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第25回 株式会社ソーホーズ・ホスピタリティ・グループ 代表取締役社長 月川敦之氏
update 08/10/14
株式会社ソーホーズ・ホスピタリティ・グループ
月川敦之氏
株式会社ソーホーズ・ホスピタリティ・グループ 代表取締役社長 月川敦之氏
生年月日 1974年、東京生まれ。
プロフィール 大学卒業後ニューヨークに渡り、ホテルやレストランのホスピタリティーの分野で世界最高峰のコーネル大学院で学ぶ。2001年の卒業と同時に帰国し、ソーホーズ・ホスピタリティ・グループに入社。
2005年代表専務取締役、2006年に代表取締役社長に就任。
企業HP http://www.soho-s.co.jp/
レストラン『NOBU』や台湾料理店『青龍門』、『Roy's』、『清朝宮廷家常菜 レイ家菜』など、都内を中心に個性的なレストランを展開する企業として知られるソーホーズ・ホスピタリティ・グループ。順調な成長路線を歩んでいるように見えた同社だったが、2004年5月の出来事は飲食業界に大きな衝撃を与えた。民事再生法の申請だった。負債額75億円、債権者392名…。この窮地を自主再建で乗り切ったのが、創業者・月川蘇豊氏の息子、月川敦之氏だった。民事再生法申請の際まだ29歳だったという月川敦之氏がどのようにして再生を図っていったのか。その道筋と今後のレストラン経営にかける思いを聞いた。

「食べること」では身近だったが…

 ソーホーズ・ホスピタリティ・グループ(旧・月川産業)の設立は1976年に遡る。当時、写真家を生業としていた月川蘇豊氏が、渋谷にピザレストラン『レストランジロー』をオープンさせる。きっかけは撮影で訪れる海外の“食文化の違い”だった。「ぜひ日本にこの味を紹介したい」。当初はサイドビジネスのはずだったが、順調な経営が多店舗展開へと繋がり、ついには飲食ビジネスを本業とするようになっていった。
 1976年といえば息子の敦之氏(以下月川氏)はまだ2歳。父の仕事のことなど知る由もなく、成長してからも特別興味を持ったわけではなかった。ただ、中学・高校とバスケット部に所属していたため、時折空腹を満たすためにレストランに行ったことは記憶しているという。
 そんな月川氏が飲食の仕事を身近に感じるようになったのは大学時代。ハワイで人気を得ていた『Roy's』の用賀出店が決まり、3年間店舗でアルバイトを経験することになった。大学の夏休みには毎年1カ月間、ハワイ本店で研修もさせてもらうなど、飲食業について学ぶ機会を得たと同時に、月川氏自身も飲食ビジネスに興味を持つようになっていった。


2001年NYから帰国。会社の台所事情は何も知らず…

 大学卒業後の進路として大学院を選択した月川氏は、ニューヨークへ渡る。「ホテルやレストランにおけるホスピタリティを専門的に学ぶため」だった。そして2001年の帰国と同時にソーホーズ・ホスピタリティ・グループに入社。すでに2003年にオープンする六本木ヒルズへの出店も決まっており、月川氏は日々の仕事に忙殺されていた。
 しかし同社は、2004年5月に民事再生法を東京裁判所に申請する。
 すでに取締役となっていた月川氏だったが、「その直前まで倒産の危機という台所事情は聞かされることがなかった」という。月川氏は、自主再建を行うため自分が前面に出ていくことを決意。「400名近い債権者と75億円の負債を抱えていました。まず代表権を持つ専務として、取締役を退任した父に代わって弁護士と共に再建計画書を作りました」。ビジネス界に足を踏み入れたばかりの29歳の青年にとっては、まるで切り立った崖を素手で進んでいくような緊張感の連続だっただろう。
 その現実を冷静に受け止め対処していくしかなかった月川氏がやったことは、どうすることが債権者、そして従業員にとってベストなのか考え続け考え抜くことだった。「その結果、再生計画案が可決され、自主再建を行える道筋ができました」。新社長・月川敦之氏による“将来永続的に発展する企業としての土台作り”が始まった。


