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第108回 有限会社麦企画 代表取締役 田原旬時氏
update 10/03/02
有限会社麦企画
田原旬時氏
有限会社麦企画 代表取締役 田原旬時氏
生年月日 1958月1月17日生れ。三鷹出身。
プロフィール 三兄弟の長男。小学校4年の時に父が失踪。母に女手一つで育てられる。中卒で社会に出て、やがて飲食の世界に生きようと決意。赤字店を黒字転換するなど実力を発揮する。1994年『有限会社麦企画』を設立。同年12月『キッチンバー麦』オープン。その後も着実に人気店を増やし、現在、三多摩を中心に10店舗を展開する。
主な業態 「キッチンバー麦」
企業HP http://www.mugikikaku.co.jp/

不良志願

ヤクザになろうか、と思った。有限会社「麦企画」の田原旬時社長は、そう言って過去を振り返りはじめた。1958年、三鷹で生れた田原は、新聞店を経営する両親の手によって育てられた。裕福な家庭だったが、田原が小学4年の時に、突然、父が失踪することで生活が一変する。
その後の生活は苦しく、母は真夜中まで仕事をし、祖母が代わって兄弟3人の面倒をみることになる。
田原の小学校時代を想像すると、そのような環境でも素直で、健気な少年像が浮かび上がってくる。幼い弟達が熱を出せば『受診券』をもらいに市役所の福祉の窓口に行くのも田原の役目だった。さぞ、懸命に走ったことだろう。
生活の状況のことを考えれば、高校には行く事ができないことを重々承知であった田原は、『不良になろう』と決意する。『不良になれば、誰もが納得する』と思ったからだ。短絡的な発想だと笑う人がいるかもしれない。だか、これが少年の出した精一杯の答えだった。
もともと腕っ節が強い田原は、すくに地元でも有名な存在になったが、母や弟たちのことは一時も忘れることはなかった。弟の一人は『兄が有名だったので、いじめられなかった。そういう意味で、ぼくたちは兄に守られていた。』と。
今思い出すと、母には『人は殺すな、警察に捕まるようなことだけはするな』と繰り返し言われていたことを思い出す。

中卒には世間は冷たい

中学卒業後すぐに、田原は、夫婦で経営する小さな蕎麦屋で働くことになる。仕事は朝8時には始まり、夜遅くまで働き、夜中になって眠りにつく生活が続いた。初任給は3万円。このうち、1万円は仕送り、1万円は自分で使い、残る1万円を店主夫婦に頼んで貯金してもらっていた。
そんなある時、母が急病で入院、手術をすることになり、田原は、いままで店主夫婦に預けていた貯金を下して欲しいと頼んだが、毎月店主に預けていたと思っていた貯金は、貯められることなく使い込まれていたことを知る。少年であった田原にとって、母や弟達を思う気持ちが詰まっている大切なお金であり、店主夫婦に対する信頼も込められているものであった。この裏切りに田原は激怒し、すぐさま仕事を辞める。当時の田原にとって、それが精一杯の抗議だったのだろう。
その後、母が働いていた製造会社に転職し勤めている。田原が働いても、家族の暮らしに余裕ができたわけではないが、弟たちは高校に行かせることができた。『母を思う気持ちは兄弟一緒』と田原は言うが、その方法は違った。弟たちはしっかりと勉強し、良い会社に入ることで母を楽にさせることができるが、田原にはもうその道を歩むことはできない。弟たちの学費のこともあったのだろう。だから、『ヤクザになってでも家族を幸せにしたい』と考えたのだ。
小さい頃、祖母の代わりによく料理をつくっていたことがある。昔ながらの祖母の料理が苦手だったこと、正直いえば『学校に持っていく弁当が、毎日一緒で飾り付けもなく恥ずかしかった』からである。それが飲食を志す元になるのだから人生分からない。この頃から『飲食店をやりたい』と心の片隅で思っていたのだろう。飲食店に勤める友人からコックを目指さないかと誘われ、本格的に料理を学び始めた。26歳の時に結婚、妻の実家のビルに夫婦で喫茶店を始める。ようやく幸福が訪れたかにみえたが、30歳で離婚、今度は田原が子供たちと離れ離れになってしまう。子供の近くにいたい一心で、妻の実家のある福生に10坪の居酒屋『閑古鳥』をオープンさせる。これが居酒屋業の始まりとなる。

運命的な出会い

この居酒屋『閑古鳥』を通じ、田原は運命的な出会いをする。不動産ビルオーナーとの出会いだ。オーナーは田原を見込み、自社ビルの地下にある不振店の運営を持ちかけたのだ。田原には自信があった。吉祥寺で流行っている行きつけの店舗の中から創作料理の居酒屋を選び地下店舗を改造する。『KitchenBar昔(しゃく)』と名づけた創作料理の居酒屋は狙い通り盛況、その後他の店舗も任され、仕事は順調に滑り出すことになる。だが、私生活の方はそう上手くはいかない。子供たちに会いたいと別れた妻に告げたところ『養育費さえ入れてくれれば考える』という返事。朝、昼、夜、深夜と寝ることも惜しみ、3つの店を繁盛店にしてお金を稼ぎ、毎月遅れることなく子供たちの養育費を送った。手元に残るお金は微々たるものだったが、その分子供たちに近づける気がした。このビルオーナーとの出会いで田原は着実に実力をつけ、自信を深めていったに違いない。そんな頃、元妻の兄から相談があった。バブルの崩壊で店の運営に行き詰ったというのだ。田原は、困り果てている義兄に別の店を紹介するが、結局その店も大幅な赤字に陥ってしまった。紹介した事に責任を感じた田原は、その店を買い取ることにした。この店が正真正銘、麦企画が運営する初の店舗となった。

人生に無駄なし

この店を起点に田原の人生は急角度で上昇する。結果、現在では多摩地域を中心に10店舗を経営するに至っている。むろん業績は好調だ。『人生に無駄なことはない。本当にそう思いますね。不良になって遊び回っていたことも、流行の店を見つけるのにちゃんと役立った。遊びだって、勉強だって、一生懸命やったことには何かしら成果があることも知った。もちろん人との出会いも大切です。そういうところを社員に伝えていければと思っています。私の場合は母や弟たちを思う気持ち、子供たちを思う気持ちが原動力になりました。原動力は人それぞれでしょう。でも、現実から逃げてはだめだ。もし、逃げていれば今のぼくもない。』今田原は子供たちを引き取っている。母には兄弟のうち誰かが、いつもそばにいるようにしているそうだ。子供たちに囲まれた、幸せそうな母の笑顔が見えてきた。

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