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第109回 株式会社ゴールデンマジック 代表取締役社長 山本勇太氏
update 10/03/09
株式会社ゴールデンマジック
山本勇太氏
株式会社ゴールデンマジック 代表取締役社長 山本勇太氏
生年月日 1978年5月17日、埼玉県川口市で生まれる。
プロフィール 父は、中学・高校の体育教師を勤め、母は、歯科助士のアルバイトを行うごく一般の家庭で育つ。兄弟には6つ年下の妹がいる。
小・中とサッカーに明け暮れ、サッカーの名門校に入学。しかし、そこでつまずいた。周りはスポーツ推薦で入学するような選手達ばかり。2年生の時に、断念し、今度は勉学に燃える。一浪の末、中央大学に入学。
その後、公認会計士をめざすなど、思い立てばすぐに実行に移した。
親会社であるダイヤモンドダイニングに入社したのも、コンビニエンスストアで何気なく見た、求人広告がきっかけ。すぐに電話番号をメモし、電話をかけた。飲食業界に席を置くことになった始まりである。
主な業態 「三丁目の勇太」「熱中屋」「新橋シャモロック酒場」など
企業HP http://ameblo.jp/golden-magic/
いったいどれだけの業態があるのだろう。「ヴァンパイア カフェ」「迷宮の国のアリス」「オペラハウスの魔法使い」「竹取百物語」「泡沫の恋」「三年ぶた蔵」「ベルサイユの豚」…、09年3月の決算報告で、公開された業態数はグループ全体で74業態にものぼる。この業界の異端児ともいえる会社が、ヘラクレス上場の株式会社ダイヤモンドダイニングだ。店舗数はすでに100店舗を超えている。09年5月1日、このダイヤモンドダイニングに新たなグループ企業が誕生した。今回、登場いただく、山本 勇太は、そのグループ会社、株式会社ゴールデンマジックの代表取締役社長である。設立より、6ヵ月経った10月現在、すでに「3丁目の勇太」をはじめ、4業態を展開するに至っている。

サッカーのプロをめざし、サッカーの名門高校に進学するも、挫折。

1978年、父は中学・高校の体育教師、母は歯科医院で歯科助士のアルバイトをする、ごく一般的な家庭の長男として、山本は、誕生した。小・中は、サッカー少年で、「プロのサッカー選手を本気でめざしていた」そうだ。小学校時代から強いチームでのプレーを望み、学区を超え、強豪チームに所属。中学時代には、市の選抜選手に選ばれるなど将来有望な選手の一人だった。一方、クラスの人気者で、学級委員や生徒会などに選ばれ、目立つタイプの少年だった。学業も優秀で、学年の順位は一桁台をつねにキープしていたらしい。はじめて挫折を味わったのは、高校に入学してからだ。希望通り、埼玉県のサッカーの名門高校に進学した山本だったが、周りには、推薦入学してきたサッカーのエリートたちばかり。自信はあったが上には上がいた。山本は進学クラスに所属したが、他の生徒は全員、スポーツコース。進学クラスを選んだことで、何よりサッカーにかける時間に差が生まれてしまった。2年になり、山本はプロになることをあきらめた。

受験失敗。一浪の末、中央大学に入学。年上の女性との交際が転機をもたらす。

高校3年の夏になって、進学という言葉がリアルに聞こえ出す。予備校に通い、遅れを取り戻すようにがんばったが、7校受験し、すべて落ちてしまった。一浪後、「中央大学 経済学部」に入学する。サッカーはいつの間にか趣味になっていた。サークルに入り、サッカーがある時だけ参加した。アルバイトを始めたのも大学になってから。カラオケ店で、人生初の自分のお金を手にした。「十数万円でしたが、お小遣いしかもらったことがなかったので、嬉しくてしかたなかった」という。失礼な言い方だが、ここまでは、どこにでもいる青年といっていいような気がする。一つの転機はある女性との交際だった。「彼女は年上で、すでに社会人だったものですから、食事に行くにもいいところに連れて行ってくれるんです。社会人になるってすごいことだな、と。はじめて、自分が社会に出た時のことを考えるようになったんです」。

