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第220回 株式会社ホッコク 代表取締役社長 西村真里枝氏
update 11/06/14
株式会社ホッコク
西村真里枝氏
株式会社ホッコク 代表取締役社長 西村真里枝氏
生年月日 1964年8月24日
プロフィール 福島県郡山市出身。4人家族の長女。弟が1人。父親は中小企業経営者。幼少の頃から男子に囲まれ、わんぱくな少女時代を過ごす。一方、リーダー気質を幼い時からみせ、学級委員長や、生徒会も務める。勉学もでき、中学卒業後は、進学校で有名な安積女子高校に進んでいる。小学生の頃、刑事をめざした少女は、高校生になるとアナウンサーをめざすようになり、ラジオ福島の高校生スタッフにも選ばれるが…。高校3年生のとき、父の会社が倒産。一転、希望の芽が折られてしまう。その後、波乱の人生を送りながらも、笑顔を絶やさず、いくつもの波を超え、仲間を 得て、現在、「どさん子ラーメン」で有名な株式会社ホッコクの代表取締役社長に就任。巨大企業の舵取りを託されている。
主な業態 「札幌ラーメンどさん子」「らーめんみそ膳」「らー麺藤平」「どさん子茶や」「Kitchenおおつ家」
企業HP http://www.hokkoku.net/

「バク転」「大車輪」など朝飯前の少女時代。

いまでもスポーツは大好きで、バッティングセンターにも時々通うという西村は、小学生の頃から無類のスポーツ少女だった。バク転はもちろんのこと、校内の鉄棒にぶらさがっては大人たちの目をグルグル回した。大車輪である。当時の夢は、刑事。TVドラマ「太陽に吠えろ」に影響されている。中学に進学してからはソフトボールに夢中になった。県大会にも出場する強豪チームで1年の秋からレギュラーを獲得。のちにサードを守り、4番に座る。三振どころか、空振りもあり得なかった、と。それだけ運動能力があったのか、それとも、それだけの努力をしたのか。ただ、強豪校の4番は誰よりも負けず嫌いだったことはたしかなようだ。

県内一の女子高に進学。合唱部に入部し美声を鍛え上げた。めざすはアナウンサー。

高校3年生になるまでは、誰もがうらやむような順風満帆の人生だった。女子高としては福島県1の偏差値を誇る安積女子高校(現在の福島県立安積黎明高等学校)に進学。全日本合唱コンクール全国大会で金賞の常連だった合唱部に入部することもできた。「この頃にはアナウンサーになりたいと思うようになっていました。東京の大学に推薦で入り、アナウンサーになり、4〜5年勤めて結婚する。それが当時の私の人生設計だったんです(笑)」。合唱部で美声を鍛え上げながら、アナウンサーになるためラジオ福島の高校生スタッフに応募し採用されたりもしている。他校の男子生徒からも「マネージャーになってくれ」や「学園祭の映画に出演してくれ」「司会を…」など誘いがあったという。だかだが高校3年生になって、人生は暗転する。厳しい現実が待っていた。

東京へ。アナウンサーの専門学校を卒業したが、厳しい現実が待っていた。

受験を控えた秋のことだった。父親の会社が倒産し、大学に進学できなくなってしまった。就職しようにも、すでにタイミングを逸していた。八方ふさがりのなか、アナウンサーになる夢が捨てきれず1年制の専門学校に通うことにした。福島を出て、東京での一人暮らしが始まった。「弁当屋」や「テレビの裏方」のアルバイトで生活費をねん出する。少女の孤独な戦いが始まった。しかし、就職はまるでダメ。大卒でない、それだけで断られ続けた。結局、何十社も受け、ようやく採用が決まったのは、卒業してから半年以上経った秋のことだった。社会人生活がスタートする。彼女を採用してくれたのは、全国展開する大手消費者金融会社だった。この会社で彼女は4年間勤務。そこで結婚し、退職したが、この結婚はうまくいかず、結局、離婚することになってしまった。

ベンチャー・リンク入社。ビジネスウーマンに育っていく。

再び、就職活動を始めた西村が出会ったのは、ベンチャー・リンクという会社だった。「最初はどういう会社かもわからないで応募したんです。まさか15年も勤務するなんて思いもよりませんでした」偶然、就職情報誌で見つけた求人広告で応募。140人の中から選ばれた。ただ、希望は事務職、採用されたのは営業職としてだった。「東京で研修があるって誘ってくれて、だったらやってみようと」不安を抱えながら、西村の営業人生がスタートする。研修1日目から波乱の幕開けだった。なかなかアポイントが取れない。もう辞めようと決意した彼女を救ったのは、一人の先輩だった。「悔しくてトイレに駆け込んで泣いて。それで、もう辞めようと思ったんです。そして、意を決してトイレを出ると先輩がアイスとチョコを持って待っていてくれたんです。がんばれよって」とりあえず今日1日はやってみようと心を入れ替えたとたん、不思議とアポイントが取れるようになった。このエピソードがなかったら今の西村は存在しないという。

創業者の小林忠嗣氏から直接、指導を受ける。

もともと努力家で負けず嫌いの彼女は、ベンチャー・リンクで徐々に頭角を現していく。「営業の女性が私一人だったこともあったんでしょう。周りのみんなもサポートしてくれましたし、創業者の小林会長もことあるごとに教えてくださいました」。それが励みになっていく。気づくと15年の歳月が経っていた。その間に得た小林会長からの教えと信用という財産が、その後の西村を動かしていくことになる。

FCビジネスのスペシャリストから、経営者に。

結婚。ようやく専業主婦になるという夢を果たせたかに思えたが、彼女の力を評価する上司たちが、また彼女を慕う後輩や部下たちが、彼女を動かすことになる。「まず、不動産会社からお誘いを受けたんです。そこで2年半。当時、80店舗だった店舗をFCのパッケージを作り直し、300店舗以上にまで伸ばしました。その後、偶然にも昔アルバイトをしていたお弁当チェーン店に就職。ベンチャー・リンク当時の上司が副社長として入社していたこともあって誘われたんです」。ここでもチェーン店を拡大した。ただ、上司が退職することになり、西村も部下三人を連れてそこを後にする。そして三年前、ビジネスウーマンとして、大手企業で敏腕を発揮していた西村に、次のオファがきた。老舗のラーメン店「札幌ラーメンどさん子」のフランチャイズチェーン店本部、株式も上場している「ホッコク」からだった。そこで子会社社長、取締役営業推進本部長を経ていよいよ社長という席が待っていた。

バク転、大車輪の少女は、いま、どう老舗企業の舵を取ろうとしているのか。

負けん気の強い少女がいた。小学生でバク転、大車輪を軽々やってのけ、打っては4番、守ってはホットコーナーを任され、アイドルのようにも騒がれたアナウンサー志望の一人の少女。彼女がたどり着いたのは、従業員400名、FC店を含め約400店のラーメンチェーンを展開する会社の社長の椅子だった。

現在、ホッコクは新生どさん子の立ち上げを推進すると共に、中国への本格的な進出に向け精力的な活動を展開している。その指揮を執っているのはまぎれもなく彼女だ。女性ならではの展開はもちろん、FCビジネスに精通した彼女だからできる、老舗企業の新たな躍進に期待したい。彼女がリードすることで、ラーメン業界にグローバルな時代の新たな幕が上がる。その時代も、私たち消費者は「熱烈歓迎」である。

思い出のアルバム
思い出のアルバム1 思い出のアルバム2 思い出のアルバム3
   

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