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第251回 クリスピー・クリーム・ドーナツ・ジャパン株式会社 代表取締役 上田谷真一氏
update 11/11/01
クリスピー・クリーム・ドーナツ・ジャパン
上田谷真一氏
クリスピー・クリーム・ドーナツ・ジャパン株式会社
代表取締役 上田谷真一氏
生年月日 1970年2月
プロフィール 埼玉県浦和市で生まれる。小学4年生から剣道を習い始め、中学では水泳、高校ではラグビー、大学ではテニスに精を出した。高校時代、怪我がもとでラグビー部を辞めざるをえなくなり、代わりに猛勉強を開始。現役で、東京大学に進む。大学時代にコンサルタント会社のブーズ・アンド・カンパニーのアルバイトを始め、そのまま就職。その後、著名なコンサルタントである大前研一氏の下に移り、ベンチャーのインチュベーション等に携わっていたが「実業にタッチしたい」と33歳の時に黒田電気に就職。役員となり敏腕を振るった後、「ディズニーストア」を運営する株式会社リテイルネットワークスの社長となり、経営再建を手がける。2009年9月から、現職。クリスピー・クリーム・ドーナツ・ジャパンは2011年10月現在、全国に27店舗を展開している。
主な業態 「クリスピー・クリーム・ドーナツ」
企業HP http://krispykreme.jp/

転勤一家。

上田谷が、母の実家のある埼玉県浦和市で生まれたのは1970年2月である。父は、大手信託銀行に勤めるサラリーマン。祖父は広島で酒屋などを営んでいた。「上田谷という名前の通り、もともとは農家の出なんでしょうね」と上田谷は笑う。父親は小さな頃から神童と言われ、東京大学に進み、大手信託銀行に就職したエリートだ。その父の転勤の度に、上田谷も転校した。「小さな頃から成績は良かった」と上田谷は子ども時代を振り返る。ただ、成績は良くても自我が強くクラスの人気者とはいかなかったようだ。「わがままだったんでしょうね。人付き合いも苦手だった。スポーツも得意じゃなかった」。スポーツは苦手だったというが、小学4年生から剣道を習い始めている。「ピアノと剣道、たぶん親から勧められたのは、この二つだけ」と上田谷。身体が大きくなるにつれ、スポーツが好きになっていった。ところで、転校を繰り返したが、上田谷はそれについて苦労したとは思っていないようだ。小さいながら「ジブン軸」を持っていたからだろうか。

父とおなじ大学へ。

中学になって、上田谷は水泳部に入る。高校ではラグビー部に所属した。高校は県でも有数の進学校。とはいえ、スポーツにも力を入れている学校で、自由奔放な教育スタイルだったようである。ラグビーに明け暮れていた上田谷は、仲間同様、高校時代はクラブ一本、1年浪人して大学に進むんだろうなと思っていた。「勉強しないから成績はふるいませんでした」と上田谷。ところが2年になって大きな怪我をする。その怪我がもとでラグビーを断念しなければならなくなった。それが上田谷に火をつける。「クラブを辞めたんで、これで浪人はまずいなと。最後の半年間は、人がかわったように勉強しました」。猛勉強したといっても、わずか半年。不安がないといえばウソになる。しかし、上田谷は見事、赤門を潜った。一方、この高校時代を含め、中学3年から高校2年まで一人暮らしを続けている。「父が海外転勤となり、母と弟はいっしょに行ったんですが、行き先がバーレーンということもあって私は日本に残ることにしたんです。一人暮らしといっても母の実家が近くにありましたから、洗濯とか、掃除は祖母がまとめてしてくれました」。「元々、両親から何かをしろと言われて育ったわけではありません。自立しているところもあったんでしょう。一人暮らしといっても抵抗はなかった気がします。それに高校に入るとクラブ漬けで、寝に帰るだけの毎日でしたから寂しさを感じている暇もありませんでした」。高校3年になって、家族が日本に戻って来た。それに合わせ、上田谷も合流する。ただ、しばらくするとまた一家は、ロンドンに旅立ってしまった。

3年春からのアルバイト。

大学では勉強というより、バイトやサークル活動に精を出した。「テニスサークルに入り、飲み会ばかりしていました(笑)。国際交流団体などにも所属したりして、充実した学生生活だったと思います。当時、家族はロンドンで暮らしていました。私も里帰りのような気分で何度かロンドンへ行きました」。1年生、2年生と充実した学生生活を送る。そして3年の春、ある会社でアルバイトを始めたことが、上田谷の進路を決めた。「採用目的のインターンだったんでしょう。バイトなんですが、面接もあった。コンサルって何をするのかわかりませんでしたが、時給も良くおもしろそうだと応募したんです」。当時、コンサルタント業はまだ一般的に認知されていなかったはずだ。外資系の大手コンサル会社だったが、有能な学生を手に入れるためにインターンを受け入れていたのではないだろうか。「アルバイトでしたが、いろんなことを任され、仕事がどんどん面白くなっていきました。それで、そのまま就職することにしたんです」。上田谷が大学卒業するのは、ちょうど1992年。日本経済に暗雲が垂れ込め始めた頃である。

