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第121回 株式会社シャンティーカレー 代表取締役社長 大竹幸義氏
update 10/04/20
株式会社アドリブ
山岸大氏
株式会社シャンティーカレー 代表取締役社長 大竹幸義氏
生年月日 1971年2月東京品川に4人兄弟の末っ子として生まれる。
プロフィール 父は、古物商を営んでいた。中学卒業後、高校には進学せず、長野県にある斑尾高原スキー場でスキーを楽しみながら、現地のイタリアンレストランで6ヵ月間アルバイト生活を送る。その後、六本木にある有名飲食店に勤め、同店でVIP席を担当。芸能人をはじめ各界の著名人と出会い、人間性を高めていく。この頃には、すでにサーフィンにどっぷりハマっていた。29歳で移動式カレーショップを起業。現在は、生まれ育った品川に店も構え、旧東海道街づくり協議会の品川会にも参加。水辺担当として、次世代の子ども達に素足で楽しめる水辺を再現するための活動も開始している。
主な業態 「シャンティカレー」
企業HP http://www.shanti-curry.com/

年の離れた末っ子は、サーフィンにハマり18歳から2年間、父島で暮らす。

夜も寝ないで、海に出かけた。サーフィンの何が人を魅了するのだろう。虜になった彼らは、仕事とサーフィンを両立するため、夜のうちに海へ向かう。
今回、ご紹介するシャンティーカレーの代表取締役社長 大竹幸義もサーフィンに魅了された一人だ。18歳から20歳まで東京都の南端の島、父島で、サーフィンに明け暮れた。生活のため、昼間はインストラクターをやり、夜はレストランで働いた。
実は、こういうフリーな生活は2度目だった。中学卒業と同時に、スキー場のレストランに住み込み、6ヵ月間だが、スキーを楽しむ傍ら、レストランで仕入れを任されるサブリーダーまで昇格したことがある。
その後、東京に戻り六本木の有名な飲食店でVIP席を担当。芸能人をはじめ各界の著名人と出会い、人間性も、人間の幅も広げていく。
大竹は、1971年2月、品川に4人兄弟の末っ子として生まれた。全員、男子で一番上の兄とは8歳、次男とは6歳、三男とは5歳、離れている。子どもの頃から、年の離れた兄たちから刺激を受けていたのではないだろうか。大竹がスポーツ中心の生活をするようになったことにも、少なからず兄たちが影響しているような気がする。少なくとも、その影響もあり、早くから自立した少年だったことはたしかだろう。

サーフボード片手に各地を回り、やがて結婚。だが、結婚生活は4年しか続かなかった。

サーフィンの世界は広い。質のいい波を求め、国内はもちろん海外にも出向いていく。大竹もバリ島、ハワイ、カリフォルニアなどを旅し、そこで気の合った人たちと現地の料理に舌鼓を打った。こうした経験が、起業の際に活かされるのだが、当時は、おいしい料理を純粋に楽しんでいただけだった。
21歳になって父島から返った後、大竹は8年間、トラックの運転手を務めている。大竹自身、「くすぶっていた」という時代だ。24歳で結婚し、2人の子どもを授かったが、28歳になって離婚してしまった。「給与は安定していたんです。ただトラックの運転手は、荷物を届け、ハンコを貰い、帰ってくることが仕事なんです。残念ながら、父島で経験したような、人を感動させられるような仕事ではなかったのです」。会社の行き帰り、電車を使わず、歩きながら何をすべきか考えた。「もともと飲食店には興味があったんです。人を感動させられるのはこれだ、とも思っていました。でも、なかなか踏ん切りがつかなかったんです。だから離婚して何もなくなってしまった時に、逆に今がチャンスだと友人たちにも背中を押され、ついに起業を決意するのです」

ゼロからの出発。移動式カレーショップが走り出す。

起業を決意したことで大竹の目には、以前の輝きが戻ったのではないだろうか。大竹がまず考えたのは移動式のカレーショップだ。「同様のお店があって、これはいけるなと」、ただ真似をするだけではない、カレーの味も磨き上げた。「素材にも、ハーブとココナツの使い方にもこだわりました」。実際、この味ができるまで1年間、365日をカレーの味づくりに費やした。ようやく納得の味ができ、好天に恵まれたある日、はじめて移動式カレーショップが走り出した。向かったのは青山。よし行くぞぅ、大竹の気持ちは高ぶっていたに違いない。用意したカレーは100食分、前日にチラシも配布済みだった。「100食では足りないかも」という不安も頭を掠めた。
しかし、その日、売れたのは7食。うち2食は友人が買ってくれたものなので、実質5食である。あまりの計算の違いに、言葉もみつからなかった。子どもの頃からスポーツ万能、好きになれば何でもでき、実際、好きなように生きてきた大竹にとって「初めて味わった苦い挫折の味だった」。
ともかく、いまやグルメ情報サイトのカレー部門では、つねに1位にランクされるカレーショップの幕はこうして上がった。

いろいろな人に支えられながら移動式カレーショップは快走を始める。

週に1回、出会える店。これが移動式カレーショップのコンセプトだ。その後、場所を転々とした小さなカレーショップが、日の目をみるようになるのは先輩のタクシードライバーからの助言によってだった。「神谷町にランチに困っているところがある」。タクシードライバーならではの情報に、さっそくカレーショップを走らせた。みるみるうちに売れていく。「初日40食、以来10年経つ今も120食をキープしている」そうだ。こんなこともあった。「ホリプロの制作の方がふらりと買いに来てくださって、これはおいしいからと。値段も当時800円だったんですが、容器を換えて1300円にして持ってきてくれと、CM現場に連れて行ってくださったんです。それがきっかけになりケータリング事業が始まりました。今では6ヵ月先の予約まで入っているんです」。いろいろな人と出会いながら、移動式のカレーショップは快走し始める。その一方で、店も構えた。品川にある、カレーも食べられるスタンディング・バー「GALLERY AND STANDING BAR SHANTI」だ。

出会いと感動を求め、ギアを入れ替え、アクセルを踏む。

この「GALLERY AND STANDING BAR SHANTI」は、いうまでもなく超人気店に育っていく。だが、大竹は、「この店はもうすぐ閉めようと思っています」と意外な言葉を発した。「移動式とケータリングに全精力を傾けたいから」というのが、その理由らしい。さまざまな仕組みを、この1年かけてじっくり練り上げていく、という。現在のスタッフ数は12名。休日になれば、スタッフを集めて遊びにでかけることも多い。好きなサーフィンもまだ続けている。振り返れば、中学卒業と同時に旅をはじめ、スポーツにハマり、サーフィンに明け暮れた。趣味と仕事のバランスを取り続けながら、そこに出会いと感動を求めてきたのが大竹の生き様である。移動式、このスタイルを追求したいという裏にも、そういう生き様が垣間見える。ギアを入れ替え、アクセルを踏む。また新しい出会いと感動が待っているに違いない。

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