株式会社ポッカクリエイト 代表取締役社長 飯沼 浩氏 | |
生年月日 | 1951年10月 |
プロフィール | 山梨県甲府市に生まれる。小学生時代から有名進学校に通う。 大学卒業後は婦人服の「三愛」に就職。10年後、ファミリーマートに転職。初代労働組合(ファミリーマートユニオン)の委員長に就任し、経営者と労働者の意見調整弁となり、社の発展に寄与する。委員長を3期3年勤めた後、商品本部や取締役として総合企画室を担い、業界初のコンビニATMの導入などにも実績を残す。ファミリーマート退職後は、一流企業からオファーが絶えず、株式会社ポッカクリエイトでは社外役員を経て、2009年社長に就任。就任後は、SIを変えるなど精力的に動き、落ち込んでいた業績を一気に立て直す。多趣味で、特に「ライセンスを取得し、サーキットを走った」というほどの車好きである。 |
主な業態 | 「カフェ・ド・クリエ」「ツーピースカフェ」「オランジェ」「カフェ オール・エ・ダン」他 |
企業HP | http://www.pokkacreate.co.jp/ |
いまでこそ小学生の時から電車やバスで通学する子どもは少なくない。ただ、今回ご登場いただく株式会社ポッカクリエイト 代表取締役社長 飯沼 浩の場合は、1950年代半ばの頃の話である。
「父親が教育熱心だったんです。それで小学校の頃からバスで20〜30分の山梨大学付属小学校に通わせられました(笑)。国公大学の付属小学校で、県下では有名校でした」。
さて、1950年代半ばの山梨は、どんなところだったんだろう。豊かな自然を想像する一方で、バスといっても当時はまだ十分に整備されたインフラではなかったかもしれない、と思う。そんななか少年が一人で通学する様子を思い浮かべると、微笑ましくも思えてくる。ともかく、少年飯沼は、毎日バスに揺られながら、学友たちにも囲まれ元気に育っていく。
「小学校の頃は野球ですよね。中学になってサッカーをするようになりました。サッカーはかなり高いレベルまでいきました」。
「躾やマナーなど、とにかくうるさかった」と飯沼は当時の父の印象を話しだす。
「当時でいえば、ハイカラだったんでしょうね。車が好きで、一番多い時にはシトロエンなどのフランス車を含め5台もあった(笑)。写真も現像までしていましたし、油絵も展覧会などに出展していました。当時からゴルフもやっていたし、車の整備士の資格も持っていました」。
こんな父を息子の飯沼は、怖い反面、憧れていた。小さい頃から暗室に入り、写真を現像したのも父の真似だろう。父は東京電力に勤務していた。自身が高卒だったこともあり、教育には熱心だったのかもしれない。父が、仕事で東京に行くとなると、飯沼の目が輝いた。「父はお寿司が大好きで、東京に行くたびにお寿司屋に連れて行ってくれたんです」。
当時、魚の鮮度の関係で山梨の寿司と東京の寿司はぜんぜん別物だったのである。
山梨から東京まで、親子二人はどんな会話を交わしていたのだろうか。
「ことあるごとに言われたのは<常に興味を持ちチャレンジすること>と<努力しないと駄目だ>ということ」らしい。今でもこの一言は、頭に残っていて、飯沼のモットーになっている。
「高校1年までは成績もよかったんです。でも、慢心のため2年の頃から下り坂です。第一志望校には行けず、結局、法政大学の経済学部に進学することになりました。父は何も言いませんでしたが、学府の頂点をと期待していた時もあったでしょうから、まぁ少しは落胆していたんじゃないでしょうか。その頃にはもう何も言わなくなっていましたが…」。父は相変わらず怖い存在だった。ただ、年を経るごとに互いの距離は縮まったのも事実である。「努力しないと駄目だ」、教えられつづけた教訓も咀嚼できる年になっていた。それが父を黙らせた要因だろう。あえて何も言わず、父は息子を励ました。
就職活動の際も、父は、東京電力の推薦状を息子に渡した。だが、飯沼は、ファッションや外資系という柔らかで華やかな会社のイメージが良く、そちらに就職してしまう。
婦人服の株式会社三愛での10年間が始まった。
「抵抗力のない組織(会社)はダメになる」、尊敬する高丘・セゾングループ代表から言われた一言だった。この一言が、飯沼の背中を押した。飯沼は転職して6年目。ファミリーマートの初代労働組合<ファミリーマートユニオン>委員長に就任する。
「大学を卒業してスグに婦人服の三愛に入社しました。当時、ファッションはデザイナー系に移行する段階だったんです。その移行段階をどうとらえるか、会社と違った考えを持つに至って退職を決意します。そして、まだ生まれたてのファミリーマートに転職することになります。当時、ファミリーマートができて3年目のことです」
「このファミリーマートで出会ったこと、出会った人たちは私の人生のなかでも最も重要な意味を持ちます。初代ユニオン委員長になったのも、その一つです。立ち上げから行ったわけですから、それだけでたいへん苦労しました」
