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第172回 有限会社サテ・バグース 代表取締役 坂本直樹氏
update 10/09/28
有限会社サテ・バグース
坂本直樹氏
有限会社サテ・バグース 代表取締役 坂本直樹氏
生年月日 1968年3月。神奈川県大和市に生まれる。
プロフィール 父はタクシードライバー。母は料亭で仲居をしていた。3つ上の兄がいる。サッカー好きな少年で、高校までサッカーを続ける。卒業後、大手自動車会社の工場で勤務するが、将来に不安を感じ21歳で退職。一方、高校時代からサーフィンに明け暮れ、サーフィンに行ける休みの多い会社というのが、最初の就職の理由。自動車会社、退職後も職を転々とするが、2人の師匠ともいえる人との出会いで、転機を迎える。24歳で起業を志し、26歳で初の店舗「なお吉」をオープン。仲居として経験を積んできた母にも支えられ、初月より予想をはるかに超える売上を達成。現在、「なお吉」、4店舗。海外進出も睨みつつ、国内10店舗出店の構想も掲げている。
主な業態 「なお吉」
企業HP http://www.gnavi.co.jp/naokichi/
サーフィンが好きだった。休みになるとボードを抱えて海へ向かった。長期の休みが取れると波を求めて海外へも出かけた。このサーフィン好きの青年が、立ち上げたのが、「有限会社 サテ・バグース」。社名の由来を伺った。「インドネシア語でサテは『焼き鳥』、バグースは『最高』という意味なんです」。代表取締役社長の坂本 直樹は、笑顔で語りはじめた。

スポーツ好きの少年。高校3年生の時に、サーフィンに出会う。

坂本は、1968年3月、神奈川県の大和市に生まれた。父はタクシーの運転手を務め、母は料亭で仲居の仕事をしていた。3つ年が離れた兄が一人。大きくなって、周りの人たちから父の話を聞くと芳しい評価ばかりではなかったが、坂本から見た父は、良く釣りにも連れていってくれる子煩悩でやさしい父親だった。夏になると家族揃って旅行にも出かけた。坂本は小・中・高とサッカーを続けている。スポーツは得意だが、勉強は苦手。そんな少年だったそうだ。高校に進学する頃になると3つ離れた兄がバイクに凝りだし、坂本もよく後ろに乗せてもらったそうだ。高校になって坂本の交友関係は一気に広がった。横浜の私立高校ということもあったのだろう。東京など他県の若者たちとも接する機会が増えた。高1のときにディスコにハマり、高2で白木屋という居酒屋でバイトを開始、高3になってサーフィンを始めている。その後、どっぷり浸かるサーフィンだが、動機は単純。「色が黒なって女の子にモテルだろう」と考えたからだ。坂本は、1968年3月、神奈川県の大和市に生まれた。父はタクシーの運転手を務め、母は料亭で仲居の仕事をしていた。3つ年が離れた兄が一人。大きくなって、周りの人たちから父の話を聞くと芳しい評価ばかりではなかったが、坂本から見た父は、良く釣りにも連れていってくれる子煩悩でやさしい父親だった。夏になると家族揃って旅行にも出かけた。坂本は小・中・高とサッカーを続けている。スポーツは得意だが、勉強は苦手。そんな少年だったそうだ。高校に進学する頃になると3つ離れた兄がバイクに凝りだし、坂本もよく後ろに乗せてもらったそうだ。高校になって坂本の交友関係は一気に広がった。横浜の私立高校ということもあったのだろう。東京など他県の若者たちとも接する機会が増えた。高1のときにディスコにハマり、高2で白木屋という居酒屋でバイトを開始、高3になってサーフィンを始めている。その後、どっぷり浸かるサーフィンだが、動機は単純。「色が黒なって女の子にモテルだろう」と考えたからだ。

一人の親方との出会い。

高校を卒業し、地元にある「自動車関連の会社」に就職する。決め手は?と伺うと、「休みの多さ」という答えが返ってきた。土・日・祝がフルで休め、夏休みなどの休暇も長く、有給も整備されていたとのこと。サーフィンをやるにはもってこいだったのだろう。まとまった休みが取れると、波を求め海外にまで出かけた。青い海、高い波が坂本を虜にする。ただ、入社当時はそれで満足だったが、次第に不安を感じ始める。大手といっても、仕事は工場内での流れ作業。将来について考えると、不安と焦りのようなものが頭をもたげてくる。21歳になって、その会社を退職。土木関係のバイトを始めた。職は替えたが、海へはもちろん通い続けた。そんなバイト生活を続けていたある日、TVCMを観て、初めてスーツに憧れた。ふたたび就職活動を開始。内装関連の会社に就職した。営業の仕事も初チャレンジ。だが、このスーツの仕事は長く続かなかった。「当時は、何事もヒトのせいにしていました。仕事がうまくいかなくては、ヒトのせいにし、サーフィンに逃げていたんだと思います」。だが、このとき一つの転機を迎える。仕事を通し、一人の土木関連の仕事を行っている親方と出会ったからだ。「その人が独立するというので、手伝い始めたんです」。

