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第233回 株式会社リトル沖縄オーバーシーズ 代表取締役社長 小嶋達典氏
update 11/08/23
リトル沖縄オーバーシーズ
小嶋達典氏
株式会社リトル沖縄オーバーシーズ 代表取締役社長 小嶋達典氏
生年月日 1968年11月11日生まれ
プロフィール 大阪の十三という街に生まれる。2つ離れた姉が一人。ごく一般の4人家族だが、特筆するとすれば、父親があの「がんこ」を経営する「がんこフードサービス株式会社」の社長、小嶋淳司氏だということだろう。この小嶋家の長男として育ち、大学卒業後、京都の懐石料理の「桜田」で修行。2年間の丁稚奉公を終え、父が待つ「がんこフードサービス」に入社。2008年、事業譲渡により託された「リトル沖縄」の舵を取るべく、社長に就任する。
主な業態 「リトル沖縄」「あちこーこ」「竹富島」「ちゃんぷるぅ家」「沖縄時間」
企業HP http://www.little-okinawa.co.jp/

「がんこ」を経営する小嶋家の長男として誕生する。

いい意味でも、悪い意味でもついて回る。小嶋家の長男という肩書である。むろん、それを自覚するのは大人になってからだろうが、小さな頃から父の商売に対する情熱を感じながら育ったのは間違いない。あれこれ言われず自由だったと、小嶋達典は子ども時代を振り返るが、その一方で多忙な父をいつも見詰めているような少年ではなかったか。ともかく、今回、ご登場いただく戦士は、あの「がんこ」を経営する「がんこフードサービス」の現会長、小嶋淳司氏の長男である。
小嶋達典が生まれたのは1968年12月、万国博覧会が開催されるおよそ1年前だ。日本は、高度経済成長の波に乗り、外食事業もまた産業として位置づけられるようになっていく。この点でいえば、父、淳司氏の努力があったのだが、少年、小嶋にはもちろん、父の熱い思いはまだ理解できない。もっぱら剣道に憧れた少年だった。「小1から剣道を習い始め、中学3年生まで続けました。もちろん、私の意志です。高校は関西大倉高校という私立に進みました。もう剣道はいいかな、とアメリカンフットボールか、ラグビーかと迷ったんですが、アメリカンのほうは丸刈りだったんで、じゃぁラグビーだ、と(笑)。でも、このラグビー部がキツかった。36人が入部して、1年後まで残ったのは私を含めたった7人でした」。
このクラブ活動の厳しさに耐えることで、少年、小嶋は徐々に逞しい青年に育っていくのだが、ここまで小嶋と料理の接点はあまりない。「中学の時にがんこでバイトをしていたぐらいでしょうか」。高校になるとクラブが忙しく、バイトをする暇もなかったそうだ

大学入学、そして京都の老舗料亭へ。

大学でも小嶋は、ラグビーを続けた。ポジションはウイング。トライを決める花形のポジションだ。「足が速かったから」と小嶋。小嶋の時代にチームは3部に昇格している。「大学になってもラグビーを続けていましたが、高校の時ほど練習に明け暮れなくて済んだ。それで、バイトも始めました。クラブが終わってからバイトに行って、学生だから朝はゆっくり寝ていられるじゃないですか(笑)」と小嶋。大学を卒業すれば、「食」の道に進むことを当然のように受け入れていた。「大学4年生になった頃からでしょうか。父親を社長としてみるようになりました。経営者としても、人間としても尊敬できる人です」。
大学を卒業した小嶋は、京都の老舗料亭の一つ、懐石料理の「桜田」の門を潜った。修業である。手先が器用だったのだろうか、焼き物などを任され早くから実践で鍛えられた。この時から、「食」に関する一人の青年の旅が始まったといえるだろう。

サンヨー入社。

2年間、桜田で修行した小嶋は、その後、一転、サラリーマンになる。その意志と計画性に舌を巻く。「父親が店を経営していたこともあって、小さな頃から食については関心があったし、いろいろなお店にも行きました。でも、それはがんこの小嶋の息子だからなんですね。あるとき、ふと、じゃぁ、ふつうのサラリーマンはどういうお金の使い方をしているんだろうと。そういうのが気になり始めたんです」。「サラリーマンの方々は、うちの店でも第一のお客様です。だからなおさら知っておくべきだと。それで、サンヨーさんに就職させていただきました」。卒業して2年が過ぎている。むろんコネで入社したわけではない。まずは、工場のラインからサンヨーでの仕事がスタートした。「それから品質管理、また営業に異動します」。2代目でなかなかこのような選択をする人は少ないのではないか。「食」や「ビジネス」に対する謙虚な姿勢が、小嶋をサラリーマンの仕事に向かわせたのだろう。このサラリーマン時代は、小嶋の顧客志向の基礎になっている気がする。

「がんこ」へ。

「小嶋会長にどんなことを教えられましたか」と質問すると「人に好かれようとせず、人を好きになるように」という言葉が返ってきた。サラリーマン生活を終えた小嶋は、ようやく父が待つ「がんこフードサービス」の門を潜る。2代目として簡単に帰れるほど小さな会社ではない。関西に「がんこあり」と謳われ、ある意味、周回遅れの外食事業を産業として育てた小嶋淳司氏率いる「がんこフードサービス」である。
「周りの目はまったく気にしなかった、といえばウソになりますが、気にしないようにしました。社長の息子なんですから、それを辞めるわけにもいきませんからね」と小嶋はいうが、入社した当時は精神的にもキツかったそうだ。
だが、その時の経験も小嶋はバネにしている節がある。というのも、2008年、「リトル沖縄」に経営者として乗り込んだ時もまた、ある意味、同様の立ち位置であるからだ。社員たちに任す、その姿勢は、いまのスタッフを思いやり、尊重する気持ちから発している。これは「がんこ」に入社して学んだことにほかならない。
ただ、葛藤もある。「会長の息子ではなく、自分を裸にしたときに、どんな価値がある人間なのか」を見極めたいという欲求との戦いだ。リトル沖縄がその一つのバロメーターになるといえば怒られてしまうだろうか。
現在、リトル沖縄は<銀座の街にある小さな沖縄>と銘打つ銀座店ほか5店舗。この「がんこ」とは異なる文化の業態が、老舗、「がんこ」の新たな扉を開くカギになるかもしれない。そこにもまた期待したいところである。

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