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第188回 有限会社ジョカーレ・ヴィゴーレ 代表取締役 森川秀一氏
update 10/12/07
有限会社ジョカーレ・ヴィゴーレ
森川秀一氏
有限会社ジョカーレ・ヴィゴーレ 代表取締役 森川秀一氏
生年月日 1966年8月、東京都品川区に生まれる。
プロフィール 実家は魚屋と大衆割烹を経営。商店街の一角に店を構えていたこともあって、森川も店同様、地元の人々に愛され育っていく。小学校から柔道を学び、24歳まで街道場に通っていたというほどの柔道家。意思の強さは、この柔道によって磨かれたのだろうか。小学生の頃から料理人をめざし、見事、プロの料理人としてデビュー。38歳の時に、独立し、青物横丁に<創作居酒屋 気まぐれ厨房「ごっつ」>を開業する。
主な業態 「ごっつ」
企業HP http://r.gnavi.co.jp/a306800/

地元商店街の魚屋さんの長男、誕生。

「桶に毛布を敷いて寝かされていた」と森川秀一は生まれた頃の話を始めた。森川の実家は魚屋。所在地は品川だが、品川区といっても古くから続く商店街。人情味溢れる、商店街のなかで森川は、両親や地元の人たちに愛されながら育っていった。「ヤンチャでキズだらけだった」というのは幼少の頃。エネルギーを持て余したのだろう。小学生になって柔道を習い始めた。ちなみにこの柔道は24歳まで続けている。一方、中学ではバレーボール。高校ではサッカーと運動神経にも恵まれた少年だったようである。

料理人に、卒業文集に綴った夢。

「中学卒業時に、憧れのホテルで修行をしようと門を叩いたのですが、高卒でなければだめだと断られました。だから、高校に行ったのはあくまで<高卒>の肩書を手に入れるためだったのです」と、森川。むろん、その3年間も無駄にしなかった。1年生からファミリーレストランでアルバイトを開始。飲食業を体験する。授業では、先生に頼み込み、一人、女子に交じって家庭科で料理を学んだ。そこまでするか、と一般人は思ってしまうが、料理人に一歩でも近づきたい森川にとっては、あたりまえの選択だった。何しろ小学校から、料理人に憧れ、卒業文集にそう記していたぐらいだから。これが、明確な料理人への第一歩となる。

東京パレスホテルに入社。

晴れて高卒の肩書を手にした森川は、意気揚々と東京パレスホテルの門を叩く。フランス料理。世界最高峰の料理が目の前で次々、つくられていく。一方では、予期していた通り、厳しい料理人の世界が目の前で繰り広げられた。3ヵ月は掃除だけ。殴られ、蹴られ、それでも料理は教えてもらえない。盗め! あまりの厳しさに「100名いた同期が、逃げ出していく。なかには、夏休みに帰省したまま帰ってこない奴もいた」と森川。結局、7年間勤務した森川が退職する時には、100名のうち3名しか残っていなかったそうだ。この7年間で森川は料理を徹底的に学んでいく。「基本はフランス料理なのですが、ローマやスペインのバルセロナからコックを招いてイタリア料理などのフェアを開催することもありました。そういうことを経験しているうちに、ソースで勝負するフランス料理より、地中海料理に惹かれはじめました」。自ら、料理の意味を知り、素材の活用方法を思考する。プロ料理人、森川、誕生が秒読みになった頃ではないだろうか。

何かをかえたいともがいた日々。

料理人としてようやく安定した日々を手にした森川だったが、私生活で試練の時を迎える。何かを変えたい、と25歳で森川は料理人の世界から離れてしまう。「飲食とまったく異なる不動産担保の金融関連の会社に転職しました。飲食業界とはまるで違う世界です。2年で辞めて飲食に戻るのですが、きっかけは知人から顔つきがかわったね、と言われたことでした」。森川は初心を思い出し、飲食の世界に戻った。居酒屋「天狗」を経営するテンアライドに入社する。

27歳、テンアライドに入社。33歳、三光マーケティングフーズに転職。

テンアライドといえば、居酒屋天狗で有名だ。森川がいた頃にはすでに200店舗ぐらいを展開していた居酒屋業界のリーディングカンパニーである。森川は入社1年半で店長になり、全店トップの成績を収めることにもなった。商品開発部に異動となり、商品開発のノウハウを取得したのもこの時である。順風満帆といえる頃だったのではないだろうか。だが、安定を求めテンアライドに入社した森川だったが、当時の先輩に誘われ、新たな挑戦を開始する。それが三光マーケティングフーズへの入社だった。当時の三光マーケティングフーズはまだ数店舗の規模。出店が加速していく頃だ。出店を任されると「平気で1ヵ月に1〜2回しか家に帰られなかった」と森川。それでも重要な任務を任されながら、ついには社長の2つ隣の席で薫風を受けつつ仕事をするようになる。

軌跡を振り返れば見えてくる森川という人間。

ここまでの森川の人生を振り返ると東京パレスホテルへの入社。金融関連の会社への転職。ふたたび飲食業界に戻り、テンアライド、三光マーケティングフーズと渡り歩いている。だが、一つも無駄がなかったように思えるのは、なぜだろう。まったく畑違いの金融関連の会社で勤務した時も、森川は「いかに世間知らずだったか」と悟り、そこから何かを得ている。結局、何をするにしても、どういう気持ちで臨むかですべてが決まってくるのではないか。東京パレスホテルで料理の基礎を、テンアライドでは売上や人的なマネジメント、商品開発の流れを、また三光マーケティングフーズでは店舗立ち上げのノウハウを修得していく。これらがすべて森川の財産になったことはいうまでもないが、逆にいえば、すべてを財産にした森川の意思の強さに驚かされる。すでに森川は30歳を超えていた。

三光マーケティングフーズ上場。

2003年、三光マーケティングフーズ株式上場。これまでがむしゃらに突っ走ってきたが、ひとつの区切りを感じ、会社を辞めた。仕事一辺倒で、全くと言っていいほど家族サービスをしていないことに気づき、「1年間、休んで家族で何度も海外旅行にもでかけました」と森川。だが、いつまでもそういう気楽な生活が送れるわけはない。金銭的にも、そうだが、森川自身、仕事をしたくてしかたないという思いもあったに違いない。そして、ついに森川38歳の時、仲間2人と誘って、<創作居酒屋 気まぐれ厨房「ごっつ」>を開業する。理念は社名に込めた。「ジョカーレは遊び人という意味、ヴィゴーレは元気。つまり、元気良く遊ぼうよという意味です」と森川は社名の由来を説く。

気まぐれ精神。森川がたどり着いた1点はそこ。

店名のショルダーにもある「気まぐれ」にも森川の気持ちが込められている。「気まぐれというのは、<臨機応変><ケースバイケース><状況次第>のことです。何も、肩肘張ってこうでなくてはいけない、なんて押し付ける必要はありません。お客様にも、従業員にとってもそういう気構えで臨んでいます」。「気まぐれ精神」という言葉はないが、こう言われるとたしかに「気まぐれ」という言葉も悪くは聞こえない。その時々に合わせ、臨機応変に、そしてケースバイケースに対応しつつ、状況次第で次の展開を考える。まるで、森川の生き様、そのものではないか。仲間2人を誘って始めた「ごっつ」はようやく3店舗。全員の店をつくれたことで、第二の創業がいまからスタートする。森川にとっては集大成のチャレンジが始まるに違いない。

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