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第186回 株式会社ベイサイド・ダイニング 代表取締役 小林大悟氏
update 10/11/30
株式会社ベイサイド・ダイニング
小林大悟氏
株式会社ベイサイド・ダイニング 代表取締役 小林大悟氏
生年月日 1981年1月6日、神奈川県横浜市に生まれる。
プロフィール 寡黙で仕事熱心、子育てに関しては放任主義の父。明るく快活だが時には口うるさい専業主婦の母。その間に生まれ、高校までを神奈川県藤沢市で過ごす。2歳上の姉は理系で物静かな父親似、小林自身は文系で人前に出るタイプの母親似だという。小学校ではサッカー、中学・高校ではバスケに力を注ぐ。同時に小学校2年から高校3年までクラシックピアノを続け、これもかなりの腕前とのこと。大学進学後は「遊ぶこと」と「アルバイト」に熱中し、ここではじめて居酒屋、焼肉店などの飲食業を経験。2年間続けたスナックのボーイでは接客の基本やサービス業の気遣いを学び、渋谷のジャズバーでは「将来、こんな店をやりたい」という夢を描く。しかし4年の夏、母に泣きつかれ就職活動を開始し、たった1社だけ受験した「リンク・ワン」に入社。そこで信頼・尊敬できる上司と出会い、その独立起業に参加。さらにその取引先だった「エムグラントフードサービス」へ円満に転職。「ふらんす亭」「けん」といった業態のフランチャイズ展開を手がける。2010年10月、「エムグラント社」に籍を置いたまま「株式会社ベイサイド・ダイニング」を設立し、代表に就任。自らがフランチャイジーとなり12月3日、愛着のある藤沢に「けん辻堂店」をオープンし、経営者としてのスタートを切る。26歳で結婚、現在一児の父。
主な業態 「けん」「よしかつ」

高校までは「スポーツ」に、大学では「遊びとバイト」に熱中。

小学校ではサッカー部の副キャプテン、中学校ではバスケ部のキャプテン。典型的なスポーツ少年だった小林は成績も優秀で、神奈川県の公立最難関・湘南高校へ進学する。関東でも有数の進学校として知られる同校は毎年、多数の現役東大合格者を輩出し、まわりは医者や弁護士を目指す者ばかり。しかしここでもバスケに熱中。「勉強ではコイツらにかなわない。でも他の部分では絶対に勝つ」という思いを持っていた。この頃に「負けじ魂」が身についたのではないかと、小林は当時を振り返る。 ところが明治大学に進学してからは一転、「アルバイト」と「遊ぶこと」に傾倒。居酒屋や焼肉店で働き、はじめて飲食業というものに触れる。中でも「スナックのボーイ」と「ジャズバーのバーテン」の経験は、その後の小林に大きな影響を与えている。スナックでは年上の常連客とのコミュニケーション力や細やかな気遣いが身につき、ジャズバーではプロの生演奏に触れて自らもジャズピアノを学ぶようになったのだ。4年になるとほとんど家にも帰らず、ジャズバーでアルバイト。漠然とではあるが「将来、こんな店を自分で経営してみたい」という思いを抱くまでになっていた。

「バー経営」か「ピアニスト」で迷っていたが、母の一言で一転「就職」。

4年の夏、まったく就職する気のなかった小林は将来について、バーなどの飲食店を経営するか、また面白くなりはじめたピアノの腕を磨いてプロのジャズピアニストを目指すかで迷っていた。父親はどちらの道でも応援すると言ってくれた。ところが母親はどちらにも大反対。もともと「公務員になってほしい」と願っていた母親にとって、息子が夜の街に入り浸り、食べていけるかどうかもわからない仕事を目指していることが許せなかったのだ。「普通に就職して! 今からでも就職活動をして!」と半ば泣きつかれた小林は、渋々ながらこれを承諾。ただ、採用試験を受けたのは1社。様々な業態の飲食業を見ることができ、経営も学べるという理由で選んだ「リンク・ワン」のみ。しかしこの就職がまた将来を大きく変えることとなり、小林は「いまの自分があるのは母のおかげ」と感謝している。

