株式会社浅野屋 代表取締役社長 浅野まき氏 | |
生年月日 | 1969年、東京都千代田区生まれ。 |
プロフィール | 清泉女子大学文学部英文科卒業後、丸紅株式会社に入社。パルプ部製紙パルプ課において5年間勤務後、1998年に株式会社ブランジェ浅野屋に入社。 営業企画室を経て、2006年に株式会社浅野屋の代表取締役社長に就任。 |
主な業態 | 「浅野屋」など |
企業HP | http://www.b-asanoya.com/ |
浅野氏が生まれ育った東京千代田区の家は、洋酒、食料品、パンを販売する「浅野商店」が誕生した地。まだパンの需要がそれほど多くなかった昭和8年に祖父が事業をはじめ、「浅野商店」は各国の大使館や外交官に顧客を広げ、戦時中には外務省の依頼を受け外国公館員の指定食料配給所として営業をしていた。
結婚と同時に父親が経営を受け継いだ「浅野屋」は、昭和47年に東京・四谷にベーカリーを出店。避暑で東京を離れる外国人外交官やその家族の要望を受けて昭和15年から夏期出張店として開けていた軽井沢の店舗を、昭和58年には通年営業の店へと前面改装した。
「小さい頃は夏になると家族で軽井沢に行きました。出稼ぎですね(笑)」。浅野氏は夏期出張店時代の数少ない思い出をそう語る。
生まれながらにして商売人の家で育った浅野氏は、食卓での話題が今月の支払いのことであったり、従業員の人間関係の問題であることに違和感を感じたことはない。サラリーマン家庭と違って、自分たちから何かを生み出していかなければ食べていけないという環境も当たり前の事と受け止めていたという。商売なので当然のごとく浮き沈みがある。それがもろに家庭生活に直結し、会社の出来事で家族みんなが一喜一憂するのも浅野氏にとっては普通の生活環境だったのだ。
間近で祖父や父親の商売人魂に触れながらも、「いづれ経営者に」などとは一度も考えたことはなかったという浅野氏は、大学に進学し大手総合商社へ就職する。ごく普通の大学生としてキャンパスライフを謳歌し、バブル崩壊後とはいえOL時代も楽しんだ。海外旅行や食べ歩き…。ワイン好きが高じて「日本ソムリエ協会認定ワインアドバイザー」の資格を取得するのも、OL時代の1996年のことだった。
しかし一方で、時折父親の相談相手にもなっていたという。
例えば製造・販売するパンの品揃えなどだ。「どんなワインにどんなパンが合うのか」「若い女性にウケる味は」…。そんなやり取りをするうちに「会社を手伝ってくれないか」と口説かれるようになったという。勤務する商社でのキャリアに明確なものがあったわけではない浅野氏は、父親の誘いを受けることにする。5年間勤務した商社を退職し、営業企画室の社員として「浅野屋」に入社する。
営業企画室での仕事は主にマーケティングや商品企画・開発業務だった。顧客の声や時間帯による販売データ、人気ランキングなどを調査し、商品ラインナップなどに反映させていく。また、自ら店頭に立ち販売経験も積んだ。「浅野屋」は20代・30代が主役の会社でアルバイトも多い。組織が小さく中間管理職が少ないため少数精鋭で、いわゆる経営者の娘が入社しても馴染みやすかったという。そんな環境で浅野氏は現場と経営を結ぶパイプ役的な機能もこなし、次第に父親の心強いパートナーとなっていく。
「取引銀行との折衝や古くからおつき合いのある大口顧客対応などは父が行いましたが、徐々に経営を任されるようになりました」。
幼い頃から身近にあった会社、祖父、父へと受け継がれた会社は、いよいよ浅野氏へと引き継がれていく。祖父はどちらかというと職人気質だったが、父親は経営に熱心なタイプで勉強も怠らなかった人物だったという。従業員への接し方やヨーロッパの伝統的なパン作りを実現するため機材を輸入するなど、「浅野屋の在り方」を模索していった人物でもある。浅野氏はそんな父親のそばで8年という助走期間を過ごし、2006年に代表取締役社長に就任する。
「浅野屋」は現在、東京(東京ミッドタウン・自由が丘・銀座松屋)と軽井沢に3店舗ずつお店を出店し、そのほか業務用パン、冷凍生地でも事業を展開している。テレビなどのマスコミに取り上げられる機会も増え、古くからのディベロッパーとの付き合いなどから話題の商業施設への出店誘致なども少なくない。
社長となった浅野氏は今後「パン屋とはこういうもの」という既成概念を打ち破るようなチャレンジをしていきたいという。例えば開発メニューを増やすこともそうだが、パンの食べ方の工夫やレシピなどを提供する様々な情報発信の機会を増やそうとしている。
「とにかくパンを食べていただく豊かな生活を演出するために何ができるか、そこを追求していきたい」。多くのファンを持つ既存事業を継続しながら、人口が減少する中でもより選ばれる企業に、愛される店作りをしていきたいという。
75年続いてきた老舗という看板に胡座をかくのではなく、時流や変化に柔軟に対応できるしなやかさも大切にしながら、100年、150年と営業を続けられる会社にしていく。浅野氏は今を懸命に生抜き、次世代へとバトンタッチすることも自らに与えられた使命と考えているのだ。
丸紅株式会社時代の浅野氏 |
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