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第110回 株式会社モミアンドトイ・エンターテイメント 代表取締役社長 川上統一氏
update 10/03/09
モミアンドトイ・エンターテイメント
川上統一氏
株式会社モミアンドトイ・エンターテイメント 代表取締役社長 川上統一氏
生年月日 1969年5月15日生まれ。茨城県守屋町出身。
プロフィール 両親と姉2人、ごく一般的な家庭で育っていく。幼稚園時代から、自転車を趣味にし、高校時代にはジュニアオリンピックの選考ライダーにも選ばれる。大学進学はせず実業団入りしたが、1年で退職。期間を60日と決め、渡米。帰国後、車のブローカーなども経験し、23歳の時、独学で松戸に小さなケーキ店を開店。飲食業に第一歩を踏み出す。
主な業態 「モミアンドトイ」
企業HP http://www.momiandtoy.com
「いじめられた」友人にではなく姉2人に、である。今回、ご登場いただく株式会社モミアンドトイ・エンターテイメント(以下、モミアンドトイ)、代表取締役社長 川上 統一は幼少時代をそう語りだした。「言葉尻を取っては、からかわれて泣いていた」というのである。その後の、たくましい生き方とはまるで違うエピソードの一つだ。モミアンドトイは、ご存知のように「とろけるクレープ」で、クレープのファン層を一気に拡大したユニークなブランド。今回は、このモミアンドトイが誕生するまでを、泣き虫だった幼少期から、創業者川上の過去を振り返り、追ってみることにしよう。

幼稚園から自転車が宝物だった少年が追い駆けた夢。

幼稚園の頃から川上の自転車はカスタマイズされていた。改造したのは父。小学校に入ると高価なBMXを購入してもらう。それほど川上は自転車好きな少年だった。夢は競輪選手。中学生になると、クラブに入りロードレースにも参加するようになる。レースに参加すれば、負け知らずだった。この頃にはもう、泣き虫だった少年はどこにもいなくなった。高校に上がった川上は、「高校自転車連盟」に登録する。より本格的なレースに出場するためだ。だが、初めての大会で屈辱を味わうことになる。「お前が川上か」と言われるぐらい高校生にも知られていたが、予選すら通過できなかったのである。これが川上に火をつけた。大会が終わって帰宅したその夜から、本気になって練習に取り組みだす。「クレージーだった」と振り返るように、1日に通学も含め150キロのロードワークを自らに課すのだ。一方で、当時、まだ確立されていなかった練習メニューをヨーロッパのビデオなどを参考にし、思いついた練習方法を積極的に採り入れていく。やがてトップレーサーたちとも合同練習をするまでになり、いつかオリンピックやツール・ド・フランスに出場することを夢見るようになる。ジュニアオリンピックの選考ライダーに選ばれたのもこの頃。大学に行かず、実業団に入り、さらに一歩、夢に向かって踏み出した。

一転、60日間のアメリカの旅を計画。実業団を後にする。

川上にとっての自転車は走ることと同意義だった。夢を追いかけ、実業団入りしたが、仕事を抱えながらだと思うように走ることができなかった。熱が冷めていく。「突然、アメリカが見たくなったんです」と川上。行動派の川上はすぐに、会社を辞め60日間のアメリカ旅行に旅立っていく。19歳の冬のことである。ロスからNY、カナダにも渡った。優雅な旅ではない。1日3000円程度のモーテルを転々とする、バックパッカーだ。この旅が、自転車競技で勝つこととは別の自信を川上に植え付けた。「やろうと思ってできないことはない」。帰国後、いったん車のブローカーのような仕事をしたが、ものづくりの仕事をしようと、いきなりケーキ店を開いたのも、「やればできるという自信があったから」にほかならない。当時を振り返り川上は次のように言っている。「自転車でも、精一杯やることができたし、アメリカにも行った。でも、そこでエネルギーが切れ、急に意欲までしぼんでしまったんです。だから、何か追いかけられるものを探していたのかもしれません」。それがケーキ店だった。川上23歳。

「チーズハウス」設立。飲食の世界に一歩、踏み出した。

「感動・驚き・おもてなし」、これが「モミアンドトイ」のブランドコンセプト。言葉にはなっていなかったが、実は、ケーキ店を開業した時から、このコンセプトは頭のなかにあったそうだ。とはいえ、あまりにも無謀なスタートだった。物件も1日で決定。軍資金はブローカーをして貯蓄した1000万円。果たして成功するのだろうか。「最初は1種類のケーキからはじめました。その後、焼きたてのホールケーキを販売するなどして、結局、4店舗まで増やすことができたんです」「楽しかったですね。もう1個どうですか、ってお薦めすると、ありがとうといってもらえる。この間、おいしかったわ、とかね」。勢いだけで始めた飲食店だったが、順調に拡大。「チーズハウス」として法人登記も行った。

成功の次に訪れた失敗。すべてがゼロリセットされてしまう。

30歳。川上は、もう一つの会社を立ち上げる。ネットブームが到来し起業家が雨後のたけのこように登場した2000年、前後。「フードネットという社名で、外食の調達コンサルタントを始めたんです。ビジネスモデルは、ネットオークションを通じた副資材の仕入れ代行。安楽亭さんや木曽路さんにもご利用いただきました。一方、事業会社やファンド、エンジェルにも出資いただき、3億円ほどの資本を集めました」。IPOに向け、売上が見込めた「チーズハウス」も売却する。だが、赤字でも承認されていた上場規定が、一転、厳しくなり、思い通りの軌道が描けなくなってしまった。結局、社長辞任に追い込まれる。「それですべてを失った」と川上。飛躍するために始めたビジネスだったが、最終的には梯子をはずさた格好になってしまう。「4年ほどの期間ですが、終わりの2年間は、悪夢をみるような日々でした」と振り返る川上。すべてがゼロリセットされたときには、残念に思うよりも「肩の荷が下りた」というのが正直な感想だった。川上、35歳の時である。

初めての手痛い失敗と挫折。川上は原点に立ち返る。

すべてを失った川上だが、すぐに新たなビジネスのペダルを漕ぎ始めた。不動産会社でネット取引の部門を任され、半年近くで500万円を貯蓄した。その資本を元にもう一度、起業する。それが「モミアンドトイ」。後に大ヒットする「とろけるクレープ」の始まりだった。グルテンを極力抑えたリッチな配合でクレープの生地を焼くと、口に入れた瞬間、生地がトロけるのだ。ケーキ店で覚えた技術が活きた。販売方法にも工夫を加える。このあたりは、実際に、食してもらうのが一番だろう。「モミアンドトイ」、最後にこの社名の由来を伝えたい。「実は、父とぼくの名前をつなげているんです。『神様は何個も風船を投げてくれる。必死につかみにいけば必ずつかめるんだ』とぼくが失意のどん底の時に父が格好のいいことをいいましてね。考えてみると折に触れ、ぼくに勇気をくれたのが父だったんです」。父がいなければ、もちろん川上は存在しない。幼稚園の時、自転車を改造してくれなかったら、川上の人生はまったく違ったものになっていただろう。父と息子の名前を持った「モミアンドトイ」の経営理念は、「科学的な思考」と「徹底的な実践」。父が川上に与えたDNA、そのものかもしれない。現在、この「モミアンドトイ」は40店舗にまで広がっている。

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