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第146回 株式会社プランズ 代表取締役 深見浩一氏
update 10/07/06
株式会社プランズ
深見浩一氏
株式会社プランズ 代表取締役 深見浩一氏
生年月日 1976年11月4日、京都生まれ。
プロフィール 生まれてすぐ横浜に転居し、小学3年から再び京都に戻る。大学卒業後、上京し大手飲料メーカーに就職。2年間勤務後、大手飲食コンサル会社に転職。クライアントの店舗再生を行なう中、支店長などに抜擢され活躍。2006年株式会社プランズ設立。居酒屋『炎丸』、BBQレストラン『ENMARU』を運営する他、2010年3月からは焼肉『でん』関東30店舗の運営を行なっている。株式会社ゼンショク取締役、関東営業部執行責任者。株式会社ゼンショクトレーディング代表取締役。NPO法人居酒屋甲子園専務理事。
主な業態 「炎丸」「ENMARU」「でん」
企業HP http://www.prunz.jp/
思い入れの強い飲食事業を起点に独立。基盤ができた今は、自分、そして社員が飲食に限らない、やりたい事業や仕事を実現する場が株式会社プランズとなっている。次は海外進出、その次ぎは東京での学習塾運営...。 ユニークで驚きのある展開から、もう目が離せない。

負けず嫌い

株式会社プランズは、2010年9月に初の海外進出となるシンガポール出店、そして翌年6月にはまったくの異業界進出となる学習塾のスタートを控えている。「やりたい社員がやりたい事をするために会社を作った」という深見氏は、この新しい事業実務を、手を上げて構想から加わった信頼する社員に任せるつもりでいる。昔から思い入れの強い飲食事業でプランズの基盤を作った深見氏は、そこからの自由で縛りのない会社の飛躍、仲間とも言える社員の成長を楽しんでいるようにも見える。
1976年11月、京都に生まれた深見氏は、研究者の父親の仕事の都合で間もなく横浜に転居。小学校2年生までを過ごしたあと再び京都に戻ってくる。やんちゃで大の負けず嫌い。阪神ファンが圧倒的多数を占める教室にジャインツの帽子をかぶっていったり、関西弁を封印し男っぽく横浜言葉を使うなど、いつも目に見えないファイティングポーズを崩さない目立った存在だった。
しかし元来の乱暴者とは異なる明るく楽しい性格は女の子からも人気で、小・中・高を通して彼女がいなかった時期はないという。ワクワクするような楽しい毎日。そんな深見氏の生活スタイルに変化が現れるのは高校3年の時だった。
それまでどちらかといえば地味で目立たないクラスメイトが、有名大学を受験するという理由でヒーローになっていき、自分がかすんでいったのだった。「お前も勉強しろよ」、そう担任に発破を掛けられたものの時すでに遅し。悔しさに砂を噛む思いだったという深見氏はそこから一念発起し、1日15時間勉強する浪人時代を経て京都大学経済学部に入学する。

目指すは飲食ビジネス

だが、大学入学と同時に夢中になったのは勉強ではなくアルバイトだった。居酒屋、スナック、バー、フレンチ、弁当屋...。様々な業態を経験する中で大繁盛している店を目の当たりにし、飲食の面白さにハマっていく。「しかもその店は店長が繁忙期に抜け出したり、料理人が厨房で喧嘩したりしている店なんですよね。これで繁盛するなら自分ならもっと凄い人気店を出せると思ったわけです」。
独立に向けて勉強しようとまずは大手飲食企業を目指すが、「それなら業務用の世界を学んで人脈を作ってからでも遅くないよ」という父親のアドバイスで、深見氏は大手飲料メーカーに就職する。ちょうどその会社はリキュールブームで業績がよく、営業職に就けば多くの飲食店を見る機会に恵まれると深見氏は考えたのだった。しかし入社後の配属は、なんと本社マーケティング部門だった。
結果的に深見氏は、その大手飲料メーカーを2年で退職してしまうが、この時の経験が今、大いに役立っているという。例えば書類や企画書の作り方、数字の組み立て方、予算の作り方、プレゼンの仕方…。マーケティング部門で徹底的に“仕込まれた”おかげで、独立後、銀行やディベロッパーの説得に力を発揮し、4号店の準備資金として8000万円の融資に成功している。
さて、大手飲料メーカーを退職した深見氏は、実際の店舗運営、店舗経営をよりリアルに学ぶため転職。その先は、飲食コンサルを手掛けるベンチャー企業だった。

