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第230回 オーグードゥジュールグループ 代表取締役 岡部一己氏
update 11/08/02
オーグードゥジュールグループ
岡部一己氏
オーグードゥジュールグループ 代表取締役 岡部一己氏
生年月日 1970年12月19日
プロフィール 京都府の福知山に近い山間の町で生まれる。小学生の頃、母を真似て料理を始めたのがきっかけとなり、料理人を志すようになる。高校卒業後、田舎を離れ、料理の専門学校に。1年後、同校を卒業し、銀座の有名なフレンチレストランに就職。3年間勤めた後、いくつかのレストランやバーを経て、2002年、独立。フレンチレストラン「オーグードゥジュール」を開業。2011年6月現在で、すでに7店舗の出店を果たす。7店とも独立した会社が運営。スタッフたちが、責任を持って運営するユニークなスタイルを採っている。
主な業態 「Au gout du jour(オーグードゥジュール)」「merveille(メルヴェイユ)」「minobi(ミノビ)」「Le jeu de l'assiette(ル・ジュー・ドゥ・ラシエット)」「Nouvelle Ere (ヌーヴェルエール)」
企業HP http://www.augoutdujour-group.com/

怖いはずの父を笑顔にした料理の魔法。

頑固で、怖いはずの父が、料理を食べながら笑っている。今回、ご登場いただくオーグードゥジュールグループの代表取締役社長 岡部一己の小さな頃の記憶のひとコマ。料理をつくるのも好きだったが、人の喜ぶ顔を見るのが、もっと好きだった。いつか料理人になろう。小学3年生の文集には<板前になりたい>と書いた。その思いは、大人になるまで胸から消えなかった。
岡部が生まれたのは、京都府福知山近くの山間の町。福知山からバス。京都市内まで車で2時間、海までは1時間30分離れている。テレビはあったが、中学になるまではNHKしか映らないような辺鄙な町だった。10歳と8歳上に兄と姉がいた。年齢が離れていたこともあって遊んだ記憶もあまりないという。代わりに母親が家にいると周りにへばりついていたのだろうか。いつしか母の料理を真似、簡単なものなら作れるようになった。「あの頃はお菓子もなくって、お腹が減れば何かをつくって食べていました。少しずつ工夫しながら味を変えて。ある意味、必要に迫られていたのでしょうね」。そういって岡部は笑い声をあげた。

料理人になりたくて。

料理人になるために猛勉強をした。「中学生になっても「料理人になる」という思いがブレたことはなかった。中卒で料理の世界に入ることもできたんですが、さすがに両親に反対されました。そのうえ、『福知山高校に行かないと料理の道には進ませない』と断言されてしまうんです」。福知山高校は公立だが有名な進学校だった。成績は悪い方ではなかったが、福知山高校はひと握りの生徒しか進めない進学校。中学3年の夏から、岡部史上最大の猛勉強が始まる。大学に進学するつもりはない。いい高校に進みたいとも思わない。ただ、ひたすら料理人になるため、岡部少年は、数学の公式や物理や、歴史を頭に叩き込んだ。無事、合格した岡部は、その3年後、大学進学など露とも思わずまっすぐ辻学園に進んだ。料理人への第一歩が始まる。

住み込みのアルバイト。黙々と、ひたすら料理に取り組んだ日々。

「1000人はいたんじゃないでしょうか。1年生の専門学校でした」。願書には和食と書いたが、すぐにフレンチ・イタリアンに専攻をかえた。「願書を出すときには、フレンチもイタリアンも知らなかったんです(笑)。だから和食と書いたんですが、どうみたってフレンチやイタリアンのシェフのほうがかっこいい、そう思って、こちらを専攻することにしました(笑)」。6月から放課後に選択授業があり、岡部は<サービスの授業>を選んでいる。料理を覚えるうえでも、サービスはのちのち役立つと考えたからだ。
この1年間、定食屋で住み込みのアルバイトをした。休みは火曜日だけ。遊ぶ暇もなかた。学校でも、仕事でも料理。どうでしたか?と尋ねると、「楽しくてしかたなかった」という答えがすぐさま返ってきた。よほど料理が好きだったのだろう。なにしろ、18歳。まだ遊びたい盛りである。にもかかわらず料理漬け、仕事漬けの毎日を楽しかったと言い切るぐらいなのだから。

銀座の名店でギャルソンへの一歩を記すが、3年目、怒りをぶちまけた。

専門学校を卒業した岡部は、東京銀座にあるフランス料理の名店に就職する。このレストランで岡部はギャルソンの道を歩み始める。とはいえ、この店での3年間、岡部はお客様と会話したことがない。「チームを組んで仕事をするのですが、私は下っ端だから調理場から中間地点まで料理を運ぶのが仕事です。お客様の顔さえ見えません。次々に料理を運んで、数えてみたら1日に30,000歩、歩いていました(笑)」。厳しい序列があったのだろう。「上にはまったく逆らえなかった」と岡部はいう。だが、一度だけ、逆らった。「我慢の限界だったんです。ぼくらグループのトップに『もう、あなたの下では働けない』と啖呵を切りました」。後先を考えた発言ではなかった。ただ、この一言は、修業時代の終わりを告げる宣言ともなった。
この後、岡部はたまたま、もらっていたオファーに承諾する。「正直にいえば、金に目がくらんだんです。辞めたことは間違っていないと思いますが、お金で次の店を選んでしまったのは大きな間違いでした」。上場企業をバックに持つ会社だったが、業績が伸びず、周りの人間すべてがリストラされる。岡部は唯一、『残ってくれ』と頼まれたが、もはや店にも、会社にも愛着がなくなっていた。岡部23歳のことである。

