランの雲の上のシェフから声がかかったわけですから。「もしかしたら僕は、このために今までやってきたのかも…」と過去を振り返りました。なぜなら当時の僕は30歳。シナリオ通りに突然夢が叶った瞬間でした。
  ガニェール氏に僕はよくこう言われます。「お前、いつも笑っているな。その笑顔が一番大切だ」と。周囲によれば、死ぬほど忙しい時でも僕は笑顔らしいです(笑)。オープン前で店に緊張が張り詰めた中、僕は一人「大丈夫、何とかなるさぁ。一日は必ず終わりが来るんだからさぁ」と楽天的。
  なぜなら、グランメゾンたるもの、優雅で上品な空間を提供して当然だと思うからです。もしスタッフが気をもめば、お客様にも必ずそれが伝わってしまう。僕もホールを経験したことがあるので分かるのです。帰りにお客様が笑顔でエレベーターに乗られ、扉が閉まる瞬間、頭を下げたスタッフからはようやくため息が漏れる。この時の満悦の表情こそ、隠せるものではありませんよ(笑)。

 
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