バブルが弾け、大前研一氏の下へ。

「就職してしばらくすると、雲行きが怪しくなってきました。それまでの好景気が一気に萎んだ、そのしわ寄せが私たちにもやってきたんです。ただ仕事は刺激的でしたし、コンサルティングの仕事は面白いなあと思っていたのですが、業界の頂点に居た大前研一さんと出会い、彼の下で仕事をさせていただくことになったんです。初めて就職した会社で3年、大前研一氏の会社で8年、コンサルティングと新規事業の立上や運営を勉強させていただきました」。当時、大前氏は、東京都議選に出馬するなど社会全体の改革に注力していたようだ。ちなみに大前氏は1992年、市民団体・平成維新の会を設立している。市民運動を通し、社会を改善するという狙いがあったのだろう。しかし、選挙で敗れてしまう。「大前氏は、発想がものすごく斬新で、私たちはついていくだけで精一杯でした。それでも、なんとか追いついていこうと。当時、マッキンゼーから独立した大前氏は、なにか大きなことをしたかったのかもしれませんね。私はまだ25歳の若造でしたが、彼は年齢や経験には頓着せず、実力以上の仕事を任せてもらえたような気がします。それで8年。大前研一氏の下にいたんですが、やはり実業へ、と私の気持ちが傾いていくんです」。

33歳の転職。

「あるヘッドハンターから、コンサルやインキュベーターの経験はあっても、実業の匂いがしないと指摘されたんです。たしかに、そうだな、と。それまで事業を立ち上げたことはありますし、アドバイスもしましたが、それ以上、踏み込んだことはなかった。理論だけで事業がうまく行くことはまずない。事業を実際に動かさないと本質を語れない。そう言われた気がしたんです」。33歳。初めて事業会社に就職した。その後の上田谷のキャリアを語る時、この時の決断は大きな意味を持つ。ちなみに、この時、就職した黒田電気は一部上場会社である。しばらくして役員に選出された上田谷は、理論と実践を結び付けていく。旺盛なバイタリティも活かされた。「実際に経営陣のなかに入り、実務に取り組ませていただくことで実業のおもしろさを実感しました」と語るが、その言葉の奥には、「むずかしさ」という言葉も潜んでいるはずだ。何千、何万人もの人生を預かる立場である。コンサルタントといった外部からの支援とは明らかに責任の所在が異なっていたはずだからである。

社長に就く。

上田谷が次に選んだのは、経営再建の仕事だった。ファーストリテイリング元副社長で企業再生支援ビジネス企業キアコンを運営していた澤田貴司とファーストリテイリングの社長を務めていた玉塚元一が2005年10月リヴァンプという会社を通じて、「ディズニーストア」の再建に着手した。「リヴァンプは、経営者を派遣し、企業の再建を支援していました。その中で私に持ちかけられたのが、ディズニーストアを運営するリテイルネットワークスという企業の再建でした。社長となって指揮を執り、およそ2年で黒字化しました。もともと再建が役目なので、ミッション完了です。 リヴァンプは元々企業再生に関するビジネスを中心に展開してきたが、新たに新規の事業にも取り組み、2006年6月にはアメリカ合衆国の大手ドーナツチェーン、クリスピー・クリームとフランチャイズ契約を締結してクリスピー・クリーム・ドーナツ・ジャパンをロッテと共同で設立している。そして、上田谷に次に声がかかったのが、クリスピー・クリーム・ドーナツ・ジャパンの経営だった。

飲食に挑む。

2009年9月、クリスピー・クリーム・ドーナツ・ジャパン株式会社の社長となった。前述通り、クリスピー・クリーム・ドーナツ・ジャパンは、リヴァンプがロッテと共同で立ち上げた事業会社である。2006年の設立だから、すでに3年が経過していた。「もう、準備期間は終わっていたということですね。出店に拍車をかけました」。ショップはまたたくまに26店舗に増えた(2011年10月現在27店舗)。いまから5年以内に100店舗をめざすという。クリスピー・クリーム・ドーナツ・ジャパンについてはHPで確認してほしい。口の中でとろける温かいドーナツが人気。すでに日本全国に出店しているので、ご存知の方も多いだろう。上田谷に一つ質問を投げかけてみた。「飲食店の社長をすると思っていましたか?」。すると想像通り「まったく思っていなかった(笑)」という答えが返ってきた。東大出身の飲食店経営者はたしかにまだ少ない。だが、上田谷のようなキャリアを持つ人材が飲食の経営者になる、それは上田谷が生まれた1970年から始まった日本の飲食業の成長を物語っているような気もした。上田谷はいう。「人にやられてイヤなことはしない。それを心掛けています」。明確なミッションを与えはするが、やりかたまでいちいち口を出さないのが、上田谷流の経営術。やる気を重視しているからだ。飲食だけでなく、事業の成功は、結局、関わるすべての人の意欲にかかっている、と上田谷は言いたいのではないだろうか。東大から著名なコンサル会社を渡り歩いた、また若くして上場会社で役員を務めた若き経営者の、今後に注目していきたい。

思い出のアルバム
思い出のアルバム1 思い出のアルバム2 思い出のアルバム3
大前・アンド・アソシエーツ時代。オフィスにて。 大前・アンド・アソシエーツ時代。海外研修にて。 黒田電気時代。
   
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