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第170回 株式会社コンプリート・サークル 代表取締役 内田優二氏
update 10/09/21
株式会社コンプリート・サークル
内田優二氏
株式会社コンプリート・サークル 代表取締役 内田優二氏
生年月日 1976年7月5日、広島県広島市に生まれる。
プロフィール 小学生の頃からリーダー的存在で、自分から何かをやろうとまわりに働きかけるタイプ。中学ではスケートボードに熱中し、3年の頃には先輩に連れられクラブへも出入り。当時から流行に敏感で、「お洒落でカッコいい空間」に関心があったという。高校に入るとクラブ通いに拍車がかかるのと同時に、音楽やファッションなどにも興味を持ち、イベントの主催にも携わる。一時、公務員を目指して猛勉強したが不合格。工業高校卒業時、同学年の全員が就職・進学を決める中、ただ一人、フリーターとして社会に出ることになった。 19歳で小さなショットバーを開業。さらにそこで資金を貯め、カフェを展開。2001年には、広島では伝説的存在となっているカフェ「伍点食/go_ten_jiki(ゴテンジキ)」をオープンさせる。以来、広島のカフェ文化を牽引し、今では広島・東京・福岡に計12の飲食店を展開。飲食・アパレルを手がける「株式会社コンプリート・サークル」の他、設計や広告など4つの会社の経営に携わっている。24歳で結婚、現在一児の父。
主な業態 「SUZU Cafe」
企業HP http://www.completecircle.co.jp/

勉強は苦手。カッコいいことが好きで、クラブに通い続けた高校時代。

小学校の時から勉強は苦手だった。入っていた野球部も勉強の妨げになるからと辞めさせられたが、成績は一向に上がらず、クラス40人のうち35位前後だったという。一方で遊ぶことには積極的で、当時から自ら何かをやろうと皆を引っぱるリーダー的存在だった。中学でスケートボードを覚え、3年の頃には先輩に連れられてクラブにも出入り。最新の音楽が響く華やかな空間に触れ、「こんな世界もあるのか」と驚いたそうだ。工業高校進学後は貪欲にあらゆるジャンルの音楽を聞き、ファッションへの興味・関心も深まる。クラブ通いも日常化し、そこでのイベントの開催に携わったりもした。同時にバスの洗浄・ビルの清掃といったアルバイトにも精を出し、3年間で100万円を貯める。内田自身は「とにかくよく遊んだ」と振り返る高校時代だが、ここで築いた人脈、磨いた感性、そして100万円の資金が、その後の内田の大きな財産となる。

公務員を目指し猛勉強するも不合格。フリーターの道を選ぶ。

内田が中学の時、サラリーマンだった父が電材卸の会社を興す。社長として昼夜厭わず働く姿を見て「経営者だけにはなりたくない」と思った内田は、その正反対の公務員を目指した。高校生活の後半は「人生でいちばん勉強した」というほど勉強に打ち込み、クラス35位前後だった成績は、模擬試験で県内トップ10に入るまで急上昇。あらゆる公務員試験の合否予測もすべて「A判定」という状態だった。しかし実際の試験にはすべて落ち、大学受験にも失敗。卒業後、具体的な将来の夢もないまま、生活雑貨の大手にフリーターとして勤めることとなった。

お洒落なバーやカフェで働きたい。かなわぬなら「自分でつくる」。

ファッションが好きで生活雑貨の会社に身を投じた内田だが、旺盛な好奇心、幅広い分野への興味は、平凡なフリーター生活の中には収まり切らなかった。クラブでDJをこなしたり、阪神大震災直後の神戸で復旧工事に携わったり、そしてここでようやく本格的に飲食業に関心を持つようになったり…。勉強と同様、一度これだと決めれば、内田の行動は迅速で力強い。「とにかくお洒落でカッコいいカフェやバーで働きたかった」という思いで、一流店舗の採用試験を次々に受ける。なかなか採用に至らないが妥協はしない。「つまらない店で働くくらいなら、自分で店をつくる」と決め、高校時代に貯めた100万円、震災復旧で貯めた100万円、計200万円を元手に6坪のショットバーを開いたのだ。高校時代から築いてきた豊富な交遊関係も手伝い、小さいながらも店は大盛況。次のステップへの大きな足がかりとなる。

