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第149回 株式会社アバ 代表取締役社長 徳永 弘氏
update 10/07/13
株式会社アバ
徳永 弘氏
株式会社アバ 代表取締役社長 徳永 弘氏
生年月日 1959年6月 東京都新宿区に生まれる。
プロフィール 4人兄弟の次男。母子家庭で育ち、中学卒業後、高校には進学せず、アルバイトを開始。20歳の時に就職した会社の社長と出会ったことで、転機が訪れる。仕事の意味、はたらくことの意義を知る。その後、会社を移り、ライブハウスの責任者などを経て1995年12月、37歳の時に独立。1998年12月株式会社アバ設立。現在、首都圏中心に「ホルモン道場 輪倶闇市」など人気店を14店舗展開している。1号店以来の、「うまい」「安い」「ヘルシー」の3本柱は、いまも健在だ。
主な業態 「ホルモン道場 輪倶闇市」
企業HP http://www.linkyamiichi.com/

母の手一つで育てられた少年は、社会に背をそむけながら、生きる。

「オレ、貧乏だったから」。株式会社アバ 代表取締役 徳永 弘は、あっけらかんと過去を振り返った。兄弟は4人。ただ、妹を幼くしてなくした。3人の兄弟を母が一人で育てていく。在日韓国人。国籍が違ったことが、多少なりともハンディになったかもしれない。小学生の頃の徳永は泣き虫で、なにかあるとすぐに兄と姉の背に隠れるような少年だった。ところが、中学になると一転、悪友たちとの付き合いが始まる。警察のやっかいになったこともあるそうだ。「母親の苦労を知っているのに、だめだよな。あんなことしちゃ」と苦笑いするが、当時の徳永には、それが精一杯の生きかただったのだろう。高校には進学しなかった。「勉強嫌いだったから」というが、家庭の状況を徳永なりに考えたうえでの決断だったのではないだろうか。ただ、正規の職には就かずアルバイトで仕事を転々とする。友人たちとの遊びはまだつづいている。「昼間は、学校に通っている友だちと遊び、夜になって独りバイトをした。だから、眠くてしかたなかったな」と徳永。社会に出ても、本人曰く「社会を舐めきっていた」。

社会を舐めきった青年が出会った一人の経営者。

「国籍・学歴一切関係なし」。求人雑誌をみていたとき、たまたま目を留めた、ある金融会社の広告に惹かれ応募した。これが徳永の人生を大きく変える出会いを生む。徳永、20歳。面接で、いきなり怒られた。「面接の時ぐらいスーツで来い」。実を言うと、「金融会社は仕事がラク」と友人から教えられていた。ヤクザっぽい人たちがいるのでは、と思っていたのも事実である。だが、まるで違っていた。遅刻をすると激しく怒られた。8時前には会社に入り、21時前後まで毎日、はたらいた。だが、包容力のある社長に、徳永は魅了される。「ウソをつくな」「人の足をひっぱるような人間にはなるな」、一言、一言がしみ込んでくる。「人間としてどう生きるかを教えていただきました」。社会を舐めきっていた青年が、社会と初めて真摯に向き合うことができたのは、間違いなくこの時に出会った社長のおかげだった。いまも2人の付き合いはつづいている。その社長のまえにでると、いまでも徳永は小さくなってしまうらしい。徳永にとって、人生の恩人、もう一人の父親のような存在といえる人だ。

1995年12月。1号店オープン。

3年近く、その社長の下で修行したのち、転職。親戚の叔父が営んでいた「ラブホテル」を手伝い、20代の後半になると「ライブハウス」の責任者を任されるようになっていた。この会社が一番、長く15年ほど勤務している。ところで、起業を考え始めたのはいつ頃からなのだろうか。「最初は友だちといっしょに蕎麦屋をやろうといってたんですが、結局、私一人で焼肉店を開くことになったんです。それが37歳の頃。それまで起業というのはあまり頭になかったんですが」。慎重だったわけではないだろうが、実際に、1995年12月、横浜市中区曙町に「ホルモン道場 闇市倶楽部 曙町店(現、輪倶闇市 曙町店)」を開店した時には、まだ徳永は2足のわらじを履いていた。つまり、まだ「ライブハウス」にも籍を置いていたのだ。「この闇市倶楽部は先輩からのれん分けしてもらったお店なんです。ただ、その店は東京にあって、私は曙町で出店しましたから、肉の仕入れからすべて自前で開拓していかなければならなかったんですが」。ライブハウスの仕事を通じ、接客から経営のノウハウまで学んだ徳永だったが、飲食はアルバイトで経験した程度。果たして、起業は成功するのだろうか。

想定以上の売上。1号店は初月から、順風満帆に走り始める。

曙町。17坪。ホルモン中心の焼肉店。開業資金は800万円の資金内でなんとか収まった。想定売上は450万円。準備が、整った。12月9日、いよいよオープン。初月から、誤算だった。想定の売上を遥かに上回る600万円を売り上げたのだ。年が替わり、翌年1月、2月になっても、売れ行きは衰えない。2足のわらじを履いている徳永は一瞬の間でも眠りにつく芸当を覚えた。4月からは、毎月100万円ペースで売上がアップし、またたくまに1200万円を売り上げるまでになった。「ほかに店がなかったからでしょうね」というがそれだけではないだろう。「お客様を思う徳永の気持ち」が、客にも伝わったからではないだろうか。元気な言葉のキャッチボール。徳永が大事にすることの一つだ。1年経った頃に、徳永は会社を辞め、店一本に絞った。2年半後には、横浜市中区長者町に「ホルモン道場 闇市倶楽部 長者町店(現、輪倶闇市 長者店)」開店。その後も順調に店舗数を拡大していく。一見、順風満帆のように思えるが、むろん、厳しい時期もあった。部下にも騙された。そんなときに思い出すのが、母から教わったことだった。「困難さえも糧にしろ」「人には迷惑をかけるな」「神様は、乗り越えられる人にしか試練を与えない」…。その一言、一言が徳永を支えつづけた。

「繁盛店づくり」から「人づくり」へ。DNAを受け継いでくれる人を待っている。

今後の方向も伺ってみた。「出店するというより、組織強化をしていきたいですね」と徳永。昨年から新卒採用も開始したそうである。このインタビューを行なった2010年5月現在、徳永は51歳になる。まだ引退には早い。現場にも出ていく、と本人も語っている。だが、その「現場に出る目的」は「人づくり」のためにほかならないのではないか。いずれにせよ、次世代を任すことができる人材の育成が、今後の課題になるは間違いない。徳永は社員に良く「自家発電をしろ」というそうだ。「他人に言われてからではなく、自分で考え実行すること」「売上は誰かがではなく自分でつくっていくものだ」ということらしい。あいさつの大事さもスタッフにいちから教えている。「たとえば、入れ替わって入る時があるでしょ。その時に、テーブルを回って『この時間からは私が担当することになりました。今日のオススメもう食べられましたか』なんて、あいさつすればどうですか。悪い気はしませんよね。」「ちょっとお料理が遅れたときには、お客様が帰られる時に、一言、『すみません。今度は、遅れないようにしますから』っていえるかどうか。小さなことですが、こういうのが大事にできるお店や人をつくっていきたいですね」と徳永はいう。「純粋」「まじめ」「愚直」、徳永の話を聞いていると、そんな言葉が頭に浮かんでくる。徳永のこの愚直さを、正面から受け止め、取り込んでいける人が、つぎのアバを担う人になるのではないだろうか。

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