もう一人の師匠。

同じ頃、もう一つの出会いがあった。「母親が、おいしい焼鳥屋があるから、一度行ってみたらと、そのお店を教えてくれたんです。それまで焼き鳥といえばモモ肉とかそういうものしか知らなかったんですが、いろんな種類の焼き物があり、衝撃を感じました。いまでは珍しくもありませんが、野菜に豚バラ肉を巻いた商品もあり、とにかく焼鳥屋というイメージを覆すような発想に驚きを感じたんです。もちろん店主の人柄にも魅了されました」。10坪、30席、そんな店が、いつ行っても満席状態だったそうだ。実際、坂本もしばしば満席で入れなかったことがある。「当時店主は40歳ぐらいだと思うんですが、リーゼントをバッチリ決めているようなカッコいい人でした。話もおもしろく、話すとますます惹かれ、しょっちゅう行くようになるんです」。「店主のようになりたい」。坂本がそう思うまで、時間はかからなかった。だが、一方で、土方の親方がいた。「こちらも魅力的な人で、人間的にも素晴らしい人。それに形になって残る土木の仕事にも惹かれていましたから」。なかなか決断がつかない。迷いに迷った坂本は2つの仕事を兼務することにした。昼は土木の仕事を、夜は1日おきだが、焼鳥屋のカウンターに立った。どちらの仕事にもどんどん惹かれていった。仕事とはまじめに取り組む人間にしか、おもしろさを教えてくれないものだ。サーフィンは、趣味程度になった。「仕事と私のどちらをとるの?」。当時の彼女から、小説に出てくるようなセリフを浴びせられた。それだけ坂本が真剣に2つの仕事に打ち込んでいた証だろう。

人に支えられ、独立。

すべてを手に入れることは、むずかしい。土木の仕事か、焼鳥屋の仕事か。次第に、「自分の店を持ちたいと思いが強くなった」と坂本。悩んだ末、世話になっている土方の親方に頭を下げた。親方は、坂本の気持ちに理解を示しながらも、「ただし、中途半端は許さない」と激を飛ばして送り出してくれたそうだ。坂本、24歳。親方に許しを得た坂本は、焼鳥屋1本に決め、独立を模索する。だが、まだ24歳。不動産会社も一切相手にしてくれない。1件も物件を紹介してくれなかったほどだ。坂本は、25歳のときに父親を亡くしている。これからは母親の面倒もちゃんとみなければならない。そんな思いも強くなったのではないだろうか。26歳になり、坂本は起業した。15坪30席、父が残してくれた実家の家を担保に800万円を借り独立資金に当てた。働いていた店と、同じ大和市内で、同じ焼鳥屋を始めるのだが、店主はそのことに対し一言も文句を言わないでいてくれた。人に支えられた独立である。母にも助けられた。冒頭に記したように坂本の母は料亭で仲居の仕事をしていた。評判の仲居だったそうだ。この母が店を手伝ってくれた。「評判には聞いていたんですが、ほんとうに店の隅々まで目が行き届くとは、ああいうことをいうんでしょうね。母の気遣い、気配りは誰にも真似ができませんでした」。だが、衝突もあった。「結局、母のほうが正しいんですが、それでもオレの店っていう気持ちもありましたから。親子だから遠慮もありませんし」、当時を振り返って坂本は苦笑する。だが、オープン初月から予想以上の売上を確保できたのは、間違いなく母のおかげでもあったのである。

「なお吉」、オープン。7年目、海老名駅ビルに2号店オープン。

「200万円程度は売れるかな」、それが坂本の目算だった。蓋を開けると、2倍以上の450万円に達した。あまりにいそがし過ぎて、カラダを壊してしまったこともあったそうだ。店名は「なお吉」。その後、大和市で、焼き鳥といえば「なお吉」というほどの人気店になっていく。だが、2店舗目の出店は、それから7年後。法人登記を済ませ、多店舗展開に軸を置くようになる。33歳の頃だ。ちょうど「海老名の駅ビル」に入らないかと、小田急電鉄から、ありがたい誘いがあった。駅ビルといえば入りたくても入れないステージだ。内装からこだわろうと考えた。そして行き着いたのが昭和30年代のレトロなイメージ。この内装のヒントを得るために出かけた名古屋で出会ったのが、現、居酒屋「てっぺん」で有名な大嶋氏。「居酒屋甲子園」を通し、いまでも親しく付き合っているそうだ。ところで2号店も大繁盛。駅ビルのなかで、増設まで行なっている。

スタッフと共に夢を追いかける。

1968年生まれだから、2010年9月現在、42歳になる。経営する店舗は4店舗まで広がった。目標は10店舗の出店だそうだ。だが、出店のみに重きを置くような人ではない。「スタッフたちの将来を考えれば、出店は大事な彼らのステージをつくりだすことにほかなりません。だから店舗数の拡大も図っていきたいのです」。そういう坂本の夢は大きく膨らむ。海外進出。波を追いかけたあの頃のように、これからも「なお吉」にとって最高のシチュエーションを追い求めていくに違いない。まだ決して大きくはない会社だが、だからこそ、経営者といっしょに夢を描ける会社だともいえるのではないだろうか。

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