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第243回 株式会社オペレーションエージェンシー 代表取締役 兼
株式会社イマジンオペレーションデザイン 専務取締役 COO 奥井雅士氏
update 11/10/04
株式会社オペレーションエージェンシー
奥井雅士氏
株式会社オペレーションエージェンシー 代表取締役 兼
株式会社イマジンオペレーションデザイン 専務取締役 COO 奥井雅士氏
生年月日 1969年8月24日
プロフィール 京都市中京区円町、西大路丸太町出身。父はごく普通のサラリーマンだったが、子どもの頃から商売を志し、大学受験での挫折を糧に飲食の道に進む。アトムボーイでのアルバイトを皮切りに、いったん保険の代理店を志したこともあったが、アトムボーイ時代のFCオーナーの勧めで居酒屋チェーン「村さ来」に就職し、飲食一本の人生をあゆみ始める。「村さ来」では取締役にまで昇格。現在、株式会社オペレーションエージェンシーの代表取締役と株式会社イマジンオペレーションデザイン専務取締役COOを兼務している。
主な業態 「でん八」「串屋八兵衛」「鴨々川サルーン」「RAD BROTHERS」
企業HP 株式会社オペレーションエージェンシー
http://www.o-agency.jp/
株式会社イマジンオペレーションデザイン
http://www.imagin-inc.jp/

やんちゃな少年時代。

金閣寺から徒歩で10分程度だった、という。奥井が生まれた生家である。「借家住まいでした。それほど広くない家に、祖父母と7人暮らしです。たまに親父の妹、つまり叔母さんもいっしょでしたから、合計8人、父はサラリーマンでしたから、たいへんだっただろうといまになれば思いますね」。
けっして裕福ではなかったが、気丈で明るい母のおかげで、いつも賑やかだった。「父はクルマのガラスをつくる工場で勤務していました。まじめな人でした。酒も晩酌にビールを飲む程度で、身の丈以上のことはしませんでした」。
奥井には、姉が一人、妹が一人いる。「姉とは3つ離れていたんですが、妹とは2つ違い。仲のいい兄弟でしたが、特に妹はお兄ちゃん子で、帰りが遅いと私が親に代わって迎えに行くような間柄でした。その意味では、うるさい兄ちゃんと思われていたかもしれません(笑)」。
その兄は、妹にとって自慢の兄ちゃんだったに違いない。小学校から始めた野球で群を抜いていたからだ。1番ショート。強肩と俊足。バットを振れば、ヒットになった。スポーツだけは何をやらせても一番だった。中学を卒業する頃には、将来、プロに入るんだろうなと冷静に考えていたそうだ。所属していたのは「試合をしても負ける気がしなかった」ほどの強豪チームだった。
野球だけではなかった。何をやらせても一番だったが、特に走ることにかけては自信があった。野球がない時は、駅伝に駆り出されもした。市大会、府大会で、ヘルプの選手にもかかわらず区間賞を取っている。当然、高校進学時には推薦で、という話もあった。だが、奥井は誘いを辞退し、公立校の山城高校に進んだ。

甲子園を目指して。

所詮、レベルが違いすぎた。自ら志したとはいえ、こちらは公立高校である(ちなみに、調べてみるとJリーグの選手やプロ野球選手も輩出している高校だった。2011年夏の地方大会ではベスト8に進んでいた)。1年の秋からショートで1番、レギュラーにはなったが、目標の甲子園は遥か彼方。中学時代、共に汗を流した友人たち、特に有名校に進学した選手が甲子園に出場。その姿を奥井はどのような目で観ていたのだろう。
「中学時代のエースは、高校でもエースを務め、甲子園に出場しました。7位でドラフトにもかかったはずですが、明治大学に進みました。肩を故障しなければプロに行っていたかもしれませんね。彼は中学の時から頭一つ抜け出ていました。何しろ、あいつが7割程度で投げる球を誰一人打てなかったんですから」。
もしかすると、上には上がいる。そう思ったことが、奥井を公立高校に進めたのかもしれない。甲子園は、いつも心のなかにあるものの、いつまでも辿り着けない聖地だった。

商売をしたくて。

いつの頃からだろうか。モノを売って、サービスをして、お客さんが「ありがとう」といってくれる、それでお金をいただける。そこに魅了され、「商売がやりたい」と思うようになっていた。公立高校に進んだのも、それが「いちばんの理由だった」と奥井。
「商売をするなら、法律のことを知らなあかん。そう思って、周りの反対を押し切って国立大学を受験しました。しかしそんな思いつきで受かるほど受験は甘くなく、あっけなく敗れました(笑)」。
「それで、アルバイトも始めました。アトムボーイという回転寿司のお店です。最初は、勉強もできるようなシフトで入っていたんですが、そのうちおもしろくなって。アルバイトなのに発注まで任されるようにもなりました。2年間、バイトをしましたが、保険の代理店をしないかと誘われ、保険代理店の研修に参加することにしたんです」。可能性に溢れた青年は、商売をしたいという一心で、独立を前提に職を移った。

