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第26回 コールド・ストーン・クリーマリー・ジャパン株式会社 代表取締役社長兼COO 石原一裕氏
update 08/11/04/
コールド・ストーン・クリーマリー・ジャパン株式会社
石原一裕氏
コールド・ストーン・クリーマリー・ジャパン株式会社
代表取締役社長兼COO 石原一裕氏
生年月日 1967年、島根県生まれ。
プロフィール 横浜国立大学経営学部を卒業後、1990年伊藤忠商事株式会社に入社。食料本部食品流通部にて加工食品・酒類・飲料などの貿易業務を担当し、在職中にダノンインターナショナルブランズジャパン社へ出向も経験。2000年、タリーズコーヒージャパン入社。店舗開発の他、商品調達・物流システム構築に携わり2001年4月、常務取締役に就任。
2005年6月、コールド・ストーン・クリーマリー・ジャパン株式会社社長兼COOに就任。翌年12月に代表取締役社長兼COOに就任し現在に至る。
主な業態 「コールドストーン」
企業HP http://www.coldstonecreamery.co.jp/
冷やした石の上でチョイスしたアイスクリームとミックスインをミックスし、自分だけの味を作ってくれるお店。クルーがハッピーな歌でエキサイティングなおもてなしをしてくれるお店。今や30店舗に拠点を広げたコールド・ストーン・クリーマリー・ジャパンは、“本来は島根に帰るはずだった人物”が社長を勤め、成長路線を歩んでいる。「東京で5年働いて人脈を作ったら家業を継ごう」と決めていた石原社長が東京でのビジネスにどっぷりと浸かっていった経緯、コールド・ストーン・クリーマリー・ジャパンの代表に就任した経緯などを聞いた。

島根県出雲に生まれ育った“お笑い”好きの少年

 3代続く和菓子屋の長男として1967年12月に生まれた石原氏は、小学生の頃から弟と二人でお店の手伝いをするのが日課だった。箱折り、生菓子の箱詰め…。「両親を中心に堅実経営するお店」は、忍耐のない小学生でも時として大切な戦力。夏休みにはラジオ体操から帰るとすぐに手伝いをさせられるため「サラリーマンの家が羨ましくて仕方なかった」という。大好きなことはドリフターズをはじめとするお笑い番組。行儀や礼儀に厳しい祖父母との夕食を早々に済ませては、友達を笑わすネタを仕入れた。
 しかし6年生になりお店での接客を任された石原少年は、常連客のひとりであるおばあちゃんの一言に感動する。「ここのお菓子はいつだって美味しいね」。人に喜ばれる美味しいお菓子を作り続ける父と母の仕事に誇りのようなものを感じた石原氏は、それから誰に言われるでもなく休みの日は朝から、お店の仕事を手伝うようになっていった。
 高校まで変らぬ生活を続けた石原氏だったが、高3の冬休みからは「受験に専念せぇ」という父親の助言もあり、勉強の日々を過ごすようになる。地元島根を離れ横浜国立大学に入学。家業を継いで欲しいとは一度も言われたことはなかったが「大学を卒業して5年間働いたら実家に帰って和菓子屋を継ごう」と考えていたという。


大都会の生活と総合商社でのビジネス経験

 島根から横浜の大都会に移った石原氏は、弾けた。なにしろ生活環境が180度違う。「例えば女性がみんな可愛い。それは電車に乗っているだけでもワクワクしてしまうほどでした(笑)」。時はちょうどバブル時代。アルバイトやサークル活動が生活の主体となっていき、大学生活はあっという間に過ぎていった。しかし石原氏の商売人としてのDNAは健在。「商社に就職しようと思いました。聞けば商社は、みんながそれぞれ違った分野の仕事に携わるのでライバル関係ではなく横の繋がりができるというのです。そこで人脈ができれば、田舎に帰った時にも役立つと考えたんです」。
 伊藤忠商事に新卒入社した石原氏は、缶詰めやワインなどを輸入する食品流通部に配属となり、3年目からは営業として海外メーカーと提携業務なども任されるようになる。ビジネス現場で臆することがなくなったのは、『エビアン』の総代理店の担当としてフランス企業であるダノンインターナショナルブランズジャパン社に出向したことが大きかった。エビアンの契約提携で悪戦苦闘しました。でも、ダイバーシティの環境で仕事をしたことで、ビジネスに人種の違いはないな、信頼関係で成り立つものなんだなということを学びました」。
 自分の中では5年の期限付きで伊藤忠商事に入った石原氏だが、結局10年間夢中で仕事をした。3年毎の契約更新が慣例だったエビアンをはじめて15年という長期契約を先輩・仲間と一緒に勝ち取った。「約束を守る、結果を出す。それをやるのは5年では無理でした」。2000年7月、まだまだ未熟な自分という思いを抱えながらも退職を決意する。「もういい加減帰らないとなぁ」。実家からの“帰ってこいコール”など一切なかったが、心の引っ掛かりに対峙する時と考えたのだ。


