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第129回 有限会社山路フード 代表取締役社長 松井大輔氏/常務執行役員 伊原木智広氏
update 10/05/25
有限会社山路フード
松井大輔氏

伊原木智広氏
有限会社山路フード 代表取締役社長 松井大輔氏
生年月日 1971年9月生まれ。
プロフィール 飲食業を営む両親に育てられた。仕事人間という父親の教育は厳しく、何度も家を追い出された。高校までは秀才と言われ、県内トップの進学校に3位で入学するも、卒業時には下位から3番目まで落ち込んだ。大学はスグに中退。独自の起業を追いかけつつも、父の後を継ぎ、32歳の時に山路フードの社長に就任する。
有限会社山路フード 常務執行役員 伊原木智広氏
生年月日 1972年4月生まれ。
プロフィール 高校時代に、松井の父の下でアルバイトを始める。ファッション関連の会社にいったん就職したが、そこを飛び出し、再び松井の父の下に戻り、正社員になる。後に松井と共に「ゆるり。」ブランドを立ち上げる。現在は常務執行役員。松井の右腕となり、有限会社山路フードを支えている。
主な業態 「ゆるり。」
企業HP http://www.yururi-y.com/

息子と「息子のようにかわいい自分の店」がいっしょに生まれた。

山路グループの創業者であり、現在、会長を勤める松井の父が仕出弁当店を開業したのは、ちょうど松井が誕生した頃。父にすれば息子と店が一緒に生まれたようなものである。自宅を改造し、小さな店をオープンした。これが、山路グループの始まりである。「父が26歳の頃の開業です。当時は金銭的な余裕もなく、資金調達にも苦労したようです」と松井は語っている。長男の松井と弟と妹の3人兄弟は、店を切り盛りしながら忙しく働く両親の背をみながら育っていく。松井が物心ついた時には、両親が店のことで口論することもしばしばあったそうだ。事業が安定期を迎えるのは松井が中学生になった頃だろうか。仕出弁当店は徐々にサービスエリアを拡大。居酒屋ブームの火付けともなった「つぼ八」のFCにも加盟することになる。だが、それからも拡大路線を主張する父と経理を担当しながらブレーキを踏む母は、言い争いをすることが少なくなかった。まだ子どもだった松井は、そういう両親の姿を通して飲食業を捉えていく。だから、飲食業はやりたくない仕事の一つだった。

厳しい父に、家を追い出され、友人の家に逃げ込んだ中学時代。

中学になると父との仲も険悪になる。「ことあるごとに厳しく叱られた」と松井は当時を振り返っている。拳骨が飛んでくることも少なくなかった。ダラけていると、家を追い出されたこともある。中学といえば反抗心が芽生えてくる頃。松井は厳しい父に反抗し、家を飛び出し3ヵ月戻らないこともあったそうだ。そういう生活をしながらも、松井の成績は良く、県内トップの進学校に3位の成績で合格している。ちなみに、中学ではバレーボール、高校ではサッカー部に所属。スポーツもできる少年だったようだ。だが、高校の3年間で成績がグルリと反転する。上位3位で入学した松井の成績はみるみるうちに下がり、卒業時には下位から3番目というありがたくない順位となった。父への反骨心が、そういうカタチで表現されてしまったのかも知れない。その後、大学に進学した松井だが、スグに中退してしまっている。

「温かさに感動した」、伊原木という少年。

もう一人、「ゆるり。」ブランドの創業者ともいえる伊原木からみる松井の父、つまり当時の社長像は、少し違う。高校生の時からアルバイトを始めた伊原木には、厳しい印象と同時に思いやりのある社長という印象がある。「ある時、社長がふらりと厨房にやってきて、お前たち何も食べてないんだろう。だったら俺がつくってやるぞといって、昼のまかないをつくってくれるようなやさしい社長だったんです」。その温かい印象が残り、後に社員として入社することになったと伊原木は語っている。父の姿をみて、松井はいったん飲食業に嫌気がさすが、逆に伊原木は松井の父によって飲食業の道をあゆみ始めることになる。伊原木と松井が出会うのは、松井が21歳の時。だが、「それまでも真面目で良く働く奴がいるな」という印象を持っていたそうだ。ともかく伊原木が店にやってきた頃、松井は大学を中退し、知り合いを通じて兵庫県の姫路にあった弁当店に就職している。

父親がライバルだった頃。父を超えるために。

父親に負けたくない。松井のモチベーションの一つはそれだった。やがて松井は、飲食事業を展開する山路フードの社長として父の後を継ぐのだが、引き継いだ当初は、「それだけしか利益が出せないのか」と、父から責められたそうだ。「父は父で仕出弁当事業を行う山路フードシステムの社長をしていました。だから、どちらが利益を出すか、どちらの考えが正しいか、白黒をつけてやろうと意気込んだものです。後から思えばそういう風にしてコントロールされていたんでしょうが、当時は、おやじに負けてなるものか、それが最大のモチベーションだったんです」。当時、山路フードは、「つぼ八」「かにの店」を7店舗展開していた。主力だった「つぼ八」の業績に翳りが見え始めた頃でもあった。松井は、伊原木と共に、つぎの展開を考え始める。目に見える業績の悪化と、このままでは父を超えることができないという2つの思いが、松井を駆り立てた。

松井と伊原木の両輪が揃い「ゆるり。」を新たな店に導いていく。

「社員たちの間からも新しい業態にチャレンジしようという機運が盛り上がっていました。サントリーグルメ事業部の方にもサポートいただき、業態変革に取り組んでいくのです」。その時に生まれたのが「ゆるり。」。松井が29歳の時にオープンした平塚湘南店が第一号店だ。松井と伊原木という2つのエンジンを持った山路フードは、「つぼ八」をたたみながら、一方で「ゆるり。」を開業、現在、5店舗に達している。「ゆるり。」は極めて個性的な店舗だ。内装にもかなりの費用をかけている。父とは異なる方法で、父を超える店づくりを行う松井の念頭にはそういう思いがある。一方、社長だった松井の父に感謝し、託された事業を発展させようという思いが伊原木にはある。その、それぞれの思いが互いのいまの役割に表われているような気がしてならない。松井は、「異業種の交流会にも積極的に参加する」という。飲食だけではなく、農業など、日本全体のことも考えていきたいという思いからだ。2009年には、のべ60日も中国に出かけている。松井が、そういうことができるのも「ゆるり。」を任せられる伊原木の存在があってこそ。「40歳になったら、加速度的に出店する」と松井はいう。それを支えるのは伊原木の役目だろう。いずれにせよ、2つの両輪が息を一つにして回転している。そんな2人を会長になったいま、松井の父は、どんな顔で見詰めているのだろうか。

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