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第155回 株式会社秀穂'(しゅうすい) 代表取締役 草野秀雄氏
update 10/07/27
株式会社秀穂'
草野秀雄氏
株式会社秀穂'(しゅうすい) 代表取締役 草野秀雄氏
生年月日 1943年8月3日、東京生まれ。
プロフィール 父高校卒業後、東京都職員となり、その後トラック、タクシー、大型トレーラーの運転業務に就く。運転中の事故をきっかけに28歳で脱サラ・独立。飲食の世界へ。1972年に千葉市にラーメン店を初出店し1982年に『とん太』FC事業を開始。2005年よりフリーネームという新スタイルのFCを提唱し、2010年現在までに600店以上のFC展開を構築。“食品メーカー”というポジションに立ち業務用食品開発を行なう他、高速道路サービスエリア、駅の道経営にも乗り出し成長中。著書『売れない時代の成功戦略』など。
主な業態 「とん太」「会津屋」
企業HP http://www.shusui.com/
行列のできるラーメン店で業界デビュー。その後、自由度の高い"フリーネームシステム"というFCを業界に先駆けて開発・展開し、多くの「飲食を生業としたい」オーナーたちを支援している。さらにはフードコート、道の駅等々のプロデュース...。目覚ましい事業拡大を「まだまだ基礎固め」と考える草野氏に、 これまでのキャリアと未来予想図を聞いた。

ドライバーからラーメン屋の親父へ。28歳の転身

「まるで天の声が届いたかのように、ペンを持った手がすらすらと動く」。これは株式会社秀穂'の社長、草野氏が新メニューを考えつきレシピ作りを行なう際のこと。ひらめいたまま紙に書き付けるだけのメニュー開発だが、不思議なことに一度も食したことのない食材やその使用グラム数までをも書き込み、しかし実際に試作してみると「ドンピシャの味になっている」というから凄いのだ。
「僕は何か(誰か)の媒介というだけなのかもしれないね(笑)」、そう話す草野氏がこれまでに開発したメニューは何百という種類。すべてはレシピとして残され、今やB4サイズ用紙で8Kgの量になっている。そしてそのオリジナルレシピは株式会社秀穂'のお宝であり、飲食業界で成功したいというたくさんの飲食店オーナーたちの宝物ともなっている。
1943年8月、東京・浅草に生まれた草野氏はいわゆる下町の人情と活力に囲まれて育つ。地元の高校を卒業し、選んだ職業は東京都職員。しかし運転免許を持っていたことから重宝がられ、配属によって自動車運転の仕事を任されることとなる。そして経験を積むうちに「同じ運転ならばもっと高い給料を得たい」と考えるようになり転職。その後は定期便、タクシー、トレーラーなどの運転手となって朝夕を問わず全国を走り回った。
飲食業界への転身は28歳の時。トレーラー運転中の大事故で2カ月半の入院という痛手を負った草野氏は、妻と生まれたばかりの子供のために職業変えを決意する。
「当時の月収は現在の価値に換算して60万円はあった」というから大きな決断だったと言えるが、一度決めると即行動の草野氏。「俺はラーメン屋の親父になるよ」と、退院後、知り合いの店に修行に入る。
しかしたった3日の修行で味を掴んでしまった草野氏。貯金と親戚の融資を元手に千葉にラーメン店をオープンする。しょうゆ、塩、味噌をラインナップしたオリジナルのラーメン店。時は昔ながらの"支那そば"がスタンダードな中で"どさんこ"が衝撃デビューし流行り出した時代。"草野オリジナル"への評価を家族、親戚も緊張して見守った。

半年で行列。お客様が営業マンに

『ラーメンとん太』の店主となった草野氏は、朝9時から翌朝5時までお店に立ち続け、ろくに睡眠もとれない日々を過ごすが、オープンから半年で行列のできるラーメン屋に育て上げ、それからは様々なことが順調になっていったという。
「親戚やお客様が次々とこの味で俺にも店をやらせてくれ!と言ってくれる」。営業せずとも自然と人が集まり店舗拡大の土台が作られていく。株式会社秀穂'は、社員120名となった今でも営業は4名しかいないが、それは創業当初からの伝統らしい。草野氏は味に惚れ込んでくれた人が続々手を上げて参加してくれる、ある意味"自然の成りゆき"を利用し、FC展開の先駆けを実現していった。なんと独立から5年経った1987年には、100店を展開することとなる。
ところが草野氏は、ラーメン屋の親父から経営者に自身も成長していくうちに、従来のFCの在り方に違和感を感じるようになる。それは"オーナーの縛り"による弊害だ。オーナーがもっとハングリー精神を持ち、楽しくやりがいをもって商売をできるよう、本部は契約内容において自由度を高めるべきだと考えるようになる。突き詰めた結果導き出した答えは『フリーネームシステム』という、まったく新しいFC展開の実現だった。

