1956年埼玉県生まれ。19歳で料理人を志し銀座の高級料亭に入店。その後“世界一の食材が集まる銀座”の複数の日本料理店で修業を重ね、28歳で独立。東京三田にワインで日本料理を楽しめる店『菱沼』をオープンする。2005年、店舗を六本木に移転。著書に「子供と一緒にメシ炊け!だしとれ!食育道場」などがある。
 

旬の素材を豊富に使った四季折々の料理が楽しめる店内は、和の食器を収納するガラスケースや彩色版画が効果的に飾られ、それらを照らす間接照明によってゆったりとした時の流れを演出している。「食を通して社会のニーズに応えたい」というオーナー料理長は、高齢化や少子化に対応するサービスにも敏感。バリアフリーを実現し、子供の食育につながる料理も提供している。客席からは磨き込まれた厨房とそこで働く料理人たちを見ることができ“確かな仕事”を実感させてくれる。

東京都港区六本木5-17-1
アクシスビルB1

 
 
 

  テレビドラマの主役は、逆境に陥れば陥るほど歯を食いしばって頑張っていくでしょう? 私たちの人生もそれと同じだと思うんですよ。たとえ自分が修業の身であって、周りにいる人たちがオーナーやシェフであっても、主役はあくまで自分。そして主役は困難に出会った時あきらめたり、ふて腐れたりしてはいけません。ドラマになりませんから(笑)。「自分が人生の主役なんだ」という認識を持って仕事に取り組む。すると何をすべきかが見えてくるし、今この瞬間の一分一秒を精一杯頑張ろうと思えてくるはずです。
  私の幼少時代は、手作りというのが本当に身近なものでした。遊び道具、そして食べる物。春になれば近所で摘んだヨモギで草餅を作り、夏に川遊びをしては鮎を採って塩焼きにして食べる。蕎麦やうどん打ちも母親がやっていましたし、それは決して特別なことではなくどの家庭にもあった日常の暮らしだったんですね。特に料理は季節感があり色彩的にもとても美しかった。モノ作り全般が好きだった私が職業として料理人を選び、日本料理を選んだのも、そうした記憶が鮮明に残っていたからだと思います。
  もちろん、食に対する思いは元来周りの友達などよりも強かったのだと思います。例えば同窓会などで昔話になると、給食にどんなものが出てどんなものが好きだったか私はどんどん思い出していく。けれども食に興味のない人は覚えていないんですね。結局私は、自分の執着があるもの、自分に似合う職業に就いたんだなと思います。
  そんな私の料理人としての第一歩は、銀座の料亭。叔父がその店の常連客であったことから「料理人を目指すなら一流の場所で学べ」と紹介してくれたことがきっかけでした。高校を卒業後、浪人生活1年目に入った時に決意したことでした。

  叔父の紹介で銀座の料亭に入った私は、住み込みで仕事をすることになりました。もちろん最初は誰もが経験する“追い回し”。洗い場、お運びと飛び回り、とにかく一日の殆どを仕事場で過ごすという忙しい毎日でした。
  しかしこの仕事のよいところは、できればどんどん仕事を任されていく実力の世界であることです。日を追うごとに盛り付け、焼き場、さらに重要ポジションへとステップアップしていく環境は、私にとって非常にやりがいがあり楽しいものでした。
  また私は、この世界に入った時から「30歳までに自分の店を出そう」と決めていました。目標があったせいか、仕事を辛いと感じたことは一度もないんです。それより「独立するためにしておかないことは何だろう」と、常に課題を見つけては消化するという毎日を過ごしていたと思います。「できるか、できないか」それで仕事を任される範囲が決まってきます。料理の予習をし復習をする。先輩の仕事ぶりや本などを通して日々勉強する。そんなふうにして自分ができることを増やしていきました。
  最初に入った料亭は22歳まで働き、その後やはり同じ銀座で複数の店を経験しました。独立開業を考えると、店の規模や仕事の進め方など環境が異なる複数の店を経験することが役立つという考えもありました。「様々な経験を踏襲して自分のやり方を見つけよう」。実に貪欲な修業時代を過ごしたと思います。

  修業時代から将来の独立に向けて準備をしていた私は、少しづつ気に入った器を集めるなどの他、お客様との関係構築も大切にしてきました。「自分が開業した時に来ていただけるお客様を作りたい」。そう考えていたからです。
  実際私は、洗い場の頃から“私を支持してくださるお客様”を作りはじめていました。例えば一生懸命仕事をしていると、年輩の常連のお客様などが声をかけてくださいます。そんな時は欠かさずにお礼の手紙を出すようにしました。すると次に来店される時も気にかけてくれ、必ず様子を覗いてくださるのです。
  試飲会やパーティーなど外部の勉強会やイベント事にも積極的に出掛けていきました。特に長靴姿で参加した時は効果的でした。「なんだその格好?」と年長者が声をかけてくださるんです。そうなるともうこっちのもの(笑)。「休憩時間に抜けてきました」と自費で作った名刺を出して挨拶すると、「熱心なヤツだ」「面白いヤツだ」と思っていただけるようで、後日必ずお店に来ていただけるわけです。
  もちろんそうした行動は、自分のためだけになるものならば否定されてしまいます。しかしお客様から支持される従業員がいることは、お店にとってもありがたいことです。いわゆる追い回しの頃から応援してくださったお客様は、私がお店を移っても、独立しても、私の固定客としてずっと応援してくださいました。
  必死に働く若者を応援しない大人はいません。どんな仕事であっても、どんなポジションであっても一生懸命に取り組みお客様とのコミュニケーションを大切にしていく。そうして私は、人との確かな関係を積み上げていきました。

  独立に際して当初考えていたのは「15席くらいのお店」でした。しかしいざ具体化してみると、この規模だと継続なビジネスになりにくいことが分かりました。「常に満員の状態であっても高い客単価設定にしなければ回転しない」。これでは自分の主義主張を通せないし継続経営に無理があると思ったのです。そこで再度計算をし直し行き着いたのが「25坪、マックス40席」の規模でした。
  実はこの規模だと、かかるコストをそれほど変えずに店を構えることができるのです。そして満員の日もあればお客様の少ない日もある。常時50%の回転率で損益分岐点をクリアできるため、継続的な経営が可能だということが分かりました。そうして「ワインで日本料理を楽しんでいただく」をコンセプトとした「菱沼」は、東京三田でスタートを切りました。
  2005年に21年間営業した三田から六本木に拠点を移したのは世の中の流れ、時代が求めるニーズに対応したサービスにより注力するためです。例えば少子化・高齢化など時代は確実に変化しています。しかしそれは、ある意味私たちにとってビジネスチャンスだとも考えられます。バリアフリーにしてお客様をお迎えする、持病のある方にも安心のお食事を提供させていただく、お子様連れでも気軽にいらしていただき素材を生かした確かなものを召し上がっていただく…。六本木という便利な立地を生かすことでお客様を広げるという狙いもありました。
  さて、仕事は私にとって人生を楽しく有意義に生きるためのものでもありますが、みなさんにとってはいかがでしょうか? 何か困難にぶつかった時、辛いと感じる時、ぜひ「人生の主役は自分だ」ということを思い出してください。そうすれば必ず前向きな発想ができるはずですし、一期一会を大切にできるはずです。