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第12回 株式会社リン・クルー 代表取締役 林直樹氏
update 08/05/13
株式会社ベイシックス
岩澤博氏
株式会社リン・クルー 代表取締役 林直樹氏
生年月日 1968年、東京都生まれ。
プロフィール 高校中退後、18歳から六本木のディスコに勤め、皿洗いからスタート。22歳の時に2つ年上のディスコ経営者に出会い、刺激を受けて彼の下で7年間働いて経営学を学ぶ。98年に(株)リン・クルーを設立し、代表取締役に就任。現在に至る。
主な業態 「かまくら」「もつ道」など
企業HP http://www.rincrew.co.jp/
かまくらの中で食事をするというユニークな個室空間「オリジナルダイニング かまくら」を皮切りに、「もつ鍋・博多めし もつ道」、「つくね十番」…と次々にヒット業態を生み出している(株)リン・クルー。今もっとも勢いのある外食企業のひとつとして注目を集めている林社長に直撃!彼のどのような経験が繁盛店を生んでいるのか。

2歳しか違わない社長に触発!一日中お伴して、経営学を学ぶ。

 私がサービス業に携わるようになったのは18歳の時。友人にディスコで働こうと誘われたのがきっかけでした。「どんなに華やかな世界なのだろう」と期待したのも束の間、初日から厳しい現実をつきつけられました。そこには上下関係の厳しい“夜の世界”が待っていたのです。
 午後3時から店に入って翌朝8時まで、私はずっと立ちっぱなしでした。しかもまかない休憩は5分だけ。食事は流し込むように食べました。仕事を終えて帰宅途中、普段は最寄駅から自宅まで10分程度で歩ける道を、初日は50分もかかってしまいました。過労で足がパンパンだったのです。「あんな店、二度と行くもんか!」と思いました。
 しかし翌日、目が覚めるとまた店に向かっていました。「一日で仕事の楽しさややりがいなんて分かるはずがない。あと一日だけやってみよう」と思ったのです。その繰り返しで、気づいたら約2年間働きました。
 もともと私は向上心が強い方で、いつも「上に上がりたい」と思っていました。当時はチラシを巻く販促がディスコ業界の通例だったのですが、私は人一倍本気でチラシを配りました。一見、ただ撒くだけの単純そうな作業ですが、「接客」ということを念頭に置いて配れば、回収率は上がるけれど、いい加減に撒くとそれが相手に伝わるのか、回収率が下がってしまうのです。「林くんがチラシをまくと回収率が上がるね」と周囲に言われるように一生懸命頑張りました。実際、そういったことが認められ、その店では中堅どころまで登りつめました。
 その後も、ヘッドハンティングされて同じようなディスコやクラブで働いたのですが、22歳の時、転機が訪れました。昼は音楽制作、夜はディスコ経営という会社に転職した時、先輩が遠くにいる社長のことを見ながら私にこう言ったのです。「君と社長は、2つぐらいしか年が違わないんだよ」と。
 当時の社長は24歳。一方、従える部下はほとんどが30代。“若くても社長になれるんだ!”とその格好よさに衝撃を受けました。それ以来、社長に近づこうと、一心不乱に働きました。もともと幼少の頃から「なるのなら社長か、もしくはスポーツ選手か…」と考えていたのです。
 4年ぐらいで営業部長、本部長、取締役…と登りつめ、ようやく社長と行動をともにするポジションにつきました。昼も夜も、社長の傍らで彼の一挙手一投足を観察して、会社とは、経営とはどういうものなのかを学びました。
 私は社長に対して、一度も「NO」とは言いませんでした。「君、できるか?やりたいか?」と問われれば、必ず「はい」と答えていました。私が大役を任されなかった時は、悔し顔で「社長、どうして私じゃないんですか」と聞きました。そんな私の「やる気」をくんでくれて、社長は「じゃ、次はお前な」と笑いながら約束してくれました。
 当時は数字の面でも実績を認めてもらおうと、結婚式の2次会やイベントなど、ディスコの営業時間外の売上げ確保にも奔走しました。ハードな仕事でしたが、“なりたい自分”に着実に近づいている実感があったので、少しも苦には感じませんでした。
 おかげで新店舗のコンセプト開発から店舗デザイン、開店準備まで、店づくりに関してはひと通り経験を積むことができました。最初は「社長に近づこう」という目標でしたが、次第に将来の独立を意識して、「自分の成長のために、いま吸収できることをすべて吸収しよう」と思うようになっていました。

創業10年で、6業態20店舗。この成長を支えているのは「人材」

 7年間の勤務を終えて、29歳の時、私はついに独立しました。個人的にはバーが好きだったこともあり、ディスコではなくフードサービス業界で事業を起こそうと思いました。とはいえ、新店舗を出店するほどの自己資金も、融資を取り付けるほどの実績もありません。
 そこで最初は六本木にあるブライダル・レストラン「タトゥー東京」の企画・オペレーション運営の業務に参加しました。次に、日本に初上陸したアメリカのテーマパーク・レストラン「モータウンカフェ横浜」の企画・オペレーション運営の業務に参加しました。こうして着々と経験と実績を積み重ねていったのです。
 独立から2年後、満を持して自分たちの新店舗「オリジナルダイニング かまくら渋谷店」を出店しました。当時、隠れ家的な個室空間が流行りだしており、東北地方のかまくらをモチーフにしたユニークな店として、すぐに話題になりました。
 一号店に関しては、渋谷駅からも近く、人の流れもよいという立地条件がよく、一緒にやってくれるオープニングメンバーも信用できる人材が揃っていたので、出店前から「ある程度、成功するだろう」と自信がありました。それでも2割ぐらいの部分では、「実際に蓋を開けてみないとわからないな」という不安はありました。
 「かまくら渋谷店」の開店直後は、私も一日中、店にはりついて踏ん張りましたが、順調にその後は軌道にのってくれました。
 そして、「かまくら」を銀座・新橋・池袋などに展開し、2007年には地方出店(宮城県仙台市)も果たしました。その他の業態の「もつ鍋・博多めし もつ道」や「串焼き・豆冨料理 つくね十番」なども好調に伸びてきているところです。これまでは客単価3500〜4000円のゾーンの店を展開してきましたが、昨年10月には、新しい試みとして客単価2000円の「串焼広場 えび八」を出店しました。
 振り返れば、独立して早10年。今年は創業10周年の記念すべき年です。現在、私が一番大切にしていることは「従業員とのコミュニケーション」。なぜなら「従業員の気持ちが分からないで、お客様の気持ちが分かるわけがない」と思うからです。
 現在、6業態20店舗(最新情報 要確認)を展開していますが、事業が拡大していく上で一番大切なのはやはり「人材」です。磐石な経営基盤を築くために必要不可欠な「人材」を最重要項目と捉え、目下、労働環境などの体制づくりを徹底しているところです。
   今後は、和食以外の新規業態にも挑戦していきます。このような今後の成長を支えてくれるのは、まさに「人材」です。リン・クルーで働いてくれるみなさんには、かつての私と同じように、学べるものをすべて吸収してもらい、自分のために成長していって欲しいと考えています。

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