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第104回 株式会社エイト 代表取締役社長 近藤一美氏
update 10/02/16
株式会社エイト
近藤一美氏
株式会社エイト 代表取締役社長 近藤一美氏
生年月日 1973年、神奈川県まれ。
プロフィール 飲食店を経営する母親が1980年に(株)エイトを設立。
店舗でのアルバイトを経て高校卒業と同時に就職。27歳で(株)レインズインターナショナルの子会社であり高級飲食店を経営する(株)アートフードインターナショナルに転職するが、翌年(株)エイトに請われカムバック。2002年に代表取締役社長に就任。
現在、居酒屋、カフェ、ラーメン店、もんじゃ店など複数業態22店舗の飲食店を経営している。
主な業態 「縁日」「縁日亭」「とり吉」など
企業HP http://www.eight-8.co.jp/

レジに座る小学生の小さな女の子

JR東戸塚駅ができたのは1980年10月。まだ周辺に目立った施設などなく、地元企業が数社ある程度の駅近くに25坪の赤ちょうちんを開店したのは、近藤氏の母親だった。
それまで戸塚でクラブなどを経営していた母親は、同時に複数店舗を切り盛りするやり手。家の隣に住む家庭的な姉に近藤氏を預け、毎日忙しく働いていた。しかし近藤氏はおとなしく留守番している女の子ではなかった。
「母が出かける時間を見計らって先に車に乗り隠れているんです(笑)」。
大人が集う華やかな場所が大好きだった近藤氏は、母親のクラブやスナックについてまわった。そして「お店に来たのなら仕事をしなさい」と冗談めかして言う母親の前で、馴染み客と“銀恋”のデュエットをやってのけた。
さて、自宅近くに東戸塚駅ができ、まっ先に飛びついたのは新しもの好きの母親。「ここで焼き鳥屋をやろう!」と早々に店を出す。
なんと10席分のカウンターに斜座りしてもらい13席に増やし、外にビールケースを置いて席を作った。競合も少なく店は大繁盛。小学生の近藤氏は誰に言われるでもなく店に入り、ついにはレジが定番席となる。
「相手が子供なものでお釣はいらないよ、とお客さんが帰っていくんです。母はそれを知っていたんです(笑)」。近藤氏の母親は、こうしたクラブやスナック、焼き鳥屋をはじめ、中華料理店やラーメン店を出店。常時12店舗の経営を続けていた。
会社組織にしたのはJR東戸塚駅ができる数カ月前の1980年5月だが、独特の直感と決断力で店舗運営を行う(株)エイトは、あくまでオーナー個人の会社で組織とはいえなかった。
幼少期からお店に馴染み、高校時代には本格的にアルバイトをしていた近藤氏はスライドで就職するが、ワンマン社長とスタッフの板挟みとなり、精神的に追い込まれ飛び出してしまうことになる。

ビジョナリーカンパニーとの出会い

高校生の近藤氏がアルバイトに没頭したのはカラオケ店。そもそも自分の提案に両親が賛同する形で店をオープンし、共に働く仲良しの友達たちもいた。ただただ働くことが楽しく、結局、高校卒業と同時に正社員となって仕事を続けた。
違和感を感じるようになったのは二十歳を過ぎた頃だという。
「ちょっとだけ社会が見えるようになったんですね。周りのスタッフと社長の娘である私の間に溝ができていたんです」。
オーナー企業であり出店・撤退の決断が早い社長は、社員などの周辺とコミュニケーションを取っていくタイプではない。人の入社・退職が頻繁な中、スタッフは次第に社長ばかりか娘である近藤氏とも距離をおくようになっていった。
「割り切ってやっていこうと思ったのですが、本当にきつかった。ある日、母親と大げんかになり、それが決断させてくれました」。
27歳になっていた近藤氏は会社を辞め(株)アートフードインターナショナルに転職。そして親会社の(株)レインズインターナショナル率いる西山氏の凄さ、熱い想いを抱いて共に働く店長・スタッフたち団結力の凄さを知る。と同時に『ビジョナリーカンパニー』という経営本に出会い、自分自身を振り返ることとなる。一体自分は何をしているのか? 何をしたいのか?
明るく楽しいお店にいること自体が好きで、お客さんの笑顔を見ることが大好き。だからこれまでずっと現場で働いてきたのではないのか…。
原点に立ち返ろうとした時、母親から連絡が入った。社長職を退くから会社に戻って欲しいという。しかし近藤氏を揺さぶったのはそれだけではなかった。(株)エイトを支えてくれていた常務、管理部長、そしてスタッフが待っていてくれたのだった。

経営理念を共有。コンセプトを決めたらスタッフに任せる

(株)エイトに戻った近藤氏は、自分らしい会社作りをしようと考えていた。それはつまり“組織として強い会社”を作ること。自分一人が頑張り会社を引っ張り支えるのではなく、みんなが夢と責任を持って生き生きと働ける会社だ。
そこでまず行ったのが、スタッフと徹底的に話し合い企業理念を作り、共有することだった。管理部門の強化もそう。はじめは「きっと無理だろう」と引き気味に見ていたスタッフたちも、近藤氏の真剣さに次第に変っていった。
現在、偶然にも現場の長という責任あるポジションに就いている多くの人材が近藤氏と同世代だという。「ラーメン5店をまとめる事業長も、パティストリー雪乃下の店長も、居酒屋・カラオケの店長たちも、管理部の課長も、そういえばみんな55年世代ですね」。いずれも元気に役割を果たし、収益を上げている。
近藤氏は店舗運営を現場に任せている。「企業理念を作り共有するのと同じです。お店のコンセプトをしっかりと固めて共有したら、あとは店長に一任します」。裁量権を委ねることで、社員個々が自らの発想・工夫で動くようになり、お店自体がイキイキとしてくる。働くスタッフが楽しめるお店は、お客さんにとっても居心地のいい空間になる、というわけだ。
エイトという社名は、先代社長が戸塚の8つのイスのお店から事業を始めたことから付けた名前。「エイト(8)を横にしたら無限大という意味(∞)にもなるしいいんじゃない?」といったやりとりもあったという。
「とてもいい社名だと思っているんですよ。だから“夢を持っている人”と一緒に働きたいし、“自分はついている”と思えるポジティブな人と働きたい」。
お店にいることそのものが好きで、会話や飲食を楽しむお客様の笑顔が好き。幼い頃から今現在も近藤氏の思いは変ることがない。おそらくこれからも無限大(∞)に変らないのだろう。

思い出のアルバム
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