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第114回 ティー・ワイ・エクスプレス株式会社 代表取締役社長 寺田心平氏
update 10/03/23
ティー・ワイ・エクスプレス株式会社
寺田心平氏
ティー・ワイ・エクスプレス株式会社 代表取締役社長 寺田心平氏
生年月日 1972年、東京生まれ。
プロフィール 3人兄弟の次男。慶應義塾大学総合政策学部を卒業後、アメリカのUniversity Of California, San Diegoの大学院に進学。大学院卒業後、台湾の財閥企業を就職先に選び台北に向かう。しかし、一年後、飲食事業を始めた父の苦境を知り、帰国。現副社長のディビッド・キドーと共に「T.Y.HARBOR BREWERY」の経営建て直しを始める。
主な業態 「T.Y.HARBOR BREWERY」「CICADA」「WATERLINE」beacon」「breadworks」など
企業HP http://www.tyharborbrewing.co.jp/

もう、どうにもならない。今からは考えられない状況だった。

天王洲アイル駅から数百メートル。海沿いに、素敵なレストランがある。「T.Y.HARBOR BREWERY」だ。倉庫を改装して作られたこのレストランは一度訪れた人の記憶に鮮明に残る。ブルワリー、いわゆるビール工場が併設されており、そこから出来立ての地ビールが運ばれてくる。料理はモダンアメリカ。アメリカ人のシェフが手がける本場のカリフォルニア・キュイジーヌが楽しめる。春から秋にかけては、テラス席が大人気だ。

この人気の「T.Y.HARBOR BREWERY」だが、オープン当初は、客もまばらで、経営者の道楽とも言われるようなレストランだった。スタッフたちは責任のなすり合いを続けた。ハナからやる気もなかったようだ。あまりの惨状に、経営者の父まで両手を上げかけたときに、救世主として登場したのが、現在のティー・ワイ・エクスプレス(株)の社長、寺田心平だった。

もともとこの店の建物は、寺田倉庫株式会社が所有していた倉庫の一つ。有効利用するため、レストランに改装したのが始まり。父のアイデアだった。しかし、父も飲食店経営の経験などなく、まったく軌道に乗らない。当時の状況を寺田は、「スタッフ同士のコミュニケーションさえままならなかった」と表現している。問題は山積み。しかし、寺田も父同様、飲食経験ゼロ。社会人経験さえないに等しい。果たして、寺田はどのようにして、この店を軌道に乗せ、人気店に育てたのだろうか。寺田の生い立ちから、その秘密を探ってみよう。

世界に飛び出した青年がUターン。建て直しを託される。

寺田の父は祖父の代から、倉庫業を営んでいる。寺田が生まれたのは、1972年。日本経済が右肩上がりで成長を始めた頃だ。マクドナルドやケンタッキーが生まれた頃でもある。兄と妹の3人兄弟。どちからといえば目立たず、控えめな性格だったという。とはいえ、小学校時代には、学級委員長を務めるなどクラスの人気者だった。中高は、体育会系のクラブに所属し、高校ではグランドホッケーに明け暮れた。
高校卒業後、慶應義塾大学に進学。同大学総合政策学部を卒後、アメリカのUniversity Of California, San Diegoの大学院に入学し、アジア太平洋地域における国際ビジネスを学んだ。大学院在学中、1年間休学して北京に留学し、中国語を修得する。大学院卒業後、は、台北に行き、台湾の財閥企業で社会人の一歩を踏み出し始めた。そのときに、「T.Y.HARBOR BREWERY」の苦境を知るのである。

英語も、中国語も堪能で、国際舞台でも通用しそうな経歴の寺田。いまなら、一番、求められるタイプの人材だ。だが、当時の日本は閉鎖的で、留学生の門戸は限られていたらしい。「ある大手電機メーカーを受けたんですがあっさり落ちまして、計算が狂ったな、と。それもあって、台湾の企業で働くようになったんです。実は中国留学前の1ヵ月間、オープンしたばかりの『T.Y.HARBOR BREWERY』でアルバイトをしたんです。洗い場からホールまで、いろいろなことが経験でき、このときにおもしろいなと感じたことが、後々、この店を引き継ぐ伏線になっていたような気もします」。

