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第269回 株式会社easygoing 代表取締役 濱野浩一氏
update 12/03/06
株式会社easygoing
濱野浩一氏
株式会社easygoing 代表取締役 濱野浩一氏
生年月日 1969年3月2日
プロフィール 埼玉県川口市に生まれる。長男だが、弟とは同い年。双子の兄である。日本大学工学部に進み、卒業後建築関連の会社に入り、そこでグローバルダイニングの長谷川耕造氏と出会う。1999年10月、グローバルダイニングに入社し、長谷川氏の直轄として、長谷川氏から直接、薫風を受ける。2010年同社を退職。株式会社easygoingを立ち上げ、同年6月1日、富ヶ谷にカフェ「tomigaya TERRACE」、恵比寿にカフェバー「cafe & bar EBISUBASHI」の「2店舗同時独立開業」を成し遂げる。
主な業態 「tomigaya TERRACE」「cafe & bar EBISUBASHI」
TERRACE twitter https://twitter.com/tomigayaterrace
EBISUBASHI twitter https://twitter.com/_EBISUBASHI_

300坪、12部屋の住まい。

父も、母も教師だった。もともと実家は、裕福で、埼玉県川口市に300坪の敷地があった。住まいはおよそ100坪。平屋に12部屋。曾祖父、祖父母も健在で、9人が暮らしていたらしい。「曾祖父がいちばんで、食事も家長が食べないとみんな食べることができないような昔ながらのルールがありました。もっとも、私と弟は、ひ孫だったんで甘やかされていたんでしょう。私たち2人だけが治外法権でした(笑)」。
教師ということもあったのだろう。父は厳しく2人の息子を育てた。もっとも母に言わせれば子育ても任せっきりだったそうなのだが。物心がつくと、比較対象がすぐ横にいる、それがおっくうになった。双子の弟と、何かにつけ比較されたからである。
とはいえ、何不自由もなく育てられ、挫折したような記憶もない。
「父には、良くぶっ叩かれた」というが、父が生徒たちを連れてスキーに行く時には、兄弟2人して便乗していたそうだ。教師としての父をみて、幼い息子たちはどう思っていたのだろう。

新幹線通学。

中学校の頃は成績が良かった、と濱野。14クラスもあって、たいてい10番以内に入っていたというのだから、頷ける。弟も兄も、成績もスポーツも同じ程度できた。必然的に高校も同じ学校に進むことになる。高校には、野球部がなかった。それで、弟も、兄とおなじサッカー部に入る。「私は中学生の時からサッカー部です。弟は野球をやっていたのですが、野球部がなかったので、しかたなくサッカー部は入ったんでしょうね。野球ではぜんぜん弟には敵いませんでしたが、サッカーは私のほうが上でした(笑)」。弟とともにあゆんできた道は、大学進学で別れる。濱野は、1人親元を離れ、日本大学工学部に進んでいる。
日本大学工学部のキャンパスは福島にある。
「埼玉より田舎で何もすることがなかった。それが退屈で、1年で一人暮らしを辞め、新幹線で通学するようになります。もっとも4年生になると研究に追われ、再度、福島で一人暮らしを余儀なくされてしまったのですが…」。

応募動機は「家から近かった」から。

もともと就職するという意識が少なかったのか、危機感が乏しかったのか、就職活動の最後の最後になって焦った。「濱野家の長男という気持ちもどこかにあったのかもしれません。つまりいずれ実家に戻るということで危機感が少なかったし、就職するという意味があいまいだったような気もします。ただ、卒業目前になって、これではいかんと。それで教授に相談に行くんです。まだバブル期でしたから、幸いに就職口がスグにみつかりました。志望動機は家から近かったから(笑)。面接でそうは言えませんでしたけど」。
動機は、立派とはいえなくとも結局、この会社には8年ほど勤めている。「最初は設計で、2年目から営業です。営業ではけっこういい成績を残しました。それでも、どちらかといえば熱心じゃなかったかもしれません」。どこかで甘えていた。その一方で、カッコをつけていた。「だいたい、ええ恰好しいで、命令されるのがイヤなタイプ」と自己分析している。そんな濱野が、黙って従う男が現われた。

グローバルダイニングに転職。

その男とは、グローバルダイニング 代表の長谷川耕造氏である。
「建築関係の仕事で、グローバルダイニングの仕事も手がけていたんです。それで、長谷川さんともお話をするようになって。『うちに来ないか』と誘っていただけたりもしたんです。でも、最初は、まさか行くことになるとは思っていませんでした(笑)」。
濱野のグローバルダイニングでの仕事は企画職である。長谷川氏直轄。店作りのノウハウをすべてこの時期に叩き込まれている。もっとも運転手兼だと、濱野は笑う。ただ、一時期、飲食業界のカリスマの一人である長谷川氏と最も濃密な時間を過ごしたのは間違いない。
「1999年の10月にグローバルダイニングに転職します。転職の理由の一つは、バブルが弾けてから、建築の仕事の規模も縮小し、仕事そのものがつまらなくなってきたからです。逆にいえば、当時、グローバルダイニングは飛ぶ鳥を落とす勢いだったので、この会社なら、おもしろい仕事ができると思ったのは間違いない事実です。実際、転職してからは、長谷川さんと1日中いっしょです。いまから商業施設にも出店していくというところでもあったんで、私は、そちらのほうを管理する仕事で入ったんですが、さまざまな仕事を経験させてもらいました。長谷川のスグそばで彼の仕事をみることができた。いま思えばこれがいちばんの財産です」。

勢いで、飛び出した。

企画センターリーダー。一般的にいえば企画部部長である。役員の椅子も先々はあったかも知れない。だが…。「勢いで、辞めると退職願いを出してしまいました。長谷川さんからも、引き止めてもらいましたが、もともと恰好つけるほうですから、いったん出した退職願を引っ込めるわけにはいきません。あても計画もなかった。単なる暴走です。でも、後悔はしていません。給料のために、自分の気持ちを騙して居続けるより良かったと思っています。ある意味では、『より困難な道を選べ』という長谷川さんの教えを実行したようなものです」。10年間、勤めた会社を辞す。グローバルダイニングの企画リーダーが辞める。業界にも、噂が駆け抜けたのではないだろうか。

経営者、濱野誕生。2店舗同時オープンで世間を騒がせた。

長年、グローバルダイニングにいたが、直接、調理やホールを経験したことはない。経営のノウハウはあるが、だからといって、コンサルタントの仕事には興味がなかった。
「それで2店舗同時に出店したんです(笑)。2店舗あれば、店を任して、経営に専念できると思って」。店作りには、長谷川氏から伝授されたノウハウをフル活用した。カウンターの高さまで長谷川氏は指定する。その一つひとつシーンまで記憶にある。
この時、出店したのが、富ヶ谷のカフェ「tomigaya TERRACE」と恵比寿のカフェバー「cafe & bar EBISUBASHI」である。しかも、2010年3月に退社し、6月に開業。そのわずか3ヵ月の準備で、2店舗同時オープンという離れ技をやってのけたのである。さすが、長谷川氏のフトコロ刀ともいえる。
それから、1年半が経つ。2店舗とも好調だ。むろん、この2店舗で終わるつもりない。ただ、社長となった今、暴走はできない。採用、育成と共に、改めて理念づくりなどとも向き合っていかなければならないと考えている。長谷川氏のコピーで終わるつもりもむろんないであろう。社長となったいま、濱野は、あくまで濱野という一人の存在で、それに代わるものはない。濱野オリジナルの、さまざまなプロデュースが、今からいよいよ始まる。

思い出のアルバム
   
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