株式会社クリエイト・レストランツ・ホールディングス 代表取締役社長 岡本晴彦氏 |
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生年月日 | 1964年2月 |
プロフィール | 兵庫県姫路市の中心部に生まれる。小学校2年生から進学塾に通い、当時、県下トップの進学校「私立淳心学院」に入学。中・高と過ごし、東京大学に進む。大学卒業後、三菱商事に就職。数年後、日本ケンタッキー・フライド・チキン株式会社の物流システム改良のため派遣され、飲食業と運命の出会いを果たす。この時、現(株)スマイルズ社長の遠山正道氏と共に「Soup Stock Tokyo」のビジネスモデルを構築。三菱商事に戻った後は、オリエンタルランドと組んで「レインフォレストカフェ」というテーマカフェを開業。徐々に飲食業に主軸を移す。1999年、三菱商事在籍中に「クリエイト・レストランツ」を創業。専務として出向する。2003年、三菱商事を退社し、社長に。2005年、「クリエイト・レストランツ」は株式を上場。2010年、「クリエイト・レストランツ・ホールディングス」に商号変更している。 |
企業HP | http://www.create-restaurants.co.jp/ |
姫路市といえば姫路城が有名だ。今回、ご登場いただく株式会社クリエイト・レストランツ・ホールディングスの代表取締役社長、岡本晴彦は、この城のある町で生まれ、育った。幼少時代からピアノ、習字、絵画、合唱団など、いろいろな習い事を経験。ボンボンだった、という本人の一言にも頷ける。父は昭和2年生まれ。昭和一桁生まれといえば無骨なイメージが先行しがちだが、「良く話をする人で、子どもたちを自由に育ててくれた」そうだ。岡本家は両親と姉と岡本の4人家族。岡本は習い事のほかに、小学2年生から地域で有名な進学塾に通い始める。学校より厳しい塾だったが、難問を解く楽しさをこの塾で覚えた。進学したのは、地域有数の進学校「私立淳心学院」。キリスト教の学校だったそうだ。
「私立淳心学院」は中・高一貫の、毎年東大進学者を2ケタも輩出する全国でも指折りの進学校だった。この学校に岡本は3番目の成績で入学する。ところが、クラブ活動などに熱中したこともあって徐々に成績は下がる。下がるといっても10番程度なのだから、いやがうえでも、秀才ぶりが伺える。ところで、おもしろい話がある。中学時代、岡本は卓球部に所属していた。「けっして凄い選手だったわけではない」が、キャプテンを務めているぐらいだから部のなかでは上手だったのだろう。だが、小さな部のなかでいくら巧くても、満足できなかった。コーチは神父。相談しても明確なアドバイスは得られない。そこで岡本は、県でもトップクラスのスポーツ学校「東洋大姫路」に、1人で教えを乞いに行くのである。この行動力というか、物おじしない性格は、その後、三菱商事に入ってからも発揮されている。組織という小さな枠ではなく、「何をするか」を行動原理の中心に据えているという点で、いまの岡本に通じるものがあり、おもしろいと思うのだ。
姫路市といえば、神戸にも、大阪にも近い。関西にも有名な大学が数多くあるが、岡本はあたりまえのように東京大学を希望する。「ストレートのはずが、1年余分にかかった」と岡本。だが、1浪だとしても、文句のつけようがない。岡本は、東京大学経済学部に進学する。ところで、大学に進学は、どのような意味を持つのだろうか。小学2年生から始めた塾通いが、いったん一つの成果を残すことになる。だが、終着駅に降り立ったわけではない。むしろ、ここからがスタートのはずだ。岡本の人生は東大に入学してどのように変化していくのだろう。学生時代はどのような学生でしたか? そんな質問をしてみた。すると、ほとんど勉強もしなかったという答えが返ってきた。スポーツ愛好会に所属し、テニスに熱中。音楽にも、当時流行りのビリヤードにも熱中した。東京という先進的な街が、また東大の最高学府ながら自由な校風が、いままでとは異なる道を示し、少年を逞しい青年に育ていったのではないだろうか。
大学時代を自由奔放に過ごした岡本は、道が見えないまま就職活動の時期を迎えた。そんなとき、何を基準に会社を選べばいいのだろうか。普通なら、迷ってしまうところだが、岡本は一味違う。「先輩たちのなかにも、馬が合う先輩とそうじゃない先輩がいるでしょ。商社などいくつか志望する会社をセレクトしたんですが、そのなかで自分と合う先輩たちが就職した三菱商事に行くことに決めたんです」。なるほどそういう方法もあるのか、と1人、合点する。もっとも、売り手市場であり、かつ優秀な大学卒でなければなかなか、この手の方法は取れないに違いないのだが。兎にも角にも、岡本は三菱商事に就職した。
三菱商事入社後、経済学部卒にも関わらず、岡本は「情報システム部」に配属される。コンピュータやシステム関連なのだから、まるで畑違い。最初は、開発者たちの会話が宇宙語に聞こえたそうだ。当時は、コンピュータ・ITの黎明期。さまざまな情報がコンピュータ・システムに取り込まれていく、最初の時代でもあった。しかも、世界と取引を行う三菱商事である。会計システム一つをとってみても、国によって会計基準が異なっていたため、システム化するだけで相当な難問だった。扱う種類も、額も半端なものではない。トラブルがあれば、真夜中でも会社にすっとんで行ったそうだ。そんなとき、ケンタッキーから物流システムを改良する話が持ち込まれる。誰か、詳しい人間を派遣してくれないか。白羽の矢が立ったのが、岡本だった。当時、岡本、32歳。ケンタッキーに出向。ここで、当時、社長の大河原氏と出会う。大河原氏はケンタッキー1号店の店長であり、20年近く、社長を務める人物である。
もともと物流システムの再構築のために出向した岡本だったが、開発が順調に進んだ分、時間を持て余していたというのが正直なところ。そんなとき、大河原氏から、「新しいことをやってみたらどうか」と言われた。2つ年上の遠山正道氏(現、株式会社スマイルズ社長)といま流行の「Soup Stock Tokyo」のビジネスモデルを構築した背景には、そんな大河原氏の一言がある。出向から2年半後、岡本は、三菱商事に戻るのだが、戻った後も、飲食との関係が続き、徐々に岡本の主軸は飲食に移る。「三菱商事に戻った後、オリエンタルランドと組んで、レインフォレストカフェというテーマカフェを作るんですが、これがちょっとした話題になるんです。なにしろ、三菱と三井が組むという話ですから、いきなり社長たちが登場してくるんですね。そういうこともあって、徐々に飲食という業界の可能性に私自身、引き付けられていくんです」。起業という二文字を、この頃から追いかけ始めたのではないか。
さて、ここから先、岡本は、猛スピードで進んでいく。1999年、三菱商事在籍中に「クリエイト・レストランツ」を創業し、専務として出向。2000年 には、 三菱商事(株)が資本参加。創業 4年後の2003年には、三菱商事を退社し、ついに自身が社長に就任。すでにこの時、100店舗を突破している。2005年には株式を上場。資本参加した三菱商事の期待にも応えている。そして、2010年12月末現在、同社は中国にも進出、全国に386店舗を展開する巨大な飲食チェーン店となっている。1人の卓球好きな少年が、さまざまな経験値を手にして、いま飲食という業界を変えようとしている。彼は、飲食が「職」という言葉で語られる時代から、よりプロフェッショナルな「経営」という言葉で語られるようになった時代の、先端プレイヤーということもできるだろう。ここにも、ひとつ、飲食の未来へと続く道が始まっているような気がした。
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