1952年東京都新宿生まれ。六本木「イル・ド・フランス」でフレンチの世界へ。1976年、1989年にフランスに渡り、アルザスの3つ星レストラン「クロコディル」や2つ星レストラン「シリンガー」などで腕を振るう。帰国後「オー・シザーブル」など複数のレストランでシェフを勤め、1994年に「ル・マンジュ・トゥ」のオーナーに。1996年から自らがオーナーシェフとなり現在に至る。
 

1994年オープンの一軒家スタイルフレンチレストラン。木の扉を開けるとオープンキッチンからシェフが笑顔で迎えてくれる。2階がシンプルで落ち着いた雰囲気の14席のダイニングとなっている。写真はフォワグラと鴨肉のテリーヌ。鴨のもも肉の塩漬けを鴨油で柔らかくなるまで煮込みほぐし、ミンチにした胸肉などと合わせソーセージを作り、さらに鴨油で煮込んだもの。この味に行き着くまで10年の歳月を費やしたという。

東京都新宿区納戸町22

 
 
 

  何も知らない自分、何もできない自分…。東京生まれの格好つけだから絶対人には弱味を見せないんだけれど、これまでの仕事人生の殆どの時間、コンプレックスとの闘いだったと思います。やっと開放されたのは45歳の時。旧知のフランス料理のシェフの一言を聞くまでは、料理人として自分をどう自己納得させるか、毎日必死だったんです。
  「お前将来どうするんだ?」。もう蛇に睨まれた蛙状態でした。職業軍人の父の前に正座した僕は、高校卒業を目前にしながらもやりたいことがなかった。友人が言っていたのを思い出して、口からでまかせです。「料理人になりたい」。次の日、調理師学校の願書が机の上に置いてありました(笑)。
  調理師専門学校の入学と同時に、六本木の「イル・ド・フランス」でアルバイトをすることになった僕は、本格的にフランス料理の世界で生きていくことを決意します。何しろフランス人シェフが格好いい、フランス語が格好いい。そしてレストランは社交場として完璧な空間が作られていました。当時は東京でもフレンチレストランは20軒ほどしかなく、どこも楽しみ方を知っている大人が集う場所でした。こんな粋な世界があったのか…。
  それまで家庭の味しか知らなかった僕は、プロが作り出す料理、レストランという独特の空間、その世界観にはまっていきました。2年間の専門学校との両立を含め6年間「イル・ド・フランス」で働き、パリへ。しかし1976年、24歳での渡仏は挫折の連続でした。何しろ調理場では対応できても生活用語が話せない。ヒューズが飛んでもその状況を伝えるのに一苦労。そんな状態ですから生活そのものがうまくいかない。打ひしがれて日本に帰ってきたんです。東京では一度も感じたことがなかった挫折感。この体験がトラウマのようになり、その後コンプレックスと闘い続けることになります。

  再渡仏は37歳の時。複数のレストランでシェフを勤めるなど経験を積み重ねる中で、やはりフランスの2つ星、3つ星レストランといったいわゆるエリート集団の中に身を置いて、そこで戦える自分なのか確認する必要があるだろうと考えたんです。アルザスの「クロコディル」を皮切りに、星のつくレストランを回りました。
  この時実感したのは、エリート集団と思っていた世界が意外とそうでもないな、ということ。つまり「歯車としてなら自分は充分にこの世界でやっていける」と認識したんです。しかし料理は自己表現の場です。歯車ではなく“ピンをはれる実力”をつけなければなりません。フランス料理の世界に入って約20年が経ち、様々な店で重要なポジションを任されてはいましたが、僕はこの時点でもまだ形のないコンプレックスを抱えていましたし、それをどう自己消化したらいいかいつも悶々としていたんですね。この世界でこれからもずっと闘っていけるのか。不安は消えることがありませんでした。
  それでも人生は続きます(笑)。やっとそれまでの呪縛のようなものから開放される出来事が起こるのは、「ル・マンジュ・トゥ」のオーナーシェフになった翌年のこと。それは古くからの知り合いであるシェフが訪ねくれた時のことでした。「谷さん、同じ匂いがするね」。素朴な人柄と同じボソッとしたつぶやき。22歳から11年間フランスで修行を続け、現在では日本のフランス料理の頂点で仕事をする彼のこの一言を聞いた瞬間、僕はやっと同じ土俵に上がっていたことに気づかされ、長年のコンプレックスが消えていくのを感じました。45歳になっていました。本当に嬉しかった。
  僕は料理人は食通である必要はないと思っています。素材単体の味に料理という化学変化を起こすとどういう味になるのか、その情報量をいかに多くインプットしているか、また瞬時に順列組み合わせができるか。それがプロの料理人に必要なことなんだと思います。感性ではなくロジックで勝負する。友人シェフの一言で、その料理人としての在り方は間違いではないと確信できました。

  紛争地帯にはないレストラン。つまりレストランは平和の象徴です。そこで仕事ができることに、まず私たちは感謝しなければならないと思います。
  そしてレストランは“レ・ストレス”。ストレスを解きほぐす場所ですから、最初は美味しい料理目当てに来てくださるのかもしれませんが、サービス、スタッフとの会話など、一つの箱トータルでお客様に愛されてこそ繁栄すると考えています。食べるため、生きるために必須の場所ではない。だから私たちは頑張らなければいけない。
  挫折やコンプレックスと闘ってきた私がこの仕事を続けてこられたのは、会社や先輩とではなく自分自身と闘ってきたからです。現在、店のオープン時間は18:30でラストオーダーは21:00。それでも店に泊まり込んで仕込みを続ける日常です。遊びもなく常に緊張感から解き放たれることはありません。しかしお客様の期待以上にお応えするためには、このスタイルを崩すわけにはいかないのです。毎日考え、毎日新しいモノを生み出す。その仕事をお客様が楽しみにしてくださっています。頑張っていれば確実にご褒美があります。
  間もなくウチの2番手がフランスに行くのですが、彼に会うために週2回通ってくださるお客様がいます。スタッフのサービスに感謝のお手紙をくださるお客様がいます。56歳の私をまだまだ小僧だと叱ってくださるお客様がいます。そういうみなさんに支えられている「ル・マンジュ・トゥ」は、多くのお客様が「今日は本当に楽しかった」と言って帰られる。これこそレストランの醍醐味です。その醍醐味をいつもいつも味わいたくて、今日もお店の屋根裏部屋で睡眠を取ります。