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第237回 株式会社GOSHIKI 代表取締役社長 薄井幸春氏
update 11/09/13
株式会社GOSHIKI
薄井幸春氏
株式会社GOSHIKI 代表取締役社長 薄井幸春氏
生年月日 1978年2月13日
プロフィール 東京都武蔵村山市出身。3人兄弟、長男。高校を中退後、日本料理店やイタリアレストランで修業。新規出店に合わせ、父が経営する店に入り、片腕となって店の拡大に注力する。現在、「和食と旨酒 Tachikawa 五色」(総86席)、「地鶏・惣菜&Wine GOSHIKI」(総43席)、「炙り焼き 石炉端(いろは)」(総50席)など6店舗出店。グルメサイトでも高評価がつく、人気店ばかりだ。
主な業態 「和食と旨酒Tachikawa五色」、「地鶏・惣菜&WineGOSHIKI」、「炙り焼き石炉端(いろは)」他
企業HP http://www.goshiki-minami.com/

わんぱくな少年時代。

いたずら好きだった。小学生の頃の話である。店に忍び込んで、味噌を水浸しにしたこともある。釜飯・串屋で起業した薄井の父は当時、仕出しの弁当店を経営していた。「父も、私の性格を知っていたんで鍵もがっちり閉めていたんですが、抜け道を知っていたんですね。で、こっそり忍び込んで(笑)」。子どもの頃は誰もがわんぱく盛りである。それを怒りながらも許した、父や母のふところの広さも伺える。家族は5人。薄井が長男で、3つ下に妹、7つ下に弟がいる。商売人の家である。仕事はとにかく忙しい。それでも、子どもたちを旅行に連れていくなど、子煩悩な父と母だった。

高校は2年で退学。

福島県に五色沼と呼ばれる湖がある。社名のGOSHIKIは、この湖の名前からとった。「もともと父と母が2人とも福島県の出身なんです」。いまとなれば、先代の父の背中を見て学んだ<お客様の笑顔が最大の報酬、笑顔の数だけ利益になる>という理念を大事にする薄井だが、少年時代の彼は父や母からみても手放しで褒められた少年ではなかったようだ。
中学になってもとにかく勉強とは無縁。友だちと群れをなして遊んでばかりいた。それでも「行く必要もない」という父の言葉を振り切り、高校に進学はした。ところが父の予想通り、出席日数が足りず2年生の時に退学している。「バイクを乗り回していました。アルバイトで貯めたお金で中古の250ccのバイクを買って。父には反対されていたんです。『買ったら燃やすぞ』と言われていたんですが、買ってしまった。まだまだ尖がっていたんだと思います」。高校を退学しても尖がった性格はまだまだ鋭利なままだった。

修業時代。

東銀座の日本料理屋に修業にでた。「規模は大きくありません。仕事を覚えるには小さなほうがかえって好都合だという父の勧めもありました」。かくして薄井の料理修業が幕を開けた。狙い通り、修業には役立った。3年間、勤め、いったん父の下に戻ったが、すぐにイタリアレストランに。ふたたび修業が始まった。
「当時は、まだまだやんちゃだったんだと思います。料理が上手くなり、天狗にもなっていたのでしょう。だいたいチームワークが大事だなんてまったく気づいていない時代ですから」。ホールとの連携もない。拒絶していたといったほうがいい。それだけ料理に熱中していたともいえるが、店内はぎくしゃくしていたのではないだろうか。そんな彼を温かく見守ってくれたのが、恩師でもある店のオーナーだ。「その時は、まだ気づかないんです。その店を辞めて4年ほどたった時、オーナーがバイクの事故で亡くなりました。無類のバイク好きで、大型は安全だといっていたのに」。そうなってからようやくオーナーのありがたみが良くわかった。
身長190cm、K1に出場するかもというぐらいの体格をされていたそうだ。このオーナーのことを薄井は「いまも私のバイブルだ」という。判断に悩んだとき、オーナーだったらどうするかと考えるそうだ。

2代目の修業開始。

尖がりがとれたのは、父の店を任されるようになったことも大きいだろう。イタリアレストランで3年ほど修業した後、父に呼ばれ、新規出店の店をナンバー2として任された。といってもまだ23歳。父は6年間、修業した息子にいよいよ自ら何かを教えたくなったのではないだろうか。息子の気持ちはホンモノだと確信したのかもしれない。ともかく2代目の修業開始である。その後、薄井は父の片腕となり、敏腕を振るうようになっていく。

父のDNAを継承。

2代目。薄井はいま父から事業を引き継ぎ、株式会社GOSHIKIを経営している。現在、6店舗だが、それに甘んじているわけではない。ただ、急いで出店を重ねようとも思わない。定着率がいい。30代を超える社員も増えてきた。だからいま考えているのは独立支援のしくみづくりである。父は、「楽しく出来ないならやる必要なし」という言葉を大事にしていた。その言葉をいま社員たちも含めみんなが大事にしている。「もうすぐ、銀行借り入れも完済します。完済するまでは、地に足を付けた経営をしていきたい。つまり強い組織をしっかりと築いていきます。その後は独立支援で出店するなど攻撃に出るつもりです」と薄井。現在、「和食と旨酒 Tachikawa 五色」(総86席)、「地鶏・惣菜&Wine  GOSHIKI」(総43席)、「炙り焼き 石炉端(いろは)」(総50席)など6店舗を出店しているが、いずれも人気店だ。大事なことはいまのスタッフたちの育成。わんぱくな少年時代から、父のDNAをひそかに受け継いできた若き経営者。彼の次の一手に期待したい。

思い出のアルバム
   

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