「会社に残るメリット」を提供し続けられる経営

 月川氏をトップに据えたソーホーズがまず着手したことは、黒字化するために不採算店を閉め、可能性のある既存店の成長性を高めることだった。「感情は度外視してルールに沿って淡々と急速にリストラクチャリングを行った」というように、33店舗あった店を1年で8店舗減らし、2年後には半減させるほどの勢いだった。
 人に関してもそう。店舗と同時に従業員も削減しなければならない。しかし幸いなことに、店長・料理長を勤めるようなコアスタッフは殆どが残ってくれ、既存店の集客・売上げアップに貢献してくれたという。
 月川氏は、民事再生に至った原因を組織の歪みと考えていた。創業者の月川蘇豊氏は写真家であり芸術家肌。1店1店に思い入れが強く、また自分流の経営を貫くいわゆるワンマン社長。「一定期間はそれで会社は回っていくかもしれませんね。でも社長がある日突然倒れたらどうなるでしょう。従業員が育ち、永続的に発展するからこそ企業なんだと僕は思うんですよ」。
 ソーホーズは、社長交代と同時にボトムアップの会社へとも変っていった。会社の大きな戦略、方向性は経営で決めるが、店舗個々の運営はスタッフに任せる。例えば売上げや人件費管理だけでなく、PL(損益計算書/経営成績を示す財務諸表)も店舗ごとに作らせ、予算については本社と交渉させる独立経営の要素を持たせた。
 これは単に自社のためだけに行っているのではないという。「この業界で働く店長や料理長は、学ぶべきことがなくなったら他店に移っていきます。独立という道を選ぶかもしれない。しかし意外と数字を読める人って少ないんですよ。ここで学んでもらえれば、個々の将来に絶対役に立つはずです」。
 月川氏が社長に就任してからは、新規出店はまだ1店舗もない。しかし、スタッフに仕事の裁量権と責任を委ねたことで“自分たちで考えて動く”ことが定着し、右肩上がりの成長へと元気を取り戻している。学ぶべきことがある会社・お店ということで、人材の定着率も高いという。


経営と従業員がお互い学びあえる関係の中で、さらなる事業を発展目指す

月川氏は、自身のレストラン経営の姿として“ディスティネーションレストラン(目的意識のあるレストラン)”を挙げる。これはフラリと入る店ではなく、その店に行くために人が行動を起こす店、予約して行く店を意味する。
 「私たちはお腹を満たすだけのレストランをやるつもりはありません。ここで過ごす3時間の楽しい記憶を提供する。すべてが付加価値のあるレストランでなければなりません。それができれば価格競争に参加する必要もないし、また常に予約があればスタッフのモチベーションも違ってくると思います」。食を通して時間を楽しむことができる付加価値のあるレストラン。今後もソーホーズは、そんな“記憶に残るレストランサービス”で発展していこうとしている。
 またニューヨークで学び、在米時代『NOBU』の東京進出の裏方としても奔走した経験を持つ月川氏は、米国のホテルやレストラン関係者に豊富なネットワークを持つ。現在、既存店の成長による継続的な黒字化に注力しているが、その視線の先には“海外進出”がある。
 「僕がそうだったように、海外で仕事をしてみたいと思っている人に非常に興味を持っています。将来の出店に向けてぜひ一緒に仕事をしたいし、独立を希望するなら僕の人脈を通して何らかのサポートができると思っています」。成長路線を進む中で、事業計画に伴う求める人材像についてそう語る。
 前述したが、月川氏は「学ぶべきことがなくなったら従業員はこの会社を去る」と冷静に受け止めている。そして「自分自身も従業員から常に何か学びたいし、お互いが良い意味で知恵や知識、経験から大切な何かを盗み盗まれができる関係でありたい」という。民事再生の件もオープンに語るように、月川氏は従業員に対しても真摯に、正直に、また同等の目線で語り合うこともできる経営者といえる。経営と社員が近くなり、意見を交わしながら一流のレストランを運営していく新生ソーホーズ・ホスピタリティ・グループ。国内・海外の新規ディスティネイションレストランの出店も含め、今後のさらなる成長をぜひ追い続けたいと思わせてくれた。

思い出のアルバム
思い出のアルバム1 思い出のアルバム2
誕生日パーティーとハロウィンパーティーを兼ねて一緒に開催。この日ばかりは仮装して従業員とともに盛り上がりました。
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