「こちらは労働者を代表しているわけですから、社長とはある意味互角です。春闘にもなれば、テーブルの向こう側に社長たちがならんでいて、対等に渡り合わなければいけない。特に総務・人事のことは懸命に勉強しました。人を動かすことも学びました。
人の集まりは総論賛成・各論反対っていうのが常ですから(笑)」。
3期3年、勤めている。<ファミリーマートユニオン>の礎を築く、それが30代後半の飯沼の仕事だった。
ユニオンの委員長になるには、いったん会社を辞めなければならない。独立性を担保するためだ。具体的には、会社との雇用関係がなくなり、労働組合に雇われることになる。「給与は年齢を参考に決めた」というから、そんなところから初代委員長の仕事はスタートしたわけだ。3期の任期を終えた後、商品本部を希望し、配属されるとすぐに52週のメニューという、現在のメニュー戦略の原型を考案する。
ITの活用など新たな時代をつくるイノベーションが、小売りのなかでも次々に起こった。
ファミリーマート復帰後飯沼は取締役に選任され、会社の業務革新、新たな方向性に取り組むなど、なかなか楽な仕事は任せてもらえなかったようである。
実は、ファミリーマートなどコンビニエンスストアに設置されたATM。あのATMを初めて導入したのはファミリーマートで、発案者は飯沼にほかならない。日本初の導入である。当然、賛成、反対の意見が渦巻いた。金融機関とも、丁々発止のやりとりが行われた。
考えることと、実行することには大きな違いがある。考えるだけなら誰でもできる。だが実行するには責任が伴う。つまり責任を甘受する者しか実行者にはなれない。懸命に既存の概念や勢力と戦った飯沼の様子が思い浮かぶ。さまざまな交渉を乗り越えるタフネスぶりもまた同じように想像できる。
当時の、飯沼の愛称は「魔王」だった。かつて自分を叱った父のように、魔王のごとく業務に対する姿勢は厳しくなっていたからだろう。ただ、この「魔王」には、<任せたからには、責任はオレが取る>というやさしさもあった。だから、周りからも愛されていた。この愛称、実は飯沼もお気に入りで、いまもメルアドに「魔王」(maou)を使っている。
ともかく「魔王」は、いままでの常識をことごとく破壊し、ファミリーマート、またコンビニエンスストアのなかに新たな常識を生み出していったのである。
肩書は好きじゃない。だから、社長という響きも好きじゃない。「部下というのもきらいなんです。私はチームだと思っています。みんなそれぞれに役割を持っているのがチーム。チームに部下はいないでしょ」。
すでに2011年7月現在で社長に就任して3年目である。
「2001年、ファミリーマートを退職します。父が倒れた時は、介護のため実家に戻ろうと思ったのですが、かなり費用がかかりました。それで、やはり仕事をしなければ、と。父が背中を押してくれたんだと思います。その後、いくつかの会社で役員などを務めさせていただき、2009年に当社の社長に就任しました」。
ちょうど業績が低迷していた頃だった。業績回復のミッションが託されたわけだ。そのミッションを一気呵成に成し遂げ、すでにV字回復の軌道を進んでいる。
「社員の皆には<事業を科学しなさい>と言っています。科学するとは業務に興味を持ち、取り組みは必ず仮説−検証をするということです。
また、経営としてはこれまでの事実を変えないといけない。
そうしないと社員の皆に会社、チェーンを変えるんだという経営の意志が伝わらない。
だから、14年間進化のなかったSIを刷新しました。TSUTAYAさんなどとのBOOK&CAFEの取り組みや、カフェの中にATMを導入したり、Wi-Fiも導入したり。事実を変えることで、結果が出て来て社員のモチベーションも上がりました。それがV字回復の原動力になってきたのだと思います」。
日本に6ケ所あるナショナルセンターの3ケ所(国立国際医療研究センター、国立循環器病研究センター、国立がん研究センター)にカフェ・ド・クリエが出店することが決定した。この原稿がアップした頃には、すでにオープンしているはずだ。
飯沼は、カフェを<全ての人が癒され、安らぐことができる空間>と捉えている。<飲食業はサービス業だ>とも。その意味で、今回のナショナルセンターへの出店は、よりホスピタリティが求められるカフェの新たで本質的な価値を創造するきっかけになるような気もする。
どうしてそんなに頑張れるんですか、と聞いてみた。すると、「源は<プライド>でしょうね。やっぱり皆で取り組んでいることを評価されたいでしょ。もちろん業界で1位、これもめざしていきたいですからね」という答えが返ってきた。まだまだ魔王は暴れ回るつもりらしい。
ファミリーマートの新店オープンの時。 | ファミリーマート海外出店の視察にて。 | SI変更後の第一号店(西新橋店)。 |
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