人との出会いが進むべき道を示す

 「物事に偶然はない、すべてが必然だと思います」。現在コールド・ストーン・クリーマリー・ジャパン株式会社の社長を勤める石原氏はいう。実は実家の和菓子店は、2年前に弟が継ぎ石原氏は安心して会社経営に専念することができている。こうなったのはタリーズコーヒーの松田氏との出会い。きっかけは石原氏が某航空会社との仲介役としてタリーズコーヒーに交渉に出向いたこと。必然だったのだ。「松田さんは僕と同期なんです。でも会ってみたらスケールが全然違う。神様が会わせてくれたんだと思いました。当時タリーズはまだ10店ほどの出店でしたが、この人の下で働けるなら給料が下がったってお金をもらいながら仕事を教えてもらえる、こんな幸せなことはないと思ったんです」。
 伊藤忠商事から設立間もないタリーズコーヒーに移った石原氏は、店舗開発などを通してタリーズコーヒーの成長に貢献する。コールド・ストーン・クリーマリー・ジャパンの社長に就任したのは、伊藤忠時代の先輩、現在株式会社リヴァンプ パートナーの澤田貴司氏からの1本の電話がきっかけだった。日本での本格活動に向けて社長を引き受けるか迷ったが、家族同伴の3泊のハワイ店見学で気持ちは固まった。「6歳と3歳になる子供たちが毎日コールド・ストーン・クリーマリーに行きたいとねだるんです。人を幸せにするお店だし、食の商売にDNAを持つ僕も、この業態ならば楽しく元気に働けるんじゃないかと思いました。父親や松田さんのように、組織のトップでなければ分からない苦労も自分自身が経験すべきなんじゃないかという思いもありました」。
 家業を継いでくれた弟とは、小さい頃から今も大の仲良し。ビジネスについて話し合える間柄としても尊敬しているという。こういった流れになったのも、やはり石原氏のいう必然だったのだろう。


「よい意見」を制度や店舗運営に反映する

 コールド・ストーン・クリーマリーは、採用選考過程にオーディションを取り入れているユニークな会社だ。それは“お客様がハッピーな体験ができることを商品そのもの”としており、クルーにも歌や踊りのサービスやフレンドリーな接客を期待している。 「楽しそうだから接客してみたい・・・」。アルバイト希望者は多く、しかし残念ながらオーディションを通してお断りしなければならないこともある。
 「不採用の通知を送らなければいけない時には、必ず手紙とアイスクリームのクーポン券を同封するようになりました。これは私の意見ではなく、ある社員がそうしたいと言ってはじめたことです」。石原氏はこれを戦略ではなく感謝だという。お店で働きたいと思ってくれ、オーディションに臨んでくれた。今回はたまたま一緒に働くことができないが、その参加してくれた気持ちに対して感謝してやまないという。「そういう意見が社員のあちらこちらから出てきて、みんなが実際に実行してくれることが嬉しい。社長が言ったからやるのではなく、よい意見があったからそれをみんなで実践していく。そこがコールド・ストーン・クリーマリーの強さです。厳しく、でも楽しく、ウチらしくやろう!という環境は、これからもずっと継続させていきたいんです」。
 食を扱い人々を楽しくさせる仕事は、働く本人がハッピーな環境にないと継続は難しいと石原氏はいう。安心して家庭を築ける経済的ゆとり、時には贅沢な外食を楽しむゆとり。社員自身が仕事のやりがいと経済的な充実の両方をより得られる会社となるために、現在コールド・ストーン・クリーマリー・ジャパンの新たな未来への計画が練られている。

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