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第194回 株式会社パッションアンドクリエイト 代表取締役 豊島堅太氏
update 11/01/04
株式会社パッションアンドクリエイト
豊島堅太氏
株式会社パッションアンドクリエイト 代表取締役 豊島堅太氏
生年月日 1981年10月20日、北海道石狩郡当別町出身。
プロフィール 中学時代にスキーの才能を開花。大会で優勝し、スポンサーが付く。海外遠征にも何度も出かけたが、高校2年のシーズン終了とともにスキーと決別。大学卒業後、「ワタミフードサービス」に入社。その後、兄の会社の立ち上げに参加した後、ワタミ時代の先輩と共にパッションアンドクリエイトを設立。現在、「1500円だけ握りしめて来い!」をキャッチフレーズにした時間制のユニークな焼鳥店「焼鳥の鉄人」を展開。2015年の株式上場に向け、100店舗の出店を目指している。
企業HP http://r.gnavi.co.jp/e895500/

時速100キロの誘惑。

白銀の世界が猛スピードで後方に流れていく。木々も、観客も、また、空も。「時速100キロメートルを超える」。ウインタースポーツの花形ともいえるアルペンスキーの滑走速度である。この競技で、中・高校時代、「優勝」の栄冠を勝ち取ったのが今回、ご登場いただく株式会社パッションアンドクリエイト(以下P&C)の代表取締役社長、豊島堅太である。スキーは、2人の兄に共に始めたが、気がつけば豊島1人が夢中になっていた。北海道石狩郡当別町。ウインタースポーツは、この町の少年なら誰しも小さい頃から慣れ親しんだスポーツだろう。それでも、中学生時代からスポンサーが付くというケースは稀。海外遠征にも出かけ、「家にいるのは1年で4ヵ月ぐらいしかなかった」そうだ。

3人兄弟の末っ子、誕生。

1981年、豊島は3人兄弟の末っ子として生まれた。父は、運送事業をメインにし、修理工場、清掃事業を手広く経営していた。経済的にはなんの問題もなかったが、豊島が小学2年生の頃、両親が離婚。すぐ上の兄と2人、母に引き取られた。「父は子煩悩な人で、離婚した後も、面倒はちゃんと見てくれました。両親が別れたのは辛かったですが、父が母にだけはきつく手を上げることも少なくありませんでしたから、ある意味、ホッとしたことも覚えています。一番、上の兄は、父方に引き取られたのですが、もちろん交流は続いています。何でも、キックボクシング関連のビジネスを始めるつもりのようですね」。

商売人の家系。

商売人の家系なのだろう。父もそうだが、次男も、豊島本人も、すでに起業している。そのうえ、タイまでキックボクシングの武者修行に行った長男も起業するとなると、親子全員、経営者だ。ただし、子どもの頃に話を戻せば、将来、社長になるとは兄弟のうち誰も思っていなかったに違いない。豊島は、中学に上がると冒頭に書いたように、スキーにハマった。天与の才があったのだろう。すぐにトップランクのプレイヤーになっていく。ところで、スキーは傍からみれば華麗なスポーツだ。だが、プレイヤー本人たちにすれば、極めて過酷なスポーツとなる。「からだ全体を鍛えなければいけないうえに、無酸素の練習もきつい。特に私の場合は、スポンサーが付いていましたから結果を求められる。それが辛かった。海外遠征に向かう飛行機に乗った瞬間、帰りたくなったほど」と当時の厳しさを振り返る。だが、トッププレーヤーとして肉体的にも、精神的にも追い詰められた経験が、その後の豊島を支えたのは間違いない。それだけではなく、このとき、「頂」を見たことが、いまの壮大な目標を平気で追いかける強い意志を生んでいるような気がしてならない。

スキーと決別

高校に上がっても当然、スキーを続けた。「だから、勉強なんてする暇もなかった」。「海外遠征が続いた頃には、試験は年1回のみ。前日に教師が『全部、覚えておけ』と解答をくれるんです(笑)」。だが、これほどまでに打ち込んだスキーを、高校2年のシーズン終了後、ピタリと辞めてしまう。「高2のシーズンの結果で、最終選考に落ちたらキッパリあきらめようと思っていたんです」。中学から過酷な練習を積んできた豊島のからだは、悲鳴を上げていた。この時から数えて4年、スキーの板にも触れなかったそうだ。

