割烹料理の名店『乃木坂 神谷』、八重洲『岡ざき』を経て独立。'03年に神楽坂『石かわ』の暖簾を掲げる。器にも造詣が深くワインにも力を注いでいる。昨年12月、神楽坂・毘沙門天裏に新店舗を構える。
 

老舗や名店が点在する神楽坂で、もっとも勢いのある割烹料理店である。'03年に暖簾を掲げ、以来多くの顧客に愛されてきた。店主の石川秀樹氏は、築地や各地の生産者から集める最高の食材を用い、真剣勝負で本物の美味しさと向き合うことを身上としている。その弛まぬ思いを表すのが、旬を映したコース料理。長年収集してきた器で供される料理は、素材の輪郭がはっきりと際だつ仕上がりに。創意工夫を怠らず、それでいて日本料理の醍醐味を感じさせる美味は、思いも寄らない感動をもたらす。

東京都新宿区神楽坂5-37高村ビル1F

 
 
 

  飲食業界に携わる人間としては珍しいタイプかもしれませんが、私はもともと人と話すのがあまり好きではありませんでした。その点、料理人は口より腕の良さで勝負する世界。そこで22歳の頃、アパレル会社が運営する日本料理店に入ったのです。
  それまでは流行服を身にまとい、髪型も料理人らしからぬもの。社長の「そんな頭じゃ、まず無理だよ」のキツイ一言で自ら頭を丸め、以来このスタイルを続けています。
  そこは日本料理店でしたが、バーを併設したちょっと風変わりな店でした。若者らしいミーハーな気持ちも働いて「何か面白そう」と軽いノリで門を叩いたのです。親方はとても気さくで、人間味ある人でした。スタッフをよく食事にも連れて行ってくれました。「世の中にはこんなに温かい場所もあるのだな」と人柄にとても魅せられました。ただ今振り返ると、この時はまだ、料理に情熱を注いでいなかったように思えるのです。
  その後は親方の言うまま、約13の店を転々としました。20代半ばになると、はじめて自分の下に人がつき、人の上手な動かし方に頭を悩ませました。如才なく指導できれば、全体の仕事を半分の時間で終わらせることも可能であることを知りました。
  そんな私にも転機が訪れました。東京・乃木坂の「神谷」で修行を始めたからです。それまでは仕事として料理をしていたので、美味しいものを作っているという自覚は希薄でした。当時は「煮方」を担当していましたが、親方の言うことを完璧にこなすことが当時の私にとってはゴールだったのです。
  でも、さまざまな店を食べ歩くようになると、「美味しいってすごいことなのだ」と開眼。それ以来、自分がおいしいと思える料理を目指すようになりました。
  そこで一念発起。まず部屋にあるテレビなどの一切の娯楽用品を実家に送りました。仕事が終わって帰宅すると、どうしてもテレビなどを見てうとうとしてしまうからです。部屋には料理関係の本以外は置かないようにし、24時間、自分を“料理漬け”にしました。これが人生の大きなターニングポイントになりました。
  その頃から日本文化や器にも興味がわき、さまざまなタイプの焼きものや作家ものの器を手にとりました。しかし知識が身につくほど感性は鈍ってくるような気もしました。現在では、作家名や焼き方などの情報を頭に入れずに、第一印象で自分の感性に訴えてくるものをセレクトするようにしています。

  「神谷」の後は埼玉の料亭で料理長として働きました。初めての料理長、つまり自分が親方。これまでは親方が最終的においしいかどうかの判断をしていましたが、今度は自分が判断する側です。私は意気揚々とこれまでの集大成を表現しました。しかしお客様は満足しなかった。立地が変われば客層も変わる。時代が変われば求められる味も変わる。これまでの味が通用しなかったのです。
  五里霧中の私は、思い切ってこれまでの自分をリセットすることにしました。ポン酢ひとつにしても、親方に教えてもらった方法を踏襲するのではなく、ゼロから自分で調味料を独自に配合して考案しました。「なぜ美味しいのか」の理由が見つかるまで試作を重ね、納得できるものだけを提供したのです。アイディアのネタ帳がボロボロになる頃、オリジナル料理がようやく出揃いました。時間はかかりましたが、この時に“自分ブランド”を確立できたからこそ、今があるのだと思います。
  おいしさのゴールイメージを頭の中で構築し、その味に近づけていくための方法を探る。これが私たちの仕事だと思います。だから料理人の仕事の8割は食べること。残りの2割は、出来上がったイメージを現実世界に再現するだけなのです。日ごろ私が店のスタッフに「何を食べても良いから、どんどん食べろ」と口酸っぱく言っているのはそのためです。私も本当に美味しいものを沢山食べることで人生の転換期を迎えましたからね。
  当店では「このお皿にはこの料理を」というルールを決めていません。決まっていればスタッフは自分で考えることを放棄してしまうでしょ? 私が教えることを鵜呑みにするのではなく、完成品を自分の舌で確認して、自分なりに吟味して欲しいのです。もちろんこの店は私の店だから、いまは私のやり方で統一しているけれど、将来自分の店で、私とは違ったやり方で料理を提供することがあってもいいのです。個人的な意見ですが、「親方が絶対」という時代は終わり、個の時代に突入しているのだと感じています。
  「石かわ」は2007年に移転し、装いも新たに再出発しました。店舗はシンプルさを徹底的に追求しました。逆に言えば、長年通うほど味わいが増してくる洒脱な店を目指しています。これらも“日々是勉強”でまい進していきます。