リンク・ワンで飲食ビジネスと経営を学び、「20代で独立」というビジョンを描く。

「リンク・ワン」はまだ創業したばかりのベンチャーで、新卒採用もはじめてという状況。しかし当時すでに「ライフプランシート」を導入しており、小林はそこに10年後のビジョンとして「20代で独立」という文字を書き込む。独立というビジョンをはじめて明確に、具体的に意識した瞬間だ。配属はフランチャイズオーナーに採用代行やプロ店長の派遣を提案する部署。ちょうど上場に向けて社内の雰囲気も高揚し、独立心・競争心の強い同期ばかりという環境の中、小林も「負けじ魂」を発揮して仕事に打ち込んだ。様々な業態に接し、その経営に踏み込み、どんどん人脈が広がっていく。そこに手応えと面白さを感じ、昼夜を問わず仕事に没頭したのだ。
また小林はここで西山公人氏と運命の出会いを果たす。氏は「リンク・ワン」の創業メンバーであり、取締役でもある。小林にとっては入社以来、直属の上司として指導・教育を受け続け、その人柄・ビジネス観・指導力に心酔。「この人にずっとついていきたい」と思えるほどの存在だった。

尊敬する上司が独立。道をともにするも、経営の難しさを知る結果に…。

入社して3年が経つ頃、その西山氏が「リンク・ワン」を退職し、数名の仲間と独立起業することになった。もちろん小林にも迷いはない。後を追って氏が設立した「パワフルブレーンズ」に転職したのだ。同社のビジネスも「フランチャイズ支援事業」がメイン。社員全員がこれまで経験してきた仕事だけに、誰もがうまくいくと思っていた。しかし現実はなかなか軌道に乗らない。業績が伸びず、苦しい時期が続く。そして社員が一人、二人と去っていく。社内には重苦しい空気が立ちこめていた。
その後「パワフル社」は見事に業績を回復することになるが、小林はこの時に「経営の厳しさ」を知り、同時に好調時には見えない様々なものを見ることができたという。どれだけ仲のよい人たちと仕事をしても、利益が上がらなければギクシャクしはじめる。厳しい状況のときに、まわりにどれだけ助けてくれる人がいるかが大切…。もちろんこうした状況の中でも、小林の西山氏に対する尊敬・信頼の念は揺らぐものではなかった。ただもう28歳。このままでは「20代で独立」を果たせないというあせりがあったのも事実だ。

「ふらんす亭」や「けん」をFC展開する「エムグラントフードサービス」へ転職。

「パワフル社」で小林は、「ステーキハンバーグ&サラダバー けん」という業態のフランチャイズ支援を担当していた。そこでもう一人、心から尊敬・信頼できる人物と出会う。「けん」をチェーン展開する「エムグラントフードサービス」の代表、井戸実氏だ。井戸氏は「けん」のほか、「ステーキと焙煎カレー ふらんす亭」「とんかつ&サラダバー よしかつ」といった業態を展開し、いずれも大きな成功をおさめている。 小林は「20代での独立」を視野に入れ、「エムグラント社」への転職を考えるようになった。しかし長年世話になった西山氏を裏切るような真似はできない。そこで西山氏には独立の夢を語り、井戸氏には「パワフル社」との取引の継続を依頼。円満な転職を実現したのだ。事実、小林と西山氏の信頼関係はこれまでどおり。西山氏と井戸氏のつきあいは、これまで以上に深いものとなっている。

そして当初のビジョン通り、「20代での独立」を達成。

「エムグラント社」へ転職した後も、小林は「けん」のフランチャイズ開発の責任者として、多くの店舗を立ち上げてきた。そしてこの仕事を続けながら「20代での独立」を果たす方法として、自分自身がフランチャイジーになり「けん」を経営するという方法を考え出した。もちろんこの提案は井戸氏にも快諾され、2010年10月20日に「株式会社ベイサイド・ダイニング」を設立。12月3日、自らが生まれ育った藤沢市に第一号となる「辻堂店」をオープンさせることになったのだ。
小林はこれを皮切りに「けん」「よしかつ」をさらに数店舗オープンさせ、「ベイサイド社」を成長させていきたいと考えている。そこで活きてくるのが、西山・井戸の両氏から学んだこと。「自分が信じた人には最後まで尽くす」「自分の成功は後でいい。最終的には必ず自分に戻ってくる」「まわりの成功こそが自分の成功」…。こうした思いを胸に、小林はいま経営者としての第一歩を踏み出したのだ。

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