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第225回 プレッツェルジャパン株式会社 代表取締役社長 小松俊介氏
update 11/07/12
プレッツェルジャパン株式会社
小松俊介氏
プレッツェルジャパン株式会社 代表取締役社長 小松俊介氏
生年月日 1970年1月15日
プロフィール 横浜市金沢区金沢八景生まれ。慶應義塾大学卒。大手都市銀行に就職。10年間勤務した後、32歳の時に私費で留学。オハイオ州クリーブランドにあるケース・ウエスタン・リザーブ大学で学び、帰国したのち新生銀行に入社。投資、再生、企業買収を担当。企業再生ファンド「キアコン」へ出向し、大型買収案件に携わる。このときに澤田貴司氏(同社 代表取締役会長)と出会う。のちに澤田氏が「リヴァンプ」を立ち上げた際に呼ばれ、キャラクター雑貨小売業の再建プロジェクトで営業のトップとして出向き、店舗開発、店舗運営を手がける。その後、プレッツェルジャパン株式会社、設立時に社長就任。世界23カ国1100店舗以上展開するAuntie Anne's(アンティ・アンズ)を日本全国に広げていくというミッションを果たすべく、日夜、奮闘している。
主な業態 「Auntie Anne’s(アンティ・アンズ)」
企業HP http://www.auntieannes.jp/

2010年、Auntie Anne's(アンティ・アンズ)オープン

「プレッツェル」という菓子をご存知だろうか。独特な結び目がかたどられている焼き菓子である。世界で愛され、日本ではスナックタイプのプレッツェルが製造され、販売されている。この「プレッツェル」の名店が、Auntie Anne's。世界23ヵ国、1100以上(2010年現在)の店舗を展開している。Auntie Anne'sのプレッツェルは、外側がサクッ、内側がふわっという独特な食感が特徴のソフトタイプの菓子である。このAuntie Anne'sの「プレッツェル」を日本に広めるというミッションのもと、2010年に誕生したのがプレッツェルジャパン株式会社である。今回は、同社の代表取締役社長、小松俊介にご登場いただいた。ちなみに、2011年4月現在、池袋東口店、秋葉原メトロピア店、二子玉川ライズS.C.店と3店舗を出店。いよいよ出店にも拍車がかかる段階である。

努力の天才。

小松が生まれたのは風光明媚な金沢八景。ただ風景を楽しむより早く、仙台に引っ越した。幼稚園から小学校卒業まで3つの学校を経験している。父が銀行員で転勤が多かったからだ。小松には2つ下に弟、4つ下に妹がいる。好きなスポーツはサッカー。小学生時代から大学生まで続けているから筋金入りだ。勉強もできた。とはいえ、天才肌ではないと小松。「基本的に不器用なんです。だから人の2倍努力しないと何もできない。勉強も、サッカーも、仕事も、です(笑)」。そんな努力家である息子に、両親たちは口うるさく注意する必要はなったのだろう。「あまり小言を言われた記憶はありませんね。ただ、父からは『約束は守れ』『相手のことを考えろ』と教えられ、育ちました」。小学校の頃から人の2倍努力することを覚えた努力の天才は、この後、どうなっていくのだろう。

「7年間、好きなことをしなさい」、母の教え。

父はバンカラが好みだった。だから、早稲田と慶應を秤にかけると早稲田が勝った。だが、小松本人は、慶應と心を決め、慶應義塾志木高等学校に進学する。「高校から大学に。いわいるエスカレータです。母から言われたのは、<受験がないぶん、7年間好きなことをしなさい>でした。高校・大学のバラ色生活が目の前に広がりました(笑)」。

サッカーに明け暮れた学生時代。

母の教えを忠実に守り(笑)、高校に入学したとたんに勉強をほっぽりだした。代わりに好きだったサッカーに熱中する。大学時代も同様、その時のポジションがボランチだった。
「ボランチ」とは、ポルトガル語で「ハンドル」「舵取り」と言う意味で、攻守の切り替えや、バランスを取る役割のことをいう。日本では「守備的ミッドフィルター」と呼ばれ、フィールドの中盤で相手のボールを奪うと同時に攻撃の起点となる。中盤で攻撃の芽を摘むことで相手が自陣に戻る前に攻撃をしかけることができる。常に必要な場所にいて守備にも攻撃にも参加するため、スタミナと相手の動きを読む能力が必要なポジションである。人のフォローやバランスを見ながら攻撃をしていくサッカーは、まさに戦略的なスポーツとも言われている。高校・大学の7年間、サッカーを通して学んだことは、いまの経営にも活かされているに違いない。仲間の絆も生まれたはずだ。そのなかの一人、高校で出会った親友が、この後、小松の人生の攻守を入れ替えるきっかけを与えることになる。

父同様、大手都市銀行に就職。順風満帆の船出。

父の影響もあったのだろう。先輩の誘いを二つ返事で受け、大手都市銀行に就職する。慶應ボーイから金融マン。誰もが羨むようなエリートコースである。ただ、本人に確たる動機があるわけではなかった。「2、3年目からでしょうか。当然ながら銀行は数字がすべてです。私は、そんな数字の判断に加えて、たとえば何故、売上が悪いのかという背景にある、実際の現場や経営に関心を持ち始め、企業再生業務や経営などの仕事に関心が出てきました」。順風満帆に始まった社会人生活だったが、進むべき針路に疑問を抱くようになった。「ちょうどそんな頃、すでにお話した高校時代からの親友が留学するんです。それをみて、よしオレも、と」。留学に、面舵一杯。ところが反対が続出。普段、何も言わない母までが、反対だという。それも、そうだろう。25歳で結婚していた小松には、1歳になる子どももいたのだから。

