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第1022回 オーシャンリゾート株式会社 代表取締役 足立嗣朗氏
update 24/07/12
オーシャンリゾート株式会社
足立嗣朗氏
オーシャンリゾート株式会社 代表取締役 足立嗣朗氏
生年月日 1976年7月9日
プロフィール 札幌大学卒。友人たちと起業し、携帯電話の販売会社を設立。1年後、会社を離れ印刷会社に転職。業績を拡大するために1人、奮闘するも経営層と意見が合わず、35歳で独立。ふたたび、仲間とIT関連会社を起業。そのあと、福岡のソウルフードの「もつ鍋」を札幌で展開すべく、もともとの携帯会社のその後である、オーシャンリゾートに資本参加。社長に就任する。就任後、今度は大阪のソウルフード「串カツ」をスタート。2024年現在、串カツブランド「恵美須商店」を8店舗をはじめ、テイクアウトのからあげ店など合計11店舗を展開している。
主な業態 「恵美須商店」「近江焼肉ホルモンすだく」「ガリとあガリ」「カタオモイ」他
企業HP http://www.ocean-resort.biz/

舞台は北海道、札幌。

出身地である伊達市は室蘭の近くにある。近くと言っても、北海道は広い。札幌からと比べて、近いということだ。ただ、すぐに札幌に移り住んでいる。父親の転勤で、実は福岡で暮らしたこともある。
スキーは当然、小学校から。冬には毎日山に通ったと言っている。
さて、今回インタビューに登場いただいたのは、オーシャンリゾート株式会社の代表取締役、足立嗣朗さん。スキーを始めたのは父親の影響で、小学6年生まで続けている。
札幌の少年たちにとって、スキーは身近なスポーツすぎた。
「大会にでる子もいましたが、中学くらいになると違ったスポーツもしたくなる。私はバスケットボールをはじめ、こちらは高校でも続けました」。
同じバスケットボール部でも、中学と高校ではまるで風景が違ったそうだ。
「中学はむちゃくちゃ校則が厳しい学校で、私自身、反抗期だったんでしょうね。大人は敵だ、って(笑)。もちろん、部活動も同様です。でも、高校は真逆で、自由な校風で、クラブの先輩らも優しくて」。
時には先輩たちと遊びに行った、と笑う。
「私たちの頃はベビーブームで、高校受験も大学受験も就職もそうですが、とにかく倍率が高い。私は、このあと札幌大学に進みますが、今だったら東京っていう選択もあったかもしれません」。
東京に行けば、競争はもっと激しくなる。
「大学ではバイト一本です」。
バイト先はホテルのビアホール。
「やたらと出勤できないかって電話があって、最高、月間27日バイトしています」。
素直な性格なんだろう。4年間続けている。
ちなみに、バイト仲間でグルメサークルを立ち上げて食べ歩いている。これは、今でもいい思い出。

社会は、思い通りにならない。

「当時、札幌って携帯電話をもっている人がまだ少なかったんです。私の中学時代のともだちが、携帯電話のセールスプロモーション会社を起業します。私も参加し、仲間10人でスタートしました。業績は悪くなかったですね。私も月50台くらいはセールスしていました。ただ、1年くらいでだんだんセールスが厳しくなる。飽和状態って奴ですね。そうなると、別の事業を始めなければなりません。その時、私と創業者の友人の間で方針が合わなくなって、私はいったん会社を離れます」。
足立さんは、そのあと、札幌で就職する。
「印刷やシステムを販売する100人程度の会社です。こちらには10年在籍しています」。
退職したのは、社長のワンマンにあきれたからというのが正直なところ。正義感も仇となった。
「Windowsが普及するなど、社会の仕組みにイノベーションが起こっている頃。乗り遅れないように事業を変化させていかないと先がない。だれでも気づくことに、社長や幹部連中が気づかない。私が提言しても、彼らの耳には届かない。あと何十年も仕事をする若手じゃないからです」。
この時、足立さんは実費で東京のお台場まで行って、展示会を見学。新たな知識・技術を仕入れるなどして、会社の業績にも貢献している。だが、1人舞台。社会は思い通りにならなかった。

もといた会社への資本参加で、飲食業スタート。

足立さんは、競争の激しい世代のなかで、社会に縛られない生き方を選択する。
「35歳ですね。今度もまた中学のともだちと3人で、IT関連会社を起業します。携帯電話の社長だったともだちから、サーバー管理の仕事を丸っと請け負うのが私たちの事業でした。むちゃくちゃ恵まれた仕事だったんですが、いつまでもあるわけじゃなかった(笑)」。
危うく路頭に迷うところを、携帯電話の社長が救う。「当時、彼は福岡にいたんです。それで、『札幌でもつ鍋をやれば面白いぞ』って。で、やろうってことになって。サーバーの会社はたたんで、友人の会社を私が引き継いで、飲食業をスタートします。これが平成26年で、私が37歳のときです」。
<もつ鍋屋ですよね?>
「そう。冬はいいんですが、お客さんからも夏はどうするの?って。『そりゃ、もつ鍋屋ですからね、もつ鍋です』って、笑いをとるしかありません」。
業績は悪くなかった。ただ、色々とあったらしい。
「平成26年にもつ鍋をスタートして、翌年に新ブランドをリリースします。それが、元祖串カツ恵美須商店です」。
大学時代、4年間ビアホールで働き、グルメサークルを立ち上げただけはある。飲食に対する感度は高い。
「札幌にはなかった文化の一つが昼飲みです。大阪に行けば、みんな昼から飲んでいる。2度漬け禁止の串カツなんて、典型ですね。昼でもお客さんであふれている。だったら、札幌にその文化をもってくれば、と。それが、私の戦略でした」。
北の大地に串カツ文化が広がるのか、と思い、早口で<どうでしたか?>と聞いてみた。

北の大地で、串カツ文化が広がり始める。

串カツと言えば、大阪、通天閣の下で、名店が軒を連ねている。2度漬け禁止は、たしかに大阪文化の一つである。
「当時、東京で有名な串カツのお店が札幌にもあったんですが、札幌ではめずらしく流行ってなかったですね。それでも、ブルーオーシャンかもしれない、とスタートします」。
ただ、1号店は、イメージ通りはいかなかったそう。
「混雑するイメージだったんですが、その逆で。ロケーションにも問題があったかもしれないんですが。ただ、2号店が、今までみたこともないくらい爆裂します」。
連日、満席。出店が加速する。
つまり結論から言うと、大成功。2024年、ドミナントで出店も行い、現在、串カツブランドを含め、店舗数は11店舗になっている。コロナ禍の下をのぞき、毎年、複数店舗を出店した計算だ。
上場も視野に入れるかどうか、悩むところまできている。とはいえ、順風満帆とも言いにくい。課題は少なくないようだ。しかし、北の大地でも飲食が熱いことを足立さんは我々に教えてくれる。
札幌に行って、串カツを食べよう。
北海道の新鮮な食材をつかった串カツは、大阪人の目も丸くさせるかもしれない。

思い出のアルバム
 

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