独立の誘い。

この時、岡部はすでに結婚していた。いくら「お金のためには働かない」と思っていても、生活費は捻出しなければならない。紹介された神田にあるワイン・バーに就職。月給はとたんに下がったが文句はいえなかった。この店を1年で卒業すると、銀座のレストランに転職。まだ起業など考えもつかず、いつかどこのかのレストランで支配人をすること、強いて挙げればそれが目標だった。24歳、25歳、年齢がカレンダーのようにめくられていく。30歳が迫ってきた。そんな折、親しい客から「独立しないの?」と聞かれたことがあった。「ないです。ないです。資金もありませんから」。笑って誤魔化した。「資金のことか。お金ならなんとでもなるよ」。聞き流したつもりが、その一言が頭から離れなかった。「独立」、その二文字が頭をもたげてきた。
「はたしてオレに独立ができるんだろうか?」

一口10万円、最高5口。岡部を信頼してあつまった資金は600万円。

いったん決めると行動が早いし、ブレない。「たまたま西麻布に出店するというオーナーシェフから『支配人に』という誘いを受けたんです。独立するうえで、お金の流れもみたいと思い、お世話になることにしました。期限は3年、そう決めていました」。
ところでこの当時、ITバブルが一つの山に向かっていた。IT企業が大型ビルにオフィスを構えはじめたのも、この頃だろう。しかし、このITバブルは数年で幕を閉じる。この祭りの後ともいえる、2002年に岡部は独立する。32歳。西麻布のレストランを辞し、晴れて独立のため一歩を記した。自己資金300万円、銀行融資2800万円、一口10万円、最大5口までという条件でかつてのお客様たちに出資を打診。600万円があつまった。合計、3700万円。30坪30席。夏が終わる頃、岡部の城ができあがった。

開業。だが、3日目から、閑古鳥が鳴いた。

スタッフ7名、全員、正社員。サービスも、料理も一流のフレンチレストラン。気取らずに入れるにもかからず、贅を尽くしたサービスを受け、心をみたすことができるレストランというコンセプト。
1日、2日はよかった。だが、オープン3日目から、急に落ち込んだ。成す術がなかった。店内を見渡せば、1席しか埋まっていない日もあった。「レストランなのに電話も止められ、あわやガスまでという日もありました。運転資金を用意していなかったので、自転車操業です」。「もう駄目だ」。実は、いつ死ぬかと思い、生命保険の額を計算したこともあった。誠実な岡部だけに、出資者たち、スタッフたちに対する思いが、逆に心を悩ませたのだろう。

1ヵ月半、ネットで「オーグードゥジュール」が話題の店になる。

「サービスも、料理も一流のフレンチレストラン」が1ヵ月で、はやくも危機を迎えていた。限界は近づいてくる。ところが、それから半月、正確にはオープンしてから1ヵ月半後、状況がいっぺんした。「あるネットのサイトに取り上げられたんです。それが満席の記録がスタートした日でした」。予約の電話が鳴りやまず、店内は、客たちの笑顔に満ちた。小さな頃、父親に笑顔になってほしくて作った料理同様、岡部、渾身の一作が、多くの客を魅了しはじめたのである。
気も抜かなかった。サービスの低下を恐れ、30席を26席にした。その分、客数は減ったが、サービスは今まで以上に向上する。「売り上げが上がらず苦しみ、1組のお客様だった時も、経営者としては悩みに悩みましたが、お客様と接すること自体はたのしくてならなかったんです。経営者の目ではなく、ギャルソンの目でみるとサービスを維持するためにどうすればいいか、売上があがると今度は、こちらが心配になってきました」。バランスは取れている。これが、岡部の強みだろう。スタッフのために、2号店の出店も果たした。オープン当初こそは苦戦したが、1年後にはこちらも火がついたように売り上げがのびた。順風満帆。そんなときひとつの事件が起こった。

試練のなかで気づいたことは誠実であることの大事さ。

「ノロウィルスです」。ノロは店側では防ぎようがない、やっかいなウィルスだ。それで1週間、営業停止を食らった。客に正直に話すべきか、なにが最善か。スタッフとの会議では、改装と装う意見もでた。実際、公表しない店も少なからずある。しかし、このとき、岡部を含むスタッフたちは、決然と<正直にいこう>と話し合い決めた。予約を入れてくれていた客にも、なじみの客にも一人ひとり丁寧に電話をかけ、正直に事情を説明した。「わかった、じゃぁ、営業が再開したらまた教えて」。9割以上のお客様がそう答えてくれた。岡部は涙を流して、受話器に向かって何度も頭を下げた。
医療費もすべて支払った。原資を用意するために、銀行に頭を下げる。すると1000万円を即時貸してくれた。「取引はなかったのですが、同じビルのなかで、毎日、元気にあいさつをしていたことで好印象を持ってくれていたようです」。まるで神のように思えたことだろう。たしかに商売の神は誠実な人間によく微笑む。

ギャルソンの経営者はスタッフにも最高のサービスを提供する。

7店舗、2011年6月現在、岡部のオーグードゥジュールグループは、7店舗、7社で構成されている。2002年、どん底からスタートした店はいまでも、予約が困難な人気店で、それ以外の店舗も、順調に売上をのばしている。各店舗を会社に分け、スタッフに任せているのもオーグードゥジュールグループの特長だ。
「辞めるスタッフはほとんどいませんね。独立したいという人もいますが、そうなれば、ぼくらが会社と店をつくって、譲りますから」と岡部。実際、6店舗の店主が誕生している。はたらく人にも最高のサービス。ひょっとすればギャルソン岡部は、そういう視点も忘れていないのかもしれない。

思い出のアルバム
   
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