「公認会計士」の資格取得に向け、1日12時間の猛勉強。だが、壁は厚かった。

思い立つと行動は素早い。収入のいい職業は何かと友人たちと一緒に調べ、「公認会計士」に行き当たる。もう勉強を開始した。一方、カラオケ店のバイトを辞め、パチンコ店で働き始める。1日10〜12時間。バイトをこなしながら、公認会計士の勉強に費やしている。資格取得の予備校に入り、大学卒業後も、通った。しかし、壁は厚かった。結局、断念することになる。残ったのはパチンコ店でのアルバイト。その後、3年間、フリーターのような生活を続ける。しかし、この時の生活も半端なものではなかった。1日17時間はバイト。40万円以上の収入を得ていたそうだ。やるからには徹底的にやる。しかも、進路はすべて自分で決めている。山本の凄さはそこにある。負けん気も強い。しかし、一方では冷めた自分もいる。公認会計士を断念したのも、予備校に集まる人間たちをみて、どこか違和感があったからだった。不完全燃焼。そういう言葉がぴったりだったのではないか。自らが真剣に打ち込めるもの、打ち込んでなお手ごたえのあるものを山本は探し求めていた気がする。

ダイヤモンドダイニングとの出会いで、完全燃焼をめざす。

コンビニで、ひとつの雑誌をみた。飲食業専門の就職情報誌だ。それが、山本の人生を変える。「このとき初めて、ダイヤモンドダイニングと出会ったんです。実は、ちょっとしたひらめきで、こんな飲食店があればなと自分なりにイケてるお店を想像していたんです。だから、へぇ、こういうお店もあるんだ、と」。アリスやヴァンパイアの存在を知って、衝撃を受けた山本は、電話番号を控え、早速、電話をした。一つの人生が動き出す。面接で3年後には独立すると宣言した山本は、人より5倍10倍働いた。「まだ、ダイヤモンドダイニングも6店舗ぐらいしかない小さな所帯だった」と当時を振り返る。未経験のハンディを覆すように、店に寝泊まりするのはあたりまえ。未経験であることを逆に武器にした。経験者とは異なる角度から飲食業の経営を分析することができたからである。「個店主義」「お客様歓喜」という会社のコンセプトとも水が合った。店長に、また責任者に抜擢されていく。完全燃焼。はじめて山本はその言葉を実感するようになったのではないだろうか。ライバルも刺激になった。負けてたまるか。未経験者でスタートした青年はグングン頭角を現していく。

異例の抜擢を受け、赤字会社を2ヵ月で建て直す。

もちろん順風満帆なときばかりではなかった。池袋店を任された時には、人間関係で、胃を痛め、頭痛も初めて起こったという。25人のアルバイトを採用し、20人が辞めていった。人を動かすむずかしさを体験する。しかし、その時に残った5名が、その後、店舗の核になる。だから、やり方に間違いはなかった、山本は確信する。08年3月、ダイヤモンドダイニングは「サンプール」という会社を買収した。その際に、山本は、責任者として抜擢される。異例の抜擢だが、与えられたミッションは、2ヶ月で「赤字から黒字に」というハードルの高いものだった。山本は、それを達成する。山本は、社長である松村氏に尋ねたことがある。「社長はどうして独立がうまくいったんですか」と。松村氏はこう答えている。「人に恵まれたからだ」と。今になってその意味が良く分かる。では、どうしたら、人に恵まれるのでしょう、と問いかけてみた。山本の答えはこうだ。「人に対して、愛情をもって接したら必ずかえってくる」。山本はまだ31歳。この山本に多くの人がついてくる。次の一手に、注目が集まる。完全燃焼の喜びを知った山本に、怖いものはない。彼が本領を発揮するのはこれから。未経験から始めてわずか数年でここまで上り詰めた山本自身の将来にもまた注目が集まるのではないだろうか。「お客様歓喜」、山本は、このコンセプトを広めるために新業態の開発にも今、積極的に取り組んでいる。

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