年代別社長インデックス
掲載時期別社長インデックス
オススメ求人サイト
リンク
第270回 株式会社インタ−ナショナルダイニングコーポレーション(International Dining Corporation) 代表取締役C.E.O 中村清彦氏
update 12/03/06
株式会社インタ−ナショナルダイニングコーポレーション
中村清彦氏
株式会社インタ−ナショナルダイニングコーポレーション(International Dining Corporation) 代表取締役C.E.O 中村清彦氏
生年月日 1971年12月3日
プロフィール 東京都豊島区生まれ。法政大学卒業後、ABCマートに就職し、第一期生として活躍。社長の側近として、経営者の傍で企業の成長を目の当たりにする。1998年、苦境に立つ実家のラーメン店を再生するために、退職。2年後には赤字店を単月黒字に転換。2店舗目に「つけ麺専門店フジヤマ製麺」をオープンさせたところから、破竹の快進撃を始める。2008年7月にはフランチャイズ事業をスタート。同年9月に、初ののれん分け店舗「フジヤマ製麺・武蔵小山店」がオープンする。2009年、「フジヤマ製麺」から「三ツ矢堂製麺」に屋号を変更。2012年2月現在、店舗数は近日オープンの店舗を含め24店舗となる。メディアにも多数取り上げられている人気と話題のラーメン店。
主な業態 「三ツ矢堂製麺」
企業HP http://idc-inc.jp/

一度は食べに行きたい、人気のつけ麺専門店「三ツ矢堂製麺」。

一度は食べに行きたいラーメン店は少なくない。TVなどで紹介された店には食指が動く。とはいえ、TVで紹介される店だけでも、相当数にのぼる。全部に足を運べないのが残念なところだ。株式会社ラーメンデータバンクの大崎裕史によれば、都内だけで月間60軒のラーメン店が生まれているそうだ。
今回ご紹介する、「三ツ矢堂製麺」も、間違いなく一度は食べてみたいラーメン店のひとつ。「つけ麺」通なら、尚更だろう。国内産の特級菓子用小麦を使用した独自の麺は、麺だけ食べても旨みがある。最初の一杯なら、まず何もつけずに麺だけ食すと違いがよくわかるそうだ。
つけ汁の種類も多く、ユニーク。イチオシの「つけめん ゆず風味」から「マル得つけめん」「とろろ山芋つけめん」「月見納豆つけめん」、「濃厚チーズソースつけめん」と興味をそそられる。もっとも気をてらっただけのメニューではない。試行錯誤のうえ、たどりついた「つけめん」の進化形。「新たな食のシーンを創造する」と謳う「三ツ矢堂製麺」ならではの展開であることが理解できる。
では、どのようにして「三ツ矢堂製麺」は生まれたのだろう。生みの親である株式会社インターナショナルダイニングコーポレーションの代表取締役C.E.O 中村 清彦の生い立ちから、追い掛けてみることにしよう。

父はトランペット、母はヴォーカル。

中村が生まれたのは1971年。東京都豊島区要町に生まれる。要町は、池袋の隣町である。3歳上の兄と2歳下に弟に囲まれた男3人兄弟の真ん中である。父親は大阪、母親は福岡出身。両親ともバンドをやっており、父はトランペット、母はヴォーカルをやっていたそうだ。
父母が結婚したのは、バンド時代。こののち、母は育児に専念。3人の男子の育児に追われることになる。その一方で、美容師の免許をとり、美容室の経営を始めるのだからエネルギッシュなママだ。しかも、中村が中学生になる頃には、6店舗まで店舗網が広がっている。そのうらには、中村が小学4年生頃から経営に参加した父の功績も少なくない。
余談ではあるが、母方の祖父は九州におけるカップラーメン業界の創業者とのこと。工場も構え、従業員も1000人も抱えていたそうだ。祖父の事業家のDNAは、母に、そして中村にも受け継がれているのかもしれない。ミュージシャンを志した両親たちの、豊かな表現力もおなじように受け継がれていくのだろうか。

目立ちたがり屋の少年は、野球、テニス、そして丸坊主に、学ランの青年になる。

両親が共働きなので兄弟3人は、何の規制もなく、自由に育った。子どもたち3人で出前を取るなどしていたらしい。想像するとほほえましい様子が思い浮かぶ。夏休みや冬休みは、両親のそれぞれの実家に遊びに行った。忙しい合間をぬって外食にも良く連れて行ってもらったそうだ。
兄弟3人の様子を伺うと、それぞれ個性的だ。
長男は優秀で、本好き、勉強が良くできた。中学からエスカレーター式の学校に進んでいる。弟は両親の影響からか小さな頃からピアノを習い、今現在も音楽関係の仕事に携わっている。
中村本人は、小学生の頃から目立ちたがり屋で、少年野球クラブに入って甲子園を目指していた。成績も悪くなく勉強もできスポーツもできた。学級委員や生徒会にも積極的に参加する。3人3様の道を進んでいる。
ただし、影響を受けないわけではなかった。中村は兄同様の高校に入り、同じテニス部でコートを駆けた。この頃になると、思春期のせいだろう。夜遊びもするようになる。その結果、2浪することになってしまう。2年後、晴れて法政大学1年生になった。
大学でもテニス部に入った。サークルではなくあえて部に入ったが、全国から集まったプロ級の選手ばかり。多少の自信はあったがまるで歯が立たなかった。それでも、負けるわけにはいかない。テニス部にもかかわらず、丸坊主に学ラン。男の世界。ボルテージが上がった。この時の経験は、授業よりも、ある意味、中村の財産になったのではないだろうか。

