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第181回 株式会社ダイヤモンド・ドリーム・ダイニング 代表取締役 小澤仁裕氏
update 10/11/02
ダイヤモンド・ドリーム・ダイニング
小澤仁裕氏
株式会社ダイヤモンド・ドリーム・ダイニング 代表取締役 小澤仁裕氏
生年月日 1974年12月23日。神奈川県小田原市に生まれる。
プロフィール 中学2年からラグビーを始め、中学・高校とラグビーに熱中する。一浪の末、東京大学に入学したが、大学でもラグビーに明け暮れる。卒業後は、「味の素」に就職。しかし、起業という目標を追いかけ3年で退職し、「ベンチャー・リンク」に転職する。月間450時間という激務を通し、フードビジネスにおける基礎体力を作り上げた。「ダイヤモンド・ドリーム・ダイニング」、設立は、2008年。現在、FCのしゃぶしゃぶ店を2店舗、「ラ・ベルデセンター北店」「のんど三軒茶屋店」を運営し、「party times」のブランドでケータリング事業も行っている。
主な業態 「ラ・ベルデセンター北店」「のんど三軒茶屋店」「party times」

おぼろげながら「社長」という二文字に憧れていた少年時代。

「個人投資家」。いまでこそ一般的な言葉だが、1970年代の個人投資家と聞けば、一部の資産家など、特別な人をイメージしがちである。今回、ご登場いただく(株)ダイヤモンド・ドリーム・ダイニング、代表取締役の小澤仁裕の祖父も、その時代を生きた個人投資家の一人だ。小学3年生の頃、両親が離婚。小澤は母と姉とともに、この祖父の元に身を寄せ、暮らすようになる。当時の記憶を伺うと、「祖父が、東京の銀行や証券会社などに行くときにくっついて行って、高島屋などで食事をしたという記憶がいちばん鮮明に残っていますね」とのこと。小澤の「食」の原点が顔をのぞかせる。一方、学業のほうはどうだったのだろう。「小学生の頃から勉強は好きでしたね。成績はクラスで一番。だから勉強で悩んだことはありません。ただ、小学5年生の頃、ガキ大将とのケンカがきっかけで友人たちが去っていってしまったのです。あの時は正直キツかったですね」。ところで、当時から起業という思いは、抱いていたのだろうか。「祖父の影響もあるのでしょう。わりと小さい頃から、将来、社長になりたいと思っていました」。子どもの頃の目標を実現することはむずかしい。はたして、小澤のおぼろげな目標はかたちになっていくのだろうか。

ラグビー三昧の日々は、東大入学後もかわらなかった。

中高一貫校入学と同時に、小澤は、祖父の家を出て入寮する。一人暮らしの始まりである。6時に起き、洗濯、予習してから学校へという規則正しくも、子どもたちにとっては、たぶん窮屈だろう生活が始まった。入学から2年目。小澤少年はラグビーと出会う。その後の人生をある意味、決定付ける出会いだった。高校までラグビーを続け、一浪の末、東京大学に入学した小澤は、大学でもまたラグビーに明け暮れた。そして6年生となった卒業年度。就職は、いやがうえにも目の前に迫ってくる。

オフィスで悔し泣き。それがいまの小澤をつくりあげた。

「1浪2留というのが響いたのでしょう。なかなか採用してもらえませんでした。40〜50社受け、ようやく味の素への入社が決まりました」。いまでは40〜50社というのはあたりまえだが、まだネット化も進んでいない時代の話。まさに足を棒にした数でもある。そんななか就職先に決まった「味の素」に、小澤は3年間勤めている。1年目から山形県の顧客すべてを任された。数字も上がり、評価もされたが、起業への思いが捨てられず、「企業家、求ム」と謳っていたベンチャー・リンクに転職することになる。ベンチャー・リンクはFC事業のパッケージ化などを通し、外食ベンチャーを支援することで有名な会社だ。レストラン「サンマルク」を上場させ、牛角など人気のFCチェーン店も次々オープンしていた破竹の勢いの頃である。しかし、小澤の成績は、まるでふるわなかった。「とことん詰められるんです。理論的に。なぜ、思い通りの結果があがらないのか。もとをたどれば結局、本人の意欲の問題となり、自己否定されることになるのです。大の男がオフィスで詰められ泣くんです」。味の素という大手から転職したという思いもあったろう。東大卒というプライドもどこかにあったはずだ。だが、そうした勲章がまるでガラス細工だったかのように簡単に壊されていく。大粒の涙が頬を伝った。