「スタッフ同士のコミュニケーションもままならない」。そこからの再起。

さて、日本に戻り、店を任された寺田だが、店内は予想以上に辟易した状態だった。スタッフ同士、足をひっぱり合うような話を何度も打ち明けられた。そんななか現副社長ディビッド・キドーと共に手探りで経営を建て直していくのである。
自分はスペシャリストではない。これが、寺田の行き着いた発想だ。逆に、ゼネラリストの勉強はアメリカでも、日本でも行ってきた。では、どうするか。ゼネラリストの自分が軸となり、スペシャリストたちを動かしていくほかない、と悟るのである。
その後、積極的にスタッフの話に耳を傾けながら、スタッフ間の距離感を縮めるのに腐心する。彼らが前向きに仕事ができる環境を整え、業務を越えてすべてのスタッフがお互いを理解できる関係性を構築していった。すると客の反応が変わってくる。もともと立地も、発想もユニークである。シェフ(現副社長)のディビッド・キドーが作る本場アメリカ料理も、斬新だ。そこに厨房、ホールのスタッフたちのコミュニケーションが加わると、店はとたんに明るい表情をつくり始めたのである。

「さすがに昨年はリーマンショックで少し落ち込みましたが、それ以前の12年間は、ずっと右肩上がりでした」。つまり、この「T.Y.HARBOR BREWERY」は、寺田が再生を試みた後、毎年、業績をアップし続けたことになる。「息の長い店」と寺田のめざす通りの店になる。大箱であるために集客数に余裕があることも要因の一つだろうが、「リピーターが連れてきた人がまたリピーターになってくれる」ことが、毎年成長を続ける理由だそうだ。顧客の情報はコンピュータにインプットされ、来店ごとに、よりカスタマイズされたサービスとして顧客にフィードバックされていく。システムだけではない。スタッフたちも様変わりした。いがみ合っていたことがウソのように、チームワークが生まれた。定着率も高まり、常連のお客様から何年も親しくしてもらっているスタッフもいるほどだ。以前、まだ苦しかったときにあるマネージャーに言われたことがある。「うちは学校じゃないんですよ」、と。でも、いま寺田は「むしろ学校でいいじゃないか」と思っている。「若いスタッフが、キッチンにせよ、ホールにせよ、入ってきて、最初は何もできないのに、やがてシャキッとして、心を込めたサービスを独りでできるようになる。この変化が嬉しい」のだという。これもまたゼネラリストの寺田ならではの喜びかもしれない。

チームワークを重視した経営で、躍進を果たす。

さて、3年で黒字化に成功した寺田は、2003年にCICADA(シカダ)、2006年にはWATERLINE(ウォーターライン)・beacon(ビーコン)の2店舗をオープンする。今春には、ベーカリーカフェ『breadworks』もオープンさせた。しかし、思いは国内だけに留まっているわけではない。いずれ、海外進出も念頭に置いている。スタッフたちの視野を広げるため、機会があるごとに、NYやLAのレストランにスタッフを連れて行き、本場のレストランの空気感を実際に体験できる研修を行っているのはそのためだ。また海外からのお客様をおもてなしするために、アメリカ人スタッフから実際のサービスに役立つ英語を日々習う機会もある。これらのことが次の展開に生きてくるはずだ。

最後に人材についても聞いてみた。「うちが大切にしているのはチームワークです。厨房も、ホールも互いにバランスをとってやっています。そういう意味では協調性があり、チームの一員として参加いただけるような人なら経験の有無に関わらず採用していきたいと思っています。どちらかといえば安定志向の人に向いています」。一人ひとりの個性はもちろん大事だが、チームで戦うことはもっと大事。寺田はそう言っているに違いない。互いが互いを生かす。これが、息の長い人気店をみんなでつくる、チーム「ティー・ワイ・エクスプレス」の理念といえるかもしれない。

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