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第102回 株式会社ケーズネットワーク 代表取締役 山友浩司氏
update 10/02/09
株式会社ケーズネットワーク
山友浩司氏
株式会社ケーズネットワーク 代表取締役 山友浩司氏
生年月日 1965年5月生まれ。大阪府吹田市出身。
プロフィール 実家は和菓子屋を経営。5つ下の弟が一人。高校3年の時、初めて「マハラジャ」でアルバイトを開始。以来、14年間、勤める。独立後は、カラオケ店「ハリウッドスター」をはじめ、鍋料理専門店「Ma〜なべや」を出店(09年11月現在14店舗)。08年7月には千葉「みなと」駅近くに本社ビルを建設。同ビル内に「オーシャンテーブル千葉港店」等を出店。同地区の再開発に弾みがつくと期待が寄せられている。
主な業態 「Ma〜なべや」「オーシャンテーブル千葉港店」など
企業HP http://www.ksnetwork.com/

高校生から「マハラジャ」でアルバイト。大学3年生で正社員に昇格。

80年代、ディスコブームが巻き起こった。このブームで生まれた高級ディスコチェーンが「マハラジャ」である。1982年、大阪ミナミに誕生した「マハラジャ」は、またたく間に全国に広がっていく。タキシードを着た「黒服」が、憧れの対象となるのもこの頃。今回、登場いただく株式会社ケーズネットワーク代表取締役、山友浩司も、この黒服を経験した一人。アルバイトから正社員になり、やがて営業本部長に上り詰めていく。だが、ブームが永遠に続いたためしはない。山友が営業本部長に昇格した頃には、すでにブームは終焉に向かっていた。

山友は1965年5月、大阪府の吹田市で生まれる。ちょうど吹田市で万国博覧会が開催された年だ。実家は、和菓子屋を経営している。山友は小学生の頃からサッカーを始め、中・高と一貫してサッカーを続けている。「マハラジャ」と出会ったのは、高校3年生の冬。スーパーのアルバイトで知り合った先輩に誘われ、京都の「マハラジャ」でアルバイトを始めたのがきっかけである。「昇給が良かった」と山友。50円、100円単位でアップしていったそうだ。大学進学後も、働き続けた。代わりに授業にはほとんど出ず、結局6年間、大学生活を送ることになった。しかも大学3年の時には、正社員になっている。「当時、黒服という役職がもてはやされていた。この黒服になるには正社員にならなければいけなかったんです」と山友は、正社員になった理由を語っている。

3年間で全国を一周。経費を削る旅を続けた。29歳の頃のこと。

日本中をディスコブームに巻き込んだ「マハラジャ」でもあったが、次第にブームに翳りが見えてくる。業績が低下し始め、前半に「しゃぶしゃぶ」(時間別のレストラン営業)をやり、夜にディスコという2業態を同一店舗で営業するようになった。一方、山友は、大阪店の責任者となった後、東京の本部に異動するなど、「マハラジャ」の中枢へと昇格していく。「私が東京に異動した頃には、すでに、かなり厳しい状況に陥っていました。その状況下で、建て直し又は撤退の見極めのために次々と違った店舗に派遣されていくのです」。山友、29歳の時である。

前橋、浦安、札幌、鹿児島、岡山、千葉と3年かけて全国を一周した。「いずれの店舗でも、経費をゼロから見直しました。寮を廃止したり、メンテナンス費用を削ったり。とにかく損益を成り立たせるために、削れる経費はドンドン削りました。そうでもしないと、店を閉めざるをえないからです。でも、私がいる間は良くても、その後にやはり利益が上がらず閉鎖したと聞かされたり、やるせない思いをしたのも事実です」とこの3年間を振り返っている。しかし、山友にとっては貴重な経験を積んだ3年間だったともいえる。徐々に幕を閉じていくブームを少しでも先に延ばそうと必死に戦った、その経験がいまに生きているからだ。

「ハリウッドスター」を引き継ぎ、独立を果たす。

32歳。山友は、独立を決心する。「マハラジャ」のオーナーから、同店の系列だった「ハリウッドスター」(大型のカラオケ店)を譲り受けた。「千葉にあった160坪のお店と大阪にあった100坪の店です。家賃と、それとは別にロヤリティーを支払い、リース店舗としてスタートしました。当時は、リストラをやりながら、団体客を集めるなど徹底してテコ入れしていったんです」。

既存店舗を引き継いだのだから、恵まれた独立といえなくもない。しかし、けっして業績の良い店舗ではなかったようだ。千葉と大阪、この距離も問題になる。山友にとっては体がいくつあっても足りないと思えたのではないだろうか。これが1998年のこと。この後、2000年7月にオリジナル業態である鍋料理専門店「Ma〜なべや千葉店」を出店、同12月には広島県福山市に、同じく「Ma〜なべや福山店」を出店していく。当初、6名程度だった社員数も、徐々に拡大していくのである。

「明日がある会社」は、いま「何年先まである会社」に成長できたのだろうか。

「明日のある会社」、山友は、設立時にそう考えたという。未来を望みながら、地に足をつけた展開を行う。「マハラジャ」での教訓が胸にあったのだろう。社員たちにも、明日を見せ、続けてきた。「店がしっかりしていれば、会社が倒れても店は継続できる。だから社員には商売人になれといっているんです」。早いうちから、キャリアアップも明確にしてきた。「入社2年は、定期昇給が行われます。2年後にはセカンドという料理長や支配人の立場になる。セカンドの次がトップという店長クラスの役職です。セカンドからは業績連動型の給与になり、年間300万円程度差が出ることもあります」と山友。業績をはっきりと給与に反映させることで、やる気を引き出し、一方で贅肉のない筋肉質の組織づくりを行ってきたというわけだ。その組織は、設立から10年でかなり強化された。見晴らしも良くなっているに違いない。

3年ほどの準備期間を経て、本社ビルが完成したのは2008年だ。「ケーズリゾートビル」、1・2FにCPCオーシャンテーブルというレストランを併設するこのビルは、経済紙でも取り上げられている。JR千葉みなと駅周辺の再開発に弾みがつく、という視点から記事は作られていた。間近に海が迫る眺望は、店名の「オーシャンテーブル」にふさわしい。その見晴らしは、ケーズネットワークの未来ということもできるのではないだろうか。

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