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第117回 株式会社麻布スタイル 代表取締役 猪野悦史氏
update 10/04/06
株式会社麻布スタイル
猪野悦史氏
株式会社麻布スタイル 代表取締役 猪野悦史氏
生年月日 1972年8月15日、神奈川県藤沢生まれ。
プロフィール 「健康運動指導士」有資格者。少年の頃からバスケットボールに打ち込み、ついに実業団入りを果たすが、1年で断念。それでもスポーツに関わる仕事をするため、フィットネスクラブに就職し、スポーツトレーナーを務める。著名なトレーナーに請われ、フィットネスクラブの立ち上げに参加した後、28歳で自ら起業。2000年には初の飲食店「Lau-Lau」を出店する。
主な業態 「BISTRO川崎CITTA'スタンド」「SUSHI浜松町スタンド」「青山スタンド」など
企業HP http://azabu-style.co.jp/

28歳でフィットネスクラブを起業。

190センチメートルの身長に加え、全盛期には、胸囲が125センチあり、体重は100キロ以上もあったそうだ。「相撲部屋からも、プロレス団体からもスカウトがあった」という話にも頷ける。この素晴らしい体躯の持ち主が、「Lau-Lau」をはじめ「十番スタンド」などの人気店を経営する株式会社麻布スタイルの社長、猪野悦史である。麻布スタイルはこれらの店のほかにも、以下のような店舗を現在、運営している。「BISTRO川崎CITTA'スタンド」「カルミネ表参道スタンド」「SUSHI浜松町スタンド」「十番カレー」。いずれも気取らずに立ち寄れる、おしゃれな人気店だ。ほかにもビールの大手メーカーハイネケンとのコラボで誕生した「青山スタンド」も経営している。さて、その猪野は2000年、28歳の時に「有限会社ワイルド・ボアー」という会社を興している。現在とは異なり、この時、開業したのは、フィットネスクラブだった。クラブといっても、資金は少なく、開業当時は、猪野一人しかおらずトレーナーも兼任していたそうだ。「以前、勤めていたフィットネスクラブで知り合ったお客様が、150人ほど会員になってくださったおかげで順調にスタートすることができました。しかし、私一人だったので朝の10時から夜の10時まで仕事に追われる毎日でした」と開業当時を振り返る。この時の、会員たちとの付き合いがやがて飲食店開業へとつながっていくのだが、その前に少しだけ猪野の、それまでを追いかけてみよう。

ヒーローになりたかった少年は、バスケットボールで実業団まで昇り詰める。

子どもの頃から勉強も、スポーツもできる少年だった。そんな少年猪野が憧れていたのは、ウルトラマンや仮面ライダーといったヒーローたち。悪を退治する正義の味方に、多くの少年同様、猪野もまた惹かれていったに違いない。一方、好奇心も旺盛で、エレクトーン、水泳、野球、塾、書道と、習い事にも進んで通い始めたそうだ。その後も、さまざまなスポーツにチャレンジするが、猪野を一番虜にしたのは、バスケットボールだった。当時バスケットボールにプロリーグはなく、実業団が日本最高峰のリーグだったが、猪野はその実業団に入ることができるほどの腕前だった。だが、入団後、1年で「通用しない」と見切りをつけなければならなかった。どのようなスポーツも抜群の運動能力で軽々とこなしてきた猪野だったが、日本最高峰のリーグの壁は厚かったとしかいいようがない。「バスケットで飯を食っていく」道は断念した猪野だったが、「するからには楽しい、おもしろいと思えるような仕事でなければ」と大好きなスポーツからは離れようとしなかった。猪野は、「健康運動指導士」の資格を取得しているが、これは、この当時、スポーツに関わりながら飯を食っていくために取得した資格。この資格も幸いし、いったん閉ざされかけた将来の道が、改めて開かれていくのである。

