たつ郎寿司 代表取締役社長 渋谷達郎氏 | |
生年月日 | 1961年2月26日生 |
プロフィール | 田園調布出身。高校時代には生徒会役員をするなど、リーダー的な気質をみせ始める。大学時代には、日本中を旅する。24歳から家業の寿司店で本格的に働き、30歳の時、父から店を引き継いだ。だが、この時、6000万円の負債まで同時に受け継いでしまう。その後、借金の返済と共に店の売上拡大に努め、「たつ郎寿司」の名を不動のものにしていく。データの分析に長け、蓄積した豊富なデータをもとに宅配など、単店でできる「売上・利益」の拡大に注力。店の魅力を何倍にも高めてきた。 |
主な業態 | 「たつ郎寿司」 |
企業HP | http://www.eva.hi-ho.ne.jp/su-ta-/ |
田園調布といえば、ステレオタイプと言われようともスグに高級住宅街をイメージしてしまう。渋谷の出身地を聞き、イメージそのままで尋ねると「たしかに友人のなかには医者とかも多いですが、うちは魚屋で田園調布といいながらも、けっして裕福な家ではありませんでしたよ」という予想外の答え。「もともと父は新潟の出身で、ここに鮮魚店を始めた、これが渋谷家のルーツです」とのこと。小学生の頃はどんな子どもでしたか? という質問もしてみた。「勉強もできないし、運動神経もまぁふつう。手先も器用じゃなかった」。「母も、父の仕事を手伝っていましたから旅行といっても父の実家に帰るぐらいで。とにかく弟も一人いるんですが、家族全員AB型なので、みんなが好き勝手なことをしているような感じでした(笑)。ただ、私は父親の背中をみながらいつか魚屋をやりたいなと思っていました」。そんな答えが返ってきた。
子ども時代を振り返るとおもしろいもので、幼い頃からはっきりと大人の輪郭を現す早咲きの人もいれば、少し遅れ、中・高時代に開花する人もいる。渋谷の場合はたぶん後者。中学は区立で、なかなかの進学校だった。渋谷は3年間バスケットボール部に所属。勉強は二の次だった。進学した高校は、欲目でみてもガラの悪い学校で「授業中にシンナーを吸うような生徒もいました」とのこと。そんななかで、渋谷は生徒会に所属し、少しずつ今の渋谷を形作っていく。父から引き継いだ、商売人のクリエイティブな発想が表にでるようになったのではないか。荒廃した学校のなかで、渋谷は徐々に光を放ち始める。
大学生になった渋谷は、日本中を旅することに熱中する一方で、ゼミで人間性心理学を徹底的に学び、いまの行動の指針となる「マズローの法則」と出会っている。卒業後は就職せず、そのまま家業を手伝いはじめた。このときすでに鮮魚屋から衣替えを行い、焼鳥屋や弁当屋を経て、寿司屋まで経営していた。それが「たつ郎寿司」の原点である。「ちょうどバブルの頃です。取り立てて旨くて安いというわけでもなかったのですが。バブルのおかげで、それなりにはうまくいっていました」。渋谷も、板前から寿司の握り方を教わり、勉強した。本格的に店を手伝い始めたのは24歳の頃。道が徐々に見え始める。
それから6年後、父が病に倒れた。それがきっかけで、長男の渋谷が経営を任されるようになる。30歳、遅咲きといえば遅咲きの経営者である。しかもこのとき、店と共に6000万円の借金まで託された。バブル期、ご多分に漏れず、銀行の言うままに事業拡大に走ったツケが残っていた。社長になるとすべての現実が覆いかぶさってきた。もちろん逃げるわけにはいかない。幸い、店に客はついている。この店だけが渋谷の頼りだった。「当時から月商400万円ぐらいはありました。30坪、家賃も高くないので悪い数字ではなかった。とはいえ、絶好調というにはほど遠い状態です。借金も抱えていましたから、どうすればいいか、そればかり悩んでいました」。このとき、逃げずに戦ったことが渋谷の経営者としての骨格をつくっていく。「売上をとにかく伸ばそうと、お酒の持ち込みをOKにするなどいろいろな工夫を行いました。このときは公務員さんを狙ったわけですが、狙い通り売上は上がったものの、利益はトンと上がりませんでした(笑)。そういう風に暗中模索しながら、売上と利益の違いをわかっていくのです」。
「試行錯誤しているうちに思い出したのが『マズローの法則』です。いまではウチの店の行動指針になっています。あの有名な【5段階の欲求】です。その理論をお客様の欲求にあてはめ満足を引き出そうというのが、私のやりかたなんです」。「たとえば、お水が欲しいと思われているお客様がいらっしゃったとします。すぐにお持ちするのがベストですが、そうできない時もある。そのときは『少々お待ちください』と一言かければいいんです。その一言で、お客様は安心される。そこが大事なんです。その基本が大事で、過剰なサービスに走る必要はないというのが私の持論です。私は大学を卒業してスグにうちの店に入りましたから、どこかで学んだわけではない。だから、逆に素直に基本の大事さを呑み込めたし、マズローの法則に素直に従うことができたと思うんです」。こういえば怒られるが、寿司屋の経営は少し遅れがち。そんななかに、論理立てた経営を実践する渋谷が登場した。軌道に乗らないわけはない。
DOS/Vといって、わかる人はいるだろうか。Windows95が登場するまで、主にこちらが主流だった。当時、コンピューターを使うには、基本、プログラミングしなければならなかった。「お客様のなかに得意な人がいましてね。これからはコンピューターを知らないといけないからって熱心に教えてくださったんです。それで自分でも勉強して、レジのシステムや売上管理のシステムなどを自作しました」。このコンピュータシステムに、さまざまなデータが蓄積されていった。宅配でも早くからデータを集めた。「宅配のたびにアンケートを書いてもらったんです。回収率は9割。これを何年も行ってきましたから、注文の傾向やクレームの傾向がある程度予測できるようになりました」。現在、このデータを武器に、いっときセーブしていた宅配に本格的に取り組もうとしている。「ようやくお店が満杯になりました。これ以上になるとお客様にもご迷惑がかかります。では、これ以上に売上を伸ばすのにはどうすればいいか。その一つの方策が宅配です。幸い、豊富なデータがありますからそれを活用します。この宅配で、目標とする年商1億円を達成するつもりです」。
売上を上げようとすれば、多店舗化が一般的。2店舗になれば、売上2倍というのがソロバン上の答えである。計算通りうまくいくケースはまれだが、それでも有効な手段であり、たいていの経営者はそこに走る。だが、渋谷のケースは、親から受け継いだ負債もあり、借り入れがままならず、出店には慎重にならざるをえなかった。それが逆に、工夫に転じた。単店でどうすれば売上アップを図れるか、その試行錯誤によって「たつ郎寿司」は以前にまして輝くことになった。早くから宅配に挑戦したのも、システムを導入したのも、どうすれば現状のまま、売上や利益を伸ばすことができるかを模索したからだ。すでにオープンしてから28年。この長い間、愛され続けてきたのも、小さなチャレンジを続けてきたからだろう。一店集中型。売上数字に翻弄されない、商売の基本を垣間見た気がした。
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