30組待ちも当たり前。伝説のカフェ「伍点食/go_ten_jiki(ゴテンジキ)」。

ショットバーの好業績から、内田はいよいよカフェの経営に乗り出し、繁華街に「球」と「空」という店舗を出店した。カクテルの作り方も店舗デザインも経営も、すべて独学。さらに当時から「ほかにはないものを創る」という信念をもっていた。そんなノウハウや思いを集結させて2001年3月にオープンさせたのが「伍点食/go_ten_jiki」だ。場所は人の通らない工業地帯。鉄工所跡を改装した220坪の大型店。「当時、広島では郊外にデートで使えるような店がなかった。だから自分の手でそういう店舗をつくりたかった」という内田の狙いは見事に的中する。あんな立地では無理という周囲の予想を裏切り大繁盛。平日でも30組待ちの行列ができるほどで、広島では知らない者がいないと言われる伝説的なカフェとなった。内田が企画したコンセプトや外観、内田がセレクトしたインテリアや食器、内田が考えたメニューなどが、不利な立地を補ってあまりある魅力となったのだ。

そして東京進出。「SUZU Cafe」の落ち着いた空間が好評。

東京への進出は2004年7月。当時、大人の複合商業ビルとして話題だった「ナビ・シブヤ」への「SUZU Cafe」出店だ。ゼットンや第一興商といった有名企業の店舗が入居する中、いくら「伍点食/go_ten_jiki」で成功を収めているとはいえ、広島の小さな企業が割って入るのは簡単なことではなかった。狭い空間に多くの席を詰め込むようなカフェが多い渋谷に、内田がつくりたかったのは「ゆったりと寛げる安らぎのカフェ」。何度も足を運び、「広々とした空間に1脚1脚が異なるアンティーク家具をゆったりと配置する」といったコンセプトを繰り返しプレゼンして、ようやく入居を認められたという。 しかしその船出は順風満帆とはいかなかった。オープン当月は400万円の赤字で、1年ほどは広島の利益を喰う状態。ただしオープンから一度も月間売上を下げたこともない。「渋谷にはない、ゆったりとした空間をつくる」という内田の狙いがじわじわと浸透し、今では全店舗中、最も利益を上げる存在となっている。

海外進出、ホテル経営…。内田の「ほかにないもの創り」の夢は広がる。

東京進出から約6年。この間に地元広島や福岡へも新たな店舗を展開しながら、2010年4月には「SUZU Cafe」の2号店を銀座にオープンさせた。内田はひとつの業態が当たったからといって、決して展開を急がない。利益だけを追求しない。今も広島在住だが、東京への出店の際はその1年半ほど前からもう一つ居を構え、じっくりと東京の市場・流行、そして「どのエリアに何がないか」を見極める。またオープン後は運営のほとんどを現場のスタッフに任せるのも、内田の方針だ。売上には口を出さない。赤字でなければそれでよい。指示は至ってシンプル。「ほかにはない、いちばんの店をつくろう」「他店に真似されるような店をつくろう」。ただそれだけなのだ。 そんな内田の次の目標の一つが海外進出だ。まだ詳しくは明かせないが、すでに中国への出店計画が始動。ゆくゆくはカフェの本場、NYへの出店も考えているという。さらに将来は、ホテルを経営したいという夢を持つ。「やはりホテルはサービス業の最高峰。最終的にはそこを目指したい。ただし既存のスタイルではなく、例えばホテルと飲食を融合させた“24時間・滞在型のレストラン”といったスタイルで…」。熱く夢を語る内田が次はどんな「ほかにないもの」を生み出すのか。今後もその動向に注目していきたい。

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