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第124回 株式会社ゲッツ・インターナショナル 代表取締役社長 宮上元伸氏
update 10/04/27
株式会社ゲッツ・インターナショナル
宮上元伸氏
株式会社ゲッツ・インターナショナル 代表取締役社長 宮上元伸氏
生年月日 1971年7月東京都文京区生まれ。
プロフィール 5人兄弟の三男。両親は上野で靴屋を営み、昭和50年に野方にお好み焼き屋を出店する。5人の兄弟にもまれながら成長した宮上は、社会に出ても、自らの立場を積極的に築いていく。兄の紹介で就職した不動産会社を皮切りに、ビジネスで頭角を現し、2000年に株式会社ゲッツ・インターナショナルを設立。飲食事業はもちろんのこと不動産事業、介護事業など多彩な展開を行っている。
主な業態 「鶏大将」「てるちゃん」など
企業HP http://www.gets-inc.co.jp/
多彩な人間もいる。我々からすればうらやましい限りだが、人生を振り返れば紆余曲折ともいえる道のりが見えてくる。今回ご登場いただく株式会社ゲッツ・インターナショナル 代表取締役社長 宮上元伸もまた、いくつもの事業を成功に導いた多彩な才能の持ち主である。今回はその過去を探り、経営というものについて触れてみたいと思う。

野球一筋の少年がスカウトの話を拒絶する。

1971年7月、宮上は文京区に生まれる。両親は靴屋を営み、後にお好み焼屋などを経営するようになる。兄弟は男ばかりで5人。宮上は真ん中の3男である。長男から末の5男まで、ちょうど一回り違っていたそうだ。さぞ、にぎやかな家庭だったことだろう。兄弟ゲンカも絶えなかったに違いない。忙しい両親だったが、「店を休み、家族旅行にも連れて行ってもらった」と宮上。家族思いの両親だったに違いない。温かい家庭ですくすくと育った宮上は小学2年生から野球をはじめ、高校まで続けている。高校進学時には、とある高校からスカウトの話まであったそうだ。しかし、宮上は、このスカウトの話を蹴り、通常通り受検して進学する道を選択する。たしかに野球は好きだったが、それ以上に与えられた道を進むことをよしとしなかった、潔い少年像が浮かび上がる。そこには宮上のもう一つの生い立ちが隠されているようにも思える。在日韓国人である宮上は2つの名前を持つ。子ども時代には、もう一つの名前でからかわれケンカになったことも少なからずあったそうだ。大人が作り上げた世界を、少年宮上は、どこかで否定していたのではないか。自分の道は自分で切り開く。少年の胸にはそういう意思が芽生えていたに違いない。

高校を中退。ビジネスのおもしろさに惹かれる。経営者、宮上の基礎が築かれる。

自ら厳しい道を選択し、進学した高校だったが、宮上は2年生で高校を退学している。多感な年頃だ。野球漬けの日々に多少の疑問を感じていたこともたしか。友人との遊びを覚えると、さらに野球が遠のいていく。今だからいえるが、この頃から酒も好きで、二日酔いで学校に通ったこともあったそうだ。高校をリタイヤした宮上は、兄の紹介で不動産の仲介やファイナンスを行っている会社に就職。一つ目の転機を迎えた。年齢は関係がない。そう思ったのは、この時だったのではないか。若くても誠実に仕事をすれば結果はついてくる、と。当初は、賃貸業務を任された。まっすぐな青年の姿に客が惹かれ、宮上の成績はグングン上がっていく。すると仕事がさらにおもしろくなる。給料も四ケタを超えた。21歳の時には成績で、会社のトップに立った。15人ほどいた先輩たちを軽々超えてしまったのである。23歳になった時には、子会社設立と共に宮上も資本をだし、社長として手腕をふるう。銀行からの借り入れも自分で行った。わずか20歳そこそこの青年が、である。1年で休んだのは10日と、宮上は当時を振り返る。それから2年、25歳の時には完全な独立を果たす。事業は不動産の売買がメイン。自信があった。23歳の時からやらざるを得なかったさまざまな経験が宮上を支えていたに違いない。バブルの後遺症がまだ残る頃だったが、逆にそれが良かったのかも知れない。大手不動産会社が負債を抱え汲々とするなか、新規に立ち上げた宮上の会社は順調に売り上げを拡大させていく。

30歳が起点に。飲食業をスタートする。

29歳、2000年1月に、宮上は、介護事業部として現在のゲッツ・インターナショナルを立ち上げた。そして、30歳。いろんなことが重なったと宮上はこの年を振り返る。一つは結婚。だが、それまでの経営のやり方が一つの問題を起こし、屋台骨が揺らいでしまう。「問題はほぼ1年で解決させましたが、代わりに今まであった貯蓄もすべて吐き出してしまいました」と宮上。実は結婚したら、セミリタイアすると公言していた。だが、ビジネスの神は、まだまだ宮上に楽をさせてくれなかったようだ。振り返れば、この時期が一番、苦しかったと宮上。とはいえ、すべてがリセットされたことで、新たな闘志がわいてきたのも事実だ。もうひとつ、宮上はこの年に、今までとは異なる事業を立ち上げている。それが飲食事業だった。リスクヘッジのため、という。バブル後に会社を興した宮上だが、不動産の危うさも、骨身に染みている。介護事業も、介護保険がスタートすると同時に始め、訪問介護は順調であったが、千葉の南流山で始めたシニアハウスが苦戦を強いられた。「当初は、なかなか入居者が決まらなく1年ほど赤字が続きました」。代わりに1年で初期投資のすべてを回収したのが飲食事業だった。父や母が営んでいた事業を回り回って、宮上も行っていくことになった。ちなみに宮上の兄弟はどうか。5人のうち宮上を含め3人が飲食業を生業としている。

リーマンショックのキズが癒え、いよいよ次の一歩を踏み出す。

さて、ようやく飲食に辿り着いた宮上だが、その時点ですでにいくつもの事業を行っていた。現在を起点に整理すると不動産事業や、介護関連の事業、スポーツ関連の事業、そして飲食事業である。企画・デザインの会社をはじめいくつかの別法人も興している。すべて順調というのは、言い過ぎかもしれないが、バランスが取れている。唯一、問題があったとすれば2008年のリーマンショックによるものだった。不動産市況が一気に冷え、飲食店も少なからず影響を受けた。実際、この時に数億円もの借金を抱えてしまったようだ。店舗も数店、閉めた。決断は早い。それが宮上の持ち味の一つである。一気に時代に合わせて会社・グループを立て直し、借金もすべて返済した。現在、飲食事業の店舗は直営で11店舗、社員のために用意した別会社で5店舗ほどを運営している。こう考えれば宮上にとっての飲食業は何か、と問いかけたくなる。もしくは宮上がつくる飲食業とは何か、という問いである。飲食業は、起業した人の7割が失敗するという。安易な思いで起業した人ばかりではないだろう。しかし、現実は厳しい数字を残している。にも、かかわらず宮上は、成功した。その観点からみれば、飲食店の成否のカギもやはり、経営という言葉に収斂されていくのではないか、と思えてくる。若くして経営に携わり、その手腕を磨いてきたからこそ、成功の二文字を手にすることができたのだろう。そういう意味では、宮上に学ぶことの意味はきわめて大きいといえるのではないだろうか。

もう一つある。宮上に経営の真髄を聞けば、きっと「人」という答えが返ってくるに違いない。この意味を知っている経営者が意外に少ないことも付け加えておきたい。できあがったレールのうえを走らない。走る道は己で決めてきた宮上だからこそ、何を大事にするかを知っている気がしてならない。

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