私が初めて飲食の世界に入ったのは高校の時でした。といっても喫茶店でアルバイトとして働き、料理を少し作った程度でしたけれど。それでもお客様からのダイレクトな反応が得られ、飲食業は本当に魅力的な仕事だと感じることができました。
当時、私が作ったのは、教えられればアルバイトでも作れるような簡単な料理ばかり。なんだかそれがくやしくて「やるんだったら誰もが簡単に作れるものではなく、本格的な料理を作りたい」と思い、ある日、喫茶店のオーナーに相談してみました。その時オーナーから紹介してもらったのがたまたまフランス料理界の人でした。
当時のフレンチはまだ一部の人だけが楽しむような敷居の高い料理で、私の中には「フレンチの道に進みたい」といった具体的な想いはありませんでした。料理の楽しさを追い求めていたら、たまたまフレンチというカテゴリーに達したという感じでした。紹介された店で2年間勤務し、まずフランス料理の基礎を学びました。
その後、さらに極めたいという思いから、東京・銀座の名店「La Promenade(ラ・プロムナード)」で働きました。本格レストランならではの厳しい現場修行がスタートしました。最初は、鍋洗いなどの一番下のポジションからスタートしたので、シェフはとてもまぶしい存在でした。フランスから帰国したばかりのシェフは雑誌などにも頻繁に取り上げられていたのです。その時、「シェフという仕事は、こんなに格好いいのだ」と憧れ、自分なりの“シェフ像”が出来上がったのだと思います。
フランス料理の知識が身についてくると、次第に「フランス料理を追求したい」から「シェフになりたい」に変わってきました。私の場合、25歳を過ぎたあたりからこう意識するようになりました。今の人たちもこんなふうに気持ちを切り替えていくことが大切です。ただ料理を地道に追及するだけではなく、「シェフになりたい、そのためにはどうしたらいいか」と目標を実現させるための具体策を見つけることが重要なのです。僕の場合は一日一つのフランス語を覚えることを実践していました。
その後、27歳で渡仏。三ツ星レストランの「La Cote D'or(コートドール)」などで修行し、フランスの食材や文化に触れ、29歳で帰国しました。当時の私はひらめきさえすれば自分の料理をメモするようになっていました。気になった料理に出会うと、それに自分なりのアレンジを加えながら、レシピだけではなくイメージ画まで描いていたのです。そしてそれらの料理を早く実際に提供してみたいと思っていました。
私が大切にしていたのは“自分を表現すること”。もはやフランス料理というカテゴリーにこだわる必要もなくなっており、帰国後は友人が経営するイタリア料理店でシェフとして働くことにしました。そして念願のシェフという立場になると、そこから見えてくる視界もまた変わってきました。数字の管理や人のマネジメント、お客様への対応なども視野に入るようになってきたのです。
振り返ってみれば、喫茶店で働いていた頃から約10年が経っていました。「誰でも作れるような料理ではなく…」という思いが私の料理人としての人生をスタートさせたわけですが、10年たってようやく自分らしさを追求した料理、つまり“オンリー・ワンの料理”を表現できるようになったのだと思います。
その後、世界中で賞賛されている米国ロサンゼルスのグランシェフ クロード・セガール氏と出会いました。私は彼の熱意にひかれて、この店「L'Alliance(ラリアンス)」で勝負しようと決心しました。10歳以上年上の彼と一緒にいると、料理人としても人間としても、非常に得るものが大きいです。
僕から見た彼の料理はとてもクラシカルで、そこに私の感性をプラスしています。現代的な変化球やアクセントを加えるには、実はクラシカルな料理を知らないととても難しい。だから私にとって彼の存在は大きいのです。伝統に裏打ちされたフレンチの技法をしっかり理解しているからこそ、初めてヌーベルキュイジーヌが生まれてくるわけで、それがないととても薄っぺらな、“にわかフレンチ”になってしまうのです。
先日、幸いにも当店が「ミシュラン東京2008」で紹介されました。ますます躍進したいと考えているところです。現在の私のテーマは“素材感をもっと強調していくこと”。今は“食材の時代”ですからね。例えば、塩はマグネシウムなどの含有量によって微妙に味わいが変わり、料理の味も変えていきますね。それを店のスタッフやお客様に伝えていきたいと、日々胸をワクワクさせながら取り組んでいます。