月間労働時間は、450時間。

5年間在籍し頑張ったけれど、芽が出なかった、と小澤は笑う。だが、その笑いには、やり遂げたすがすがしさが漂っていた。その当時の仕事ぶりを伺うと、「週4日は泊まり。8時から26時まで仕事。その後、椅子で寝る生活でした」。労働時間は、月間450時間以上にも上ったそうだ。いまなら活字にすることさえ、ためらわれる数字である。しかし、それをやり遂げたことによって小澤には数字では語れない、しかし、何より価値ある大きな自信が手に入った。飲食店の起業を目の当たりにしたいくつもの経験は、その後の小澤自身の起業を支えることにもなる。さて、独立まであとわずか。小澤は、もう1社経験する。完全成果報酬型のサイト「ファンくる」「グルリザ」などを運営する「ROI(アール・オー・アイ)」。それまでの2社と比較すれば圧倒的なベンチャー。売り上げはもちろんスタッフ数でも比較にならなかった。だが逆に社長との距離が近かった。年齢もそう離れていない。「ROI」の創業者の恵島氏は1976年生まれだから、小澤のほうが2つ上である。その恵島氏からも刺激を受けたのだろう。いよいよ独立開業へと進んでいく。(ROIは当サイト内「食の応援団」で紹介予定です。)

ダイヤモンド・ドリーム・ダイニング誕生。

Dが三つならぶ、ダイヤモンド・ドリーム・ダイニング。設立は2008年。FCのしゃぶしゃぶ店を2店舗を受託経営するところからスタートした。数字はすでに明らかなはずだったが、実際運営してみると、数字がかい離していることに気づく。ふつうなら驚いてしまうところだが、ベンチャー・リンク時代、イヤというほど成功と失敗を目の当たりにしてきた小澤である。老獪な経営者のように、十二分な備えを用意していた。祖父同様、貯金を株式投資で増やし、この時にはすでに不動産投資を行い、潤沢な資金を持っていたのである。「独立して不採算だとすぐに店が潰れてしまいますから、先にキャッシュフローがあがるようにしていました。ですから、長い目で店の運営に取り組むことがきでました。おかげさまで、昨対はズッと右肩上がりです」。むろんまだ設立より2年。事業を本格的に軌道に乗せるのはいまからだ。現在の目標は、来期までに3店舗の出店。ロケーションは?と問うと、1Fにはこだわるが、それ以外はロードサイドでも、住宅街でも、商店街でも、もちろんビジネス街でも問わないという。「見て判断する」という小澤に、投資家の自信が垣間見られた。ある意味、大胆で、ある意味、慎重。この両者を合わせ持つ経営者だからこそ、初めての飲食店経営でも成果を上げることができたのだろう。

従業員が満足しない会社は存続しない。

最後に、人について聞いてみた。「良くスタッフにいうことは、相手のことを考えろ、ですね。それにきちんと頭を使って計算しろ、と。たとえば販促をしたいのなら、それが生み出す売上はもちろん利益まで計算しろといいます。きびしいようですが、ひらめきだけでは成功しませんし、計算して初めて予測する力がついてきます。このあたりはベンチャー・リンク時代に学んだことですね」。反面、めざすのはベンチャー・リンクとはおよそ違うアットホームな会社だとか。今後も積極的な増員を図っていく予定だが、年齢も、性別はもちろん学歴も特にこだわらないとのこと。ただ一つ、相手のことを気遣える人であることが条件だ。「従業員が満足しない会社は存続しない」、それが持論。どんな会社をつくりたいですか、という最後の質問に「あたたかみのある会社、アットホームな会社を作りたいですね」といってから「すごく一般的な表現」と照れる小澤だが、飲食店が人によって支えられる業態である以上、何よりもまず優先すべき店の姿であるはずだ。現在、小澤は、前述のFCしゃぶしゃぶ店の2店舗のほかに「ラ・ベルデセンター北店」「のんど三軒茶屋店」を運営。「party times」というブランドでケータリング事業にも乗り出している。これからがたのしみな会社であることは間違いない。

思い出のアルバム
思い出のアルバム1 思い出のアルバム2 思い出のアルバム3
幼少時代 高校ラグビー(下列左) 大学時代。高知桂浜にて。
思い出のアルバム1 思い出のアルバム2  
社会人ラグビー 社会人(味の素)  

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