32歳、おじさんの留学。

「結局、10年間、お世話になりました。企業を見る力や分析する能力は、銀行でじっくり学ばせてもらいました。とても感謝しています。」と小松。結局、都市銀行生活は10年でピリオドが打たれる。もちろん辞めた後、進むべき方向は一つ。留学である。攻守、逆転。人生、攻める番が回ってきた。この留学によってキャリアチェンジをする。強烈なその思いに反対派も黙るしかなかったのではないか。ただし、大手都市銀行10年のキャリアを捨て、私費で留学し、改めてビジネススクールに通うような日本人はまずいない。その先に何があるのか? 周りが不安になるのもわからなくもない。

オハイオ州クリーブランドで、オレを叫ぶ。

小松が向かったのはオハイオ州クリーブランドにある<ケース・ウエスタン・リザーブ大学>だった。経営を学ぶためだ。語学は、日本にいる間に徹底的に努力してマスターしている。だが、2年間の留学のうち最初の半年間はカルチャーショックの連続だったそうだ。「正しいかどうかは別にして、とにかく意見を主張することが大事なんです。オレはこう思う、オレはこうしたい、それがないと始まらないんです」。オハイオ州クリーブランドで、オレを叫ぶ。叫んだぶん、小松は、自分の本質を理解したのではないだろうか。

帰国後、新生銀行へ。そしてキアコンの澤田氏との出会い。

2年の留学を経て帰国した小松は、新生銀行に入社する。34歳の新入生だ。この新生銀行で2年間、投資、再生、企業買収を担当した。とはいえ、2年間の足跡を追いかけると、銀行内で書類仕事などを黙々としている様子はまるでなかった。入社していきなり、キアコンへの出向が命じられた。キアコンはファーストリテイリングの副社長だった澤田貴司氏が立ち上げた企業再生ファンドの運営会社であり、キアコンは当時、大手量販店の買収をめざしていた。小松は、この澤田氏の下で早朝から明け方まではたらくことになる。
昔、金融マンと言われた時代の仕事とは、おもしろさという意味だけでも、雲泥の差だった。小松は仕事にのめり込んでいく。一方、澤田氏にも傾倒していくことになる。澤田氏との出会いを「人生最大の出会い」と小松は表現している。

先頭に立って頭を下げて得た信頼と自信。

結局、大型案件は獲得できなかった。出向は解かれたが、すぐに次の出向先が決まった。現場に入り老舗の家電量販店を再生させること。これがミッションだった。むろん簡単にクリアできるミッションであるはずはない。意気揚々と乗り込んで行ったが小松が出向くと現場はいきなり不信感に包まれた。いたるところで険しい目を向けられた。孤独な戦い。書き込みサイトにも、言いたい放題書き込まれた。「若造が何しに来た!」、これが、当時の社員たちの正直な気持ちだった。従業員たちと心が通わない。それで再生ができるのか。悶々とした日々がつづく。そんなある日、新店がオープン。小松は売り場に立った経験はなかったが、従業員の先頭に立って頭を下げつづけた。「いらっしゃいませ」。小松の大きな声が店に響く。ピッチに立ったときのような気分だったに違いない。そんな小松の姿をみて、社員たちに変化がみられた。徐々に、心と心が触れ合っていく。「私という人間を理解してもらえたんだと思います。あのとき、みんなが私にこの仕事を行っていくうえでの大事なことを教えてくれたから、いまの私があると思うんです」。結局、この家電量販店は、他2社と合併させた後、とある大手家電量販店の傘下に収めることでミッションは完了することになる。

澤田氏が経営支援会社リヴァンプを設立。その設立に、参加する。

リヴァンプは、企業を芯から元気にするという理念の下に設立された経営支援会社である。このリヴァンプに参加した小松が最初に手掛けたのは、キャラクター雑貨小売業の再建の仕事だった。小松は営業のトップとして乗り込み、店舗運営と店舗開発を手がけた。そして2010年、今度は社長として、プレッツェルジャパン株式会社の設立にタッチする。
「とにかく美味しいプレッツェルと、いままでにない価値やオープンなスタイルに魅了された」と小松。その思いが、社長就任へと小松をいざなった。

チームワーク。サッカーでいえばキックオフのホイッスルが鳴ったところか。

現在、このプレッツェルジャパンは、冒頭で書いたようにAuntie Anne'sを3店舗展開している。いずれの店舗でもスタッフたちは<「More Pretzels, More Smiles.」。最高においしいプレッツェルを通じて、お客様を最高の笑顔にしたい>という思いを胸にがんばってくれている。それがうれしい。プレッシャーにも、励みにもなる。小松流の経営スタイルは、みんなで意見を持ち寄ってみんなで話し合うことである。そのベースには、<常に"思いやり"をもって接する。そして笑顔で!>という考えがある。経営はサッカーと似ていると小松。ゴールを決めて、それに向かって役割分担しながら、みんなでボールを追いかけていくのである。さて、まだまだスタートしたばかりのプレッツェルジャパン。この新会社の舵を、小松はどうハンドリングしていくのか。経営者、小松の勝負はいま始まったばかりだ。

思い出のアルバム
   
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