結果を出す店長、そして支店長

深見氏が次に選んだのは、クライアントである飲食店の立ち上げや立て直しを"店長の派遣"というスタイルで支援・実行する飲食コンサル会社。当時FCブームで様々な飲食チェーンが乱立しており(例えば駅を挟んで同ブランド店が客の奪い合うといった状態)、オーナーは生き残りに必死。実際に店長として人が入り結果を出してくれるこの会社への期待は高く、深見氏も入社と同時に仕事を任され現場に出て行った。
「商品や業態は変えられませんから、チーム作りとオペレーションのテコ入れが大事になります」。店長として入った店で注力したことは、“ベース作り・マインドアップ・手法導入”の3つだった。可能なスタッフ数を減らして人件費を削減し、残った人材に闘魂を注入して戦力化する、そして販促・フェア・リピーター呼び込みの施策実施を強化する。これで6カ月後には必ずと言っていい程結果を出していった。
実績を上げるという形で頭角を現していった深見氏は、それから様々な場面で“抜擢”されるようになる。それは自社の直営店の運営者であり、関西支社開設時の支社長であり、本社の事業部長のポジションなどである。もちろんその都度会社を納得させる結果を出した深見氏。例えば関西支社は、1年半でまったくのゼロから年商10億円売り上げる支社に育て上げた。
現在深見氏が取締役を勤める株式会社ゼンショクは、実はこのコンサル会社勤務時代、運営店舗に店長として入ったことがきっかけとなって知り合い、その後社長に声をかけられ迎え入れられたという縁。今年3月からは、ゼンショクの焼肉店『でん』の関東30店舗の運営を一手に任されているというから信頼は厚い。

やりたい人がやりたい事を

深見氏がプランズを設立したのは2006年。現在、居酒屋『炎丸』などを都内に複数店舗展開し、冒頭で紹介したように今年は海外進出も控え勢いを増している。「飲食店というのはお客さんに納得感があるかが大事なんだと思うんです」。深見氏はメニュー開発や価格決定などを主に行なっているが、そこにはプロのセンス、プロの遊び感覚が大事で、お客様が会計時に「おっ、以外と安かったな」と感じる“何となく”に勝つことが腕の見せ所だという。
そして飲食事業で基盤ができた今、深見氏はさらにプランズらしさを発揮していこうと考えている。「プランズは僕に限らず社員がやりたい事をやれる会社にしようと思って作った会社なんです」。その言葉を裏付けるように、今は着々と学習塾のスタートに向けて準備が進められている(塾をやりたいという部下がいたことがきっかけ。その本人はとある学習塾のFC部長を勤めながら経営ノウハウを学んでいる)。
そうそう、深見氏が専務理事を勤めるNPO法人・居酒屋甲子園についても触れておこう。居酒屋『てっぺん』の創業者、大嶋啓介氏をはじめとする飲食業に熱い4名が定例飲み会で“誰の店が一番か”もめた際、「パートナーズフォーラムの居酒屋版の企画書を作るから大会をやって、正々堂々と勝負しよう」と提案したのが深見氏であり、その実現に向けて奔走し現在に至っているのだという。
童顔のせいもあり少年のように熱く、明るく、エネルギッシュ。車にも時計にも興味がないという飾らない経営者に「息抜きの時間は?好きな時間は?」と聞いてみた。「片道1時間半の電車通勤中に考えをまとめたり、中国語の勉強をしている時」。その意外性がまた魅力的に感じられ、これからますます暴れて、面白いことにチャレンジするであろうプランズに期待してしまった。

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