驚くほどの月収を手にする。

アトムボーイでも仕事のセンスがあると言われた。朝から晩まではたらいても苦にならない。だが、いつまでもアルバイトでいいのかという思いがあったのだろう。保険の代理店をしないか、その誘いに乗り、研修生として参加する。
「最初は、基本給+歩合給です。20歳のガキンチョですが、それがかえって良かったんです。友だちが、ちょうど車を買う頃だったんですね。だから、とりあえず友人に電話をかけて。すると、何もしていないのに、次々、契約が取れました。スグに月10件ぐらい契約できるようになり、月収は驚くほどに…。アルバイト時代もかなり稼いでいたのですが、こちらは特に何もしなくても、いい給料がもらえた。実は、それで不安になってくるんです。これでいいんだろうか、って」。
もともと金に執着するタイプではない。20代前半の奥井にすれば、身の丈以上の給与だった。それに、特段、仕事をしているわけではない。そこが不安のタネだった。どこかおかしい、言葉にはならなかったがそう思った。「それでアトムボーイ時代のFCオーナーに相談したんです。そうしたら、そのオーナーの旦那さんが、『村さ来』という居酒屋チェーンの開発部長をされていたんです」。

「村さ来」で店長、拝命。

「村さ来」は、「つぼ八」「養老之瀧」とならぶ居酒屋御三家である。居酒屋ブームの火付け役ともいえる。その「村さ来」に就職した。最初に配属されたのは、「村さ来 梅田店」。旗艦店の一つだったのだろう。「開店前から行列が出来ました。焼き鳥はずっと焼きっ放し、フライパンは振りっぱなしです。梅田店は60坪だったんですが、それでいて売上は2000万円ぐらい。居酒屋のチカラをみせつけられた思いがしました」。
梅田店を皮切りに、京都店、枚方店と渡り歩いたのち、「店長になれ」という指令が下りた。「それまではキッチンだったんです。ホールを経験していないので不安になりました。それでホールの勉強を始めたんです」。本を買ってきて読み漁った。先輩をみては、その真似をした。「京都店は80坪ぐらいのお店です。それでいて売上は1000万円に届かない。赤字店です。社員といえば店長の私と料理長、そして社員一人の3人です。料理長は私より格段に年上。さて、どうするか、誰でも考え込みますね。とにかくいますぐできること、をやろうと」。
元気な挨拶だった。料理長とは徹底的に話した。ほかの店はどうでもいい。「村さ来の四条河原町店は、ここまでやろう!」を合言葉に大声でお客様を迎え入れた。
店の売上は、人で変わるという。これは絶対だ、と奥井。確信したのは、この店長時代である。声を出すことで、人は元気になる。外に向け吐き出したパワーが、返ってくる。従業員たちに活気が漲ってくる。店の売上はまたたく間に水面に浮上。それどころか、さらに天に向かって駆け上がった。
「最初は、ノウハウを盗んで2〜3年で辞めるつもりだったんです。でも、そんなに単純じゃない。奥深さに惹かれ、トリコになっていきます」。
京都店での活躍が評価され、東京に呼ばれた。「井の中の蛙はアカン!居酒屋のあんちゃんのままじゃアカン!」そう思っていた奥井は、迷うことなく新幹線に飛び乗った。

お店の大将でいたい。

結局、「村さ来」で奥井は取締役にまでなっている。入社して、十数年、経営陣の一角に名を連なるようになった。ただ、奥井の本心は「お店の大将で良かった」のだという。「チェーン店の経営者じゃなくていいんです。たしかにお金は大事だと思いますし、金より大事なことがある、学歴なんか関係ない。そんな風にいえば負け犬の遠吠えになるのは分かっています。でも、私は、お客様から『ごちそうさん、また来るよ』っていってもらうのが、いちばん嬉しいんです。だから、小さな店の大将がいちばんいいし、似合っていると思うんです」。
本人の希望とは裏腹に周りは奥井を放っておかない。
「村さ来」退職後、「株式会社オペレーションエージェンシー」の代表取締役に。また「株式会社イマジンオペレーションデザイン」専務取締役 COOに就任することになった。
「北海道の店舗を5店舗買い取りました。全部、赤字店でしたが、うち一店を除きすべて黒字転換しました。要は、意識づけです。いろんなシステムが整っても、結局は人がボタンを押す。その人の意識が変わらなければ、システムを導入しても意味がないんです。もちろん仕入れも見直しました。でも、店名も、業態も同じです。潜在的なパワーがあるのに、それが活かせていない。その意味では教育に尽きるといえるかもしれません」。
お店の大将の発想、といえば怒られるだろうか。だが、この現場を愛する大将の発想が、何より大事なことは、誰もがよく知っている。いくら料理がおいしくても、いくら安くても、スタッフに元気がないのお店には自然と足が遠のいていくからだ。

再生という仕事。

北海道には奥井も月に1/3程度は赴くという。そこで、現場の空気を感じ取りながら、次々、適切な指示を出す。「当たり前のことをどこまでやりきるか、そういう意識を現場の末端まで根付かせることが大事です。いかにスタッフたちと、血を通わすことができるか、それを徹底するためにいま、がんばっています」とのこと。
今後はM&Aも仕掛けていくという。潜在パワーを秘めた店を再生する。大将の、その発想とパワーがものをいうに違いない。
お客様からの「ありがとう」を追求する、奥井の飲食人生。その人生は、これからもまた、たくさん店を、人を再生させていくのではないだろうか。

思い出のアルバム
   
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