取り戻せるか。大学で猛勉強開始。

6大学から推薦をもらったがすべて断り、地元の大学へ進学。すでに起業の志も強く、経済学部に入り会計学を学んだ。猛勉強したと豊島。この学生時代に、飲食店でアルバイトを始め、初めて飲食業とも出会うのだが、大学時代の何よりの思い出は、今までを取り戻すかのように始めた勉強だった。「正確には、1年の終わり頃からなんです。たまたまアルバイト先の居酒屋に、高校時代の知人が客としてやってきたんです。知人といっても、こっちが知っているだけ。いろんな噂を聞いていたので、最初は怖くて目を合わせることもできませんでした(笑)。でも、そのあと話をする機会があって、驚いたのです。いろんなことを知っている。経済や政治のことも。イメージが違ってホッとしたどころか、逆に焦りまくりました。何でこいつ、こんなに頭いいんだ? このままじゃおいていかれる」。それがきっかけになった。一方、居酒屋のバイトに、家庭教師のバイト、かわりダネでいえば、朝日新聞の報道部で、原稿デスクを補佐するバイトも経験している。「倍率は高かったのですが、担当のデスクが気に入ってくれて、採用してもらいました。私以外は北海道大学など有名な大学の生徒ばかりでした」。学力だけでは測れない豊島の魅力を、そのデスクは、見抜いたのだろうか。

「高田屋」か「和民」か。一冊の本との巡り合い。

北海道すすき野といえば、「高田屋」のタスコシステムの発祥地である。急成長した同社は、関東進出して数年後に上場している。大学3年時、豊島がアルバイトを開始したのは、すでに上場後。だが、まだ破竹の勢いだった。この「高田屋」で、接客の奥深さを学び、飲食に魅せられていく豊島だが、卒業時に選んだのは「和民」のワタミフードサービスだった。創業者である渡邉氏を取り上げた本、高杉良氏の「青年社長」を読んで、引き付けられたそうだ。「ワタミに行って当初、思ったのは、接客レベルでいえば正直、高田屋のほうが上だということ。しかし、組織的には、ワタミのほうが断然上でした。年に何度か、渡邉社長にもお会いさせていただきましたが、カリスマでしたね。やはり」。豊島の同期の新卒はおよそ350名。「半年後には、半分は辞めた」という。この厳しい環境のなかでも、豊島は根を上げず、店長にも昇格。自信も付ける。いごこちも良くなったのだろうか。「絶対、独立しようと思っていたのに、2年目ぐらいになって、気持ちが若干、薄らいできました。そんな時に、次男の兄貴から、事業を起こす誘いを受けたんです」。

いよいよ起業。

2009年7月31日のブログは、こんなキャッチコピーで始まっている「今月終了 〜会社設立まであと32日〜」。ワタミを退職した豊島は、一つ上の兄である次男と共に起業し、クルマ販売の新しいビジネスモデルの構築に関与する。そこで起業のノウハウなどを修得し、いよいよ、自らの起業に乗り出すのである。上記のブログには、起業までの過程も書かれている。このブログがスタートしたのは、7月2日。タイトルは「2015年、上場を目指す社長のブログ」だ。その始まりの一文を拝借する。「P&Cの使命は、業界の既成概念や慣行にとらわれず、情熱と創造でさまざまな業界に新市場を切り開き、市場を拡大させることで日本経済を活性化させることです。そして、まずはその最初の事業として外食産業に参入します。外食産業に新しい風を起こします。中長期的には様々な業界に参入していきます。そして2015年、P&Cの第一目標として上場を果たします」。ワタミ時代の先輩にも参加してもらい、9月に「P&C」設立。2015年の上場という目標を追いかけ、2010年12月現在、4店舗を展開している。むろん、まだまだ助走期間に過ぎない。

「1500円だけ握りしめて来い!」

「1500円だけ握りしめて来い!」。これが、豊島の経営する焼鳥店「焼鳥の鉄人」のキャッチコピーだ。60分、焼き鳥食べ放題で、1500円。プレミアムモルツなどが飲み放題で+300円。時間制のスタイル。むろん、日本、初お目見えの業態だ。オープン以後、快進撃を続けているのは、この時間制が消費者のニーズを的確に捉えたからだろう。「店を出す」それだけでも大ごとだ。だが、豊島は、会社が設立前から上場の年数まで宣言している。単に開業するだけではなく、時間制という、まだ誰もやったことのない新たな挑戦に豊島を駆り立てたのは、まさに、この「15年に上場」という一点ではないだろうか。そのためには、むろんまだまだ多くの仲間が必要だ。何しろ目標店舗数は100店舗である。店長だけでも後、96名。この若き、柔軟で、敏腕の経営者と共に、この目標を追いかけてくれる人をP&Cはいま、積極的に募集している。なかなか見ることのできない「頂」の風景を共に眺めようではないか。

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