高級フィットネスクラブでトレーナーを始める。これが一つ目の転機。

実業団を辞めた猪野は、いったん学校に入り直し、その後、日本でも最上級のフィットネスクラブに就職した。この高級フィットネスクラブには、芸能人をはじめ政界、財界のトップクラスの人たちがやってきた。猪野はトレーナーとして、それらの著名人たちと接することになる。「年も上の、しかも成功されている、さまざまな人のお話が聞け、お付き合いもできたことが財産になった」と猪野。20代前半の若者が、刺激を受け、徐々に力をつけていったのも、この頃であろう。その後、有名なトレーナーに誘われ、一番弟子として、クラブの立ち上げに参加。アメフトチームのコンディショニングトレーナーを務めたりもしたが、結局、「自分の考えが通らないと気がすまない」性格もあって、自らフィットネスクラブを起業することになるのである。この時の会社が冒頭の方で書いた2000年の「有限会社ワイルド・ボアー」。会員になってくれたおよそ150人は、すべて猪野個人を信頼してついてきてくれた人たちである。

人と人のつながりを大事にすることから生まれたのが「麻布スタイル」。

このクラブが軌道に乗りかけた頃に、猪野にもう一つの転機が訪れた。「会員の方と月例会をやっていたんです。でも、ちょっとしたパーティーを開くとなると一人あたりの会費が8000円もする。しかも、ちょっと騒いだら、うるさいって言われたりしたんです。だったら、自分で飲食店をやってみよう、と。だから最初は会員の方との飲み会を安く、楽しくするために作ったようなお店だったんです」。ところが、この店が繁盛店になっていく。「考えてみたら、麻布十番でぼくを知らない人はいないぐらいでしたから、最初は、あのトレーナーが店をつくったってことで、興味半分で、みんなやってきてくれたんでしょうね。でも、自分たち、つまりぼくや会員さんたちのために作ったような店ですから、当然、旨くって、安い。しかも、たのしい。いつの間にか、店は、界隈でも有名な人気店になってしまっていたんです」。1号店は、思いもよらず人気店になったが、その後の経緯をみると、この人気ぶりが一過性のものでないことがわかる。03年12月に、「Lau-Lau」をオープンした翌年には、はやくも「十番スタンド」という2号店を出店。06年4月に「表参道スタンド」と「PASTA-FACTORY」をオープン。07年には社名をいまの「麻布スタイル」に変更し、同年11月「BISTRO川崎CITTA'スタンド」、08年12月「SUSHI浜松町スタンド」、10年3月にはハイネケンとのコラボで「青山スタンド」をオープンするといったように、ほぼ1年に1店舗のペースで出店が続いている。「すぐにお客様の反応が伝わってくる飲食業のおもしろさに惹かれ、いつの間にかこちらに主軸を置き始めた」というように、猪野自身も、すっかり飲食業に染まっている。

未経験だったから生まれたのかもしれない。「麻布スタイル」というスタイル。

ベンチプレスで160キロを上げたこともあるという肉体は、いささかは衰えたかもしれないが、それでも貫禄十分だ。その貫禄とは裏腹に、人なつっこく、優しさのある人間味が、スタッフの採用にも表われている。「人が好きで、仕事が好き。明るく、元気のある人」が、猪野が掲げる採用基準だ。このような考えは店作りにも同様に表われている。「飲食するというのは、非日常の世界ですよね。でも、ぼくは、それを日常の世界にしたいんです。だから、毎日、飲んで食べられるような単価に設定してあるし、まったく気取らずに入ることができる。飲食業界のコンビニエンスストアみたいなお店をつくっていきたいんです」と猪野はいう。たしかに、飲食店と一口にいってもいろんなタイプの店があるし、あってもいいだろう。しかし、飲食を通して何を提供するのか、それが明確でない店も少なくない。その点でいえば、猪野が展開する店は、明確なコンセプトで貫かれている。コンビニように、気軽に入れ、気取らず、楽しく、元気に、それでいておしゃれに、飲んで、食べて、笑う。これが、猪野の「麻布スタイル」。計算や経験に凝り固まった発想からは生まれない、シンプルで飽きがこない「飲食を素直に楽しむためのスタイル」ともいえるのではないだろうか。

思い出のアルバム
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