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第135回 東急グルメフロント株式会社 代表取締役社長 木村知郎氏
update 10/06/15
東急グルメフロント株式会社
木村知郎氏
東急グルメフロント株式会社 代表取締役社長 木村知郎氏
※2011年9月末現在 代表取締役 堀田 正道氏
生年月日 1964年1月29日、東京都世田谷区生まれ。
プロフィール 父2人兄弟の次男。兄とは4歳離れている。父は公務員、母は専業主婦という家庭で育つ。中・高とサッカーを続け、大学時代はスキー同好会に所属し、1年の3分の1を山で過ごす。飲食業との関わりは高校3年から。ステーキハウス「フォルクス」で始めたアルバイトが最初である。大学卒業後、東急電鉄に入社。さまざまなセクションを異動し、その度に貴重な経験を積みながら2006年、飲食事業を担う「東急グルメフロント」の社長に就任。就任以来、企業同士の改革と人材育成に努める。土壌作りを行いながら新たな海外ブランドの展開などを開始している。
主な業態 「フードモール長津田」など
企業HP http://www.tokyu-gf.jp/

優秀な兄と、平凡な弟。

1964年1月29日、今回、ご登場いただく東急グルメフロント株式会社 代表取締役社長 木村知郎は、東京都世田谷区に生まれる。父は公務員で母は専業主婦、4つ上の兄がいた。兄はスポーツでも勉学でも常にトップクラス。海外の大学にも留学し、MBAも取得している秀才だ。一方、木村は、中学受験に失敗し、公立中学に入学。やがて成蹊大学に進学している。兄ほど上手くはなかったが、スポーツ好きの少年だった木村は、中・高とサッカー部に所属。大学ではスキーの同好会に入り、1年のうち100日間を山で過ごしたというほどスキーにのめり込んでいる。その大学進学前、高校3年から始めたのが、ステーキハウス「フォルクス」でのアルバイトだった。その時はまさか、将来、飲食業の社長になるとは思いもしなかったに違いない。だが性に合ったようで木村は大学卒業まで続けている。一方で、年間のうち100日過ごしたという山(スキー場)では、ペンションに住み込みで働きながら、スキーのトレーニングと指導をしていた。バイトとスキーばかりの大学生活だったが、唯一、ゼミの授業にだけは真剣に通った、と木村は振り返る。もともと成蹊大学を選択したのも、「国際政治学」を志していたからだ。そこで学んだことはいまも木村は忘れない。「限りなく客観性に近づく努力をすること」。この考えは、その後の木村という社会人を形作る、ベースになっていく。

兄が諭した一言でコンプレックスが消える。

少し時代を巻き戻し、大学進学を目の前にした当時の話もお伝えしよう。実はこの時、木村は、周りの声が気になってしかたなかった。「兄はもちろんですが、親戚もみんな出来がよく、悪くて『早・慶』という感じでしたから。私は成蹊大学に行きたかったんですが、なかなかふん切れなくて」。そんな時に、木村は初めて兄に気持ちを打ち明けた。「すると兄は『何を気にしているんだ、行きたいところに行けばいい』と言ってくれたんです」。あれ、なにか違うなと、木村は思ったのではないだろうか。自分が気にしてたのはなんだったんだろうか、とも。ともかく、その一言で、兄に対するコンプレックスまで一気に消し飛んだそうだ。木村を長年覆っていた一つの殻が破れた瞬間だった。ゼミの教授の話が、その後の木村を形作ったと話したが、この時点で木村の人生がリセットされていたこともまた大きな意味を持つのではないだろうか。

東急電鉄入社。

大学卒業後、東急電鉄に入社してからも、木村はさまざまな仕事に就いている。「キップ切り」から始まり、東急が経営していたガソリンスタンドの店員、田園都市線開通のための区画整理を行う事務所での勤務、本社「生活情報事業部」での勤務と続き、1989年、横浜で開催された博覧会で「ビュッフェスタイルレストラン」の企画を担当。同年、「イタリアンレストラン」の出店を自ら直訴し、業態開発からリードし、人気店に育てている。ふたたび、本社に戻り、今度は、当時、不振に追い込まれていたガソリン事業の建て直しに駆り出される。ポイントカードを導入し、東急グループの資産を有効活用しつつ、業績の維持に努めた。そして98年から、総務課長になりグループ全体の対外交渉が任されるようになる。東急グループともなれば持ち込まれる案件も、処理しなければならない案件も多い。交渉一つがグループ全体のゆくえを左右することもある。ともあれ、この課長時代の8年間が、もっとも厳しく、かつさまざまなことを学んだ時期である。その後、現在の東急グルメフロントに専務として入社。2006年、社長に就任するのである。

東急グループはもちろん社会に対して、何かを発信できる飲食店を目指す。

さて、木村の人生を俯瞰すると、いくつかのターニングポイントがある。一つは、兄に対するコンプレックスが霧散した時だ。もう一つはゼミの教授から客観性の大事さを学んだ時だ。フォルクスでバイトをしたことも、横浜博覧会で「ビュッフェスタイルレストラン」を企画したことも、イタリアレストランを行う引き金になった。社会の裏も表も覗いた「対外交渉」の総務課長時代も、一つの分岐点にはなっただろう。しかし、そのなかでも自ら考えること、自ら進む道に誇りを持つことの大事さを学んだのは、やはり兄に言われた一言だったような気がする。飲食業は改善したとはいえ、まだまだ社会的なステイタスが低く見られがちだ。だが、そこに誇りを持てと木村はいう。「お前は、お前のやりたいようにすればいいではないか」。それによって初めて自立心が生まれるのだと木村は言いたいはずだ。その誇りが、社員全員のものになった時、「東急グルメフロント」は、東急グループはもちろん社会に対し、新たな何かを発信できる会社になっているに違いない。その取り組みの一つとして、木村とスタッフたちは「ナショナルブランド」の導入を行うなど、積極的な活動をすでに開始している。

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