起業を志し、ベンチャー企業の雄「ABCマート」に就職。

法政大学卒業後、中村は、「ABCマート」に、新卒一期生として就職する。漠然と頭の片隅に“起業”という思いがあり、当時、猛烈に勢いのあったベンチャー企業、「ABCマート」を選択したのである。店舗数一つとってもまだ10店舗に過ぎない時代だった。
社長との距離もあってないようなもの。その社長に可愛がられた。社長付き、社長のカバンを持って、毎晩のように食事を共にした。企業が成長し、上場する様をトップのかたわらで観ることになる。3年目には海外の生産部門に配属される。海外志向の強かった中村には適任だった。そして、3年目が終わる時に、辞表を提出した。26歳の苦汁といえば苦渋の決断だった。

26歳の決断。ラーメン店の再生。

「私が高校3年の頃に、父がオーナーとなって中野にラーメン店<まるはちラーメン・がんてつ>を開きました。この店が上手くいかず、危機的な状況が続いたんです。このままでは、借金も膨らみ続けます。立地も良くないし、中華料理屋というメニュー構成にも無理がありました。私も週に1回は手伝っていたんですが、なかなか好転しません。もう片手間では無理だなと思って、ABCマートを退職し、店の経営に専念することに決めたんです。もっとも会社もスグには辞めさせてくれず、結局、説得に1年かかりました。最初は、貯金もしていたし、借金をスパッと返して違う何かをやろうと思っていたんですが、最終的には、いまの店を引き継ぎながら、本格的なラーメン店をめざすことにしました」。
スパッと返すより、きびしい中村の試練が始まった。
「まず初めにやったことは、掃除です。掃除を徹底しました。ラーメンは独学です。繁盛店に行ったり、本を読んだり。給料はほとんど取れません。それでいて1日17時間、ほぼ年中無休の労働です(笑)」。
労働時間と業績は必ず連動するとは限らない。いつになったら、店は軌道に乗るのだろう。焦る気持ちはなかったのだろうか。
沿革を追えばこうなる。中村がABCマートを退社したのは1998年。中野のラーメン店「まるはちラーメン・がんてつ」の運営を父より引き継ぎ、飲食業をスタートする。この時の月商をみるとわずか177万円に過ぎなかった。2年後の2000年4月。父よりラーメン店事業を正式に譲渡され、業態名「らーめん頑徹」として再スタートを切る。この頃から単月黒字化を達成するようになる。
「最初の頃は、ずっと辞めようと思っていたんです。派手な性格だからなのか、はっきりした性格なのか、先が見えないことが嫌だったし、ラーメン店の店主で終わっていいのかって気持ちもあったような気がします」。

つけ麺、構想。

それでも次の構想はあった。それが今の原点となる「つけ麺」構想である。単品で、回転率よく売る、理想なのは間違いない。この「つけ麺構想」が2005年、「つけ麺専門店フジヤマ製麺」として開花する。この時、こだわったのが立地。「とにかく、いい場所で勝負したかったので、半年ぐらいかけ物件を探しました」。
ただ、立地にこだわれば、当然家賃は上がる。
「坪数は20坪と変わらなかったんですが、家賃は8倍弱の150万円。ダメだったら、もうラーメン店は辞めようと思っていました」。
半端な勝負はイヤだった。むしろ、これでダメならあっさり辞められる、そんな思いがどこかにあったかもしれない。背水の陣。退くことさえ、できない状況である。
そして、2005年12月、寒空の日に、中村の決意を込めた「つけ麺専門店フジヤマ製麺」がオープンするのである。店内には、麺を茹でる蒸気が立ち込めた。

ラーメン店、店主、中村 清彦。

幸先のいいスタートだった。半年ぐらいでいける、と確信する。1年後の2006年、今度は倍の広さの店を高田馬場にオープンさせる。オープン月の12月は7日の営業で158万円。翌1月の月商は662万円 を記録する。2007年には「つけ麺専門店フジヤマ製麺」の1号店である中目黒店が、月商1000万円という記録的なレコードを叩き出す。この頃になってメディアも騒ぎ出す。2008年にTV「王様のブランチ」の特集で取り上げられ、当日の日商は80万円にもなったという。
その後の快進撃は、ホームページを参照していただこう。ここでは、トピックスのみ紹介する。2009年屋号を「フジヤマ製麺」から「三ツ矢堂製麺」に変更し、本格的にフランチャイズでの出店を進める。東京ビックサイトにて「2009フランチャイズショー」に初出展。初のつけめんフランチャイズチェーンとして話題を集めたのも、この年である。2009年9月にFC2号店目が開業。出店攻勢が始まる。2010年3月には、中目黒店が月商2000万円を達成している。(ちなみにこの中目黒店は、女子が大好きなラーメン店150に選ばれ、深夜に行きたいラーメン店1位に選ばれている)。
現在は海外出店も予定しており、2012年、4月にマレーシア、5月にマニラに出店予定とのこと。新卒採用にも取り組んでおり、採用にも積極的なので、ぜひ、就職、転職の候補として注目してもいいのではないだろうか。
<たかがラーメン、されどラーメンである>。ラーメン店店主、中村 清彦は世界に挑む。彼の姿をみた若者は、たぶんカッコイイと思うのではないか。ステージは違えども、父と母同様に中村はいま、スポットライトを浴びながら、戦っている。

思い出のアルバム
思い出のアルバム1 思い出のアルバム2 思い出のアルバム3
   
ご登録はこちら

この企業にご興味のある方は、下記フォームよりご登録下さい。
求人情報が出次第、お知らせします。

ご登録はこちら