ラーメンファンを増やすニーズ作り

「オーナーが自由に好きな屋号をつけていいし、本部にロイヤリティを払う必要もありません」。草野氏が始めた『フリーネームシステム』FCは、傍から見ると店を立ち上げたオーナーの立派な独立店にしか見えない。しかしその裏で、秀穂'ががっちりとオーナーを支え、またタッグを組みラーメンファンを増やそうとしているのだ。
例えば青森と島根では求められる料理や味付けが異なる。草野氏は、何百というメニューの中からオーナーが店舗で提供する料理を選択できるようにしており、また既存メニューではカバーできないとあらば自ら取材・研究し、レシピを作成し試食会を開いて提供する料理を生み出していく。4月のある日はこんな試食会が行なわれた。
夏に向けての冷やしつけ麺、とんこつラーメン2種、味噌ラーメン2種。これらが社員の手によって作られていく。草野氏からの提案が殆どだが、「もっととんこつの香りが強いラーメンが欲しい」と要望があったオーナー向けにも試作品を用意していた。こうした試食会を開き、オーナーは「ウチではこれとこれを出したい」というふうに選択していくのだ。
オーナーは秀穂'から食材を買い、届いた半完成品を店で調理して提供する。一から出汁をとったりする必要なないため常に一定の味が出せ、また睡眠時間を削ることもない。商品開発のリスクはすべて秀穂'が負うため、オーナーはラーメンファンにいつも先行して新しい味を提供していける。
「今年のお正月番組で7つのラーメン店の店主が出ていたけれど、5人がウチとFC契約しているオーナーだったの。ビックリしちゃったよ」。すべては草野氏のアイデアとレシピで完成した商品を提供している店だというから凄い。

飲食店や物産店経営にも着手

草野氏はこれまでにトマトラーメンやミルクラーメンなどありとあらゆる味のラーメンを開発しているし、現在ブームとなっているラー油も何年も前に手作りしている。「やっと時代が着いて来た」のかもしれない。
もちろん冒頭で紹介したように、レシピはある日突然何かが降ってくるように頭に浮かぶのだという。「クラブなんかでお酒を飲んでいると、見えちゃうんだよね。皆には見えないものが(笑)」。霊感はかなり強く、主治医にはベートーベンと同じ右脳をしていると言われたそうだが、誰かが草野氏を媒介としてレシピを書いているという考え方も冗談だけで片付けないほうがいいのかもしれない、などと思ってしまう。
また、周りを大切にする経営者だとも言える。例えば年金制度の構築などがよい例だろう。長年FC店を運営した年配者と若手オーナー志願者のバトンタッチで、店舗をスクラップ&ビルドしていく。その際、年配者にはその後年金として毎月定額が渡るようにする。現在、こうしたオリジナルの年金制度構築に着手しているのだという。
関わる人たちすべてが幸せになれるような事業。それを貫いてきたことで、草野氏には様々なビジネスの話しも持ち込まれる。現在は高速道路のパーキングエリアのレストラン経営の他、話題の道の駅の飲食店、物産展にも着手している。「旅行客をターゲットにしたら失敗します。地元の人々に愛されて頻繁に通っていただける店を作ることが大事。帰省や旅行で訪れるお客様はおまけと考えるべき」、こうした経営によってグングンと業績を上げている。
また今はまだ具体的にオープンにはできないものの、今後は大型フードコートの経営にも着手するとのこと。カフェ、イタリアン、フレンチ、ピザ...。新しい業態に堂々とチャレンジする草野氏を「ラーメン屋の親父」と呼ぶのは、もう本人だけになってしまっている。
「ニーズは私たちが作るもの!」そう断言する草野氏は、飲食のプロとして枠を決めずにトライをし続ける。「僕が基盤を作っておけば社員たちはその上に城を築けばいいのだから」。まだまだ秀穂'を牽引していく元気でいっぱいだが、お金はなくても夢、希望、ハングリー精神のある人材に次世代を引き継ぎたい。そんな強い思いもヒシヒシと感じさせてくれた。

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