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第272回 株式会社俺カンパニー 代表取締役 山本昇平氏
update 12/03/13
株式会社俺カンパニー
山本昇平氏
株式会社俺カンパニー 代表取締役 山本昇平氏
生年月日 1981年9月
プロフィール 四国の坂出市に生まれる。大手企業に勤める父親の転勤に伴い、茨城に移り、高校卒業まで茨城で過ごす。大学時代、アルバイトで飲食に出会い、卒業時には飲食での起業を志すようになる。独立支援制度を持つ「株式会社ムジャキフーズ」に入社。ノウハウを学び、半年後には「俺のハンバーグ山本」店をリリース。「しっかりした食事で、健康づくりにも貢献したい」、そんな思いをハンバーグに込め、提供し、人気に。その後、「株式会社俺カンパニー」を設立。現在、恵比寿を本店に、渋谷、赤坂、高田馬場、吉祥寺に5店舗を出店している。
主な業態 「俺のハンバーグ山本」
企業HP http://www.orehan.com/
「人間力」という言葉がある。これを先天的なチカラと考えるのと、後天的なチカラと考えるのかでは、大きな違いがあるように思う。前者が驕りにつながるのと比べ、後者は感謝の気持ちに通じるからだ。今回、ご登場いただく株式会社俺カンパニー代表取締役 山本昇平は、2012年1月のインタビュー時、まだ30歳に過ぎなかった。だが、年齢以上に豊かな人間力に惹かれてしまう。それは果たして、先天的なものか、それとも…。

自己表現。

山本が生まれたのは、1981年。香川県の坂出市という港町だ。この街で2歳ぐらいまで育ち、父親の転勤と共に住居を移し、高校までは茨城県で育っている。父親は大手企業の開発者で、現在は関連会社の社長を務められているそうだ。
ちなみに山本家は、父方も、母方も教育関係の人が多く、開発者となった山本の父親も親族のなかではかわりダネだった。とはいえ、息子が飲食の経営者になるとは、父でさえも思いも寄らなかったのではないだろうか。
さて、子どもの頃の山本は近所の友達と活発に遊び回る明るい少年だった。しかし、自分は周りの友人よりも劣っていると感じていた。
その劣等感からか、周りではやっている事や、友人のやっている事に強く興味を持ちみんなと同じようにしようとしていた。
「両親は私がやりたいという事をなんでもやらせてくれました。水泳、書道、ピアノ、ボーイスカウト活動など様々な習い事や活動に参加できる環境を与えてくれた親にはとても感謝しています」。
そのころ、山本は後の考え方に影響する苦い経験をする。それは、ボーイスカウト活動の中での事。世界中のボーイスカウトが集まるジャンボリー(※ボーイスカウト日本連盟主催のキャンプ大会)が九州で開催されたのだが、参加しなかった。理由は、知らない人が多いし、外国人もいるし、自分の技術やコミュニケーション力に自信が無かったから。「ジャンボリーが終了し参加した友人が楽しそうにその経験を語る姿を見て、本当に後悔しました。なぜ、自分は勇気を出して参加しなかったんだろうって。ただ「行きたい」ってて言えなかっただけで貴重な経験を得る機会を失ってしまったんですから」。
その事がきっかけになり、山本はもっと積極的な生き方をしようと思うようになる。
中学では学級委員長を経験し、テニス部では副部長を務め、大会で優勝も経験する。高校でハワイへの短期留学も経験した。現在の前向きで積極的な性格はこの頃に土台が出来てきたのだろう。

バイトと旅行と人生勉強。

大学への進学を前に、TV局のディレクター、映画監督などクリエイターという職業に興味を抱き始めるが、ただ、漠然としたものに過ぎなかった。それでも、進路を決める際には、情報?クリエイターの勉強ができる東京電機大学理工学部の情報社会学科という新設学科へ進む事を決意する。大学に進学すると同時に一人暮らしも開始した。
大学での授業も興味深かったのだが、一人暮らしを始めた事も有り、自由な時間が多くあった。自分の好きな事が出来る時間が豊富にあったのだ。
大学での授業もそこそこに、東京へ遊びに出かける事が多くなる。オシャレなカフェやアパレルショップを多く見て回る中で、みんなが流行を追っている事に疑問を感じ、自分の個性の表現を強く意識するようになる。これまで、周囲の人と同じでいようと思っていたのとは逆に、他の人とは違うことに価値を感じるようになっていく。
「大学の頃は、大学での勉強よりも自分の個性を磨く人生勉強ばかりしていました。アルバイトもたくさんやりました。飲食業との出会いはこの頃です」。
旅行にも良く出かけた。2年生の時には友人と2人、車で日本中を回り、3年生の時にはタイまで一人で出かけた。出発3日まえに思い立ち、まるでふらりと旅立った感じだ。所持金は10万円。タイの物価は安いだろうが、不安はなかったのだろうか。ただ、こうした行動力に、ふつうはなかなか越えられない壁をあっさり乗り越えてしまう、山本という人間の強さをみる気がした。ちなみにタイでは、ドルも通用しない田舎町まで出掛けたそうだ。

すばらしい出会い。

山本は、人との出会いを何より大事にする。それは、自分が出会ってきた人たちに多くの影響を受け育てられてきたと感じているからだ。一番の出会いはむろん両親。「この両親の元に生まれる事が出来たことにとても感謝しています。その後は友人達ですね。自分の個性を磨こうと思えたのも友人に東京へ連れて行ってもらったからですし」。
その次にといって山本が挙げたのは、大学時代の先生だった。
「先生は、音響音楽学の研究室を持ち大学で授業をおこなっていたのですが、現役の作曲家でもあったんです。モノをつくるうえで、想像は模倣から始まるとも言われています。ただ、もう一方で模倣で終わるのではなく、そこから学び自分の感性を磨いていくことが大切だとおもうんです。自分の個性を磨くことを意識していた私にとって先生との出会いは刺激的でした。『表現する為にはまず、感じる事が大切だ』と教えてくれる先生の話はとても興味深かったです。先生自身のものの見方感じ方がとても素敵でした。先生の研究室で勉強させて頂く中で、自分の心でしっかり感じる事で、それを自信を持って表現できるようになったんです」。
もちろん、人の意見を聞かないというのではない。それは独創ではなく、独善だ。ただ、経営者となったいま、経営者が下す判断は、組織にとって揺るぎないものでなくてはならない。感じること、表現すること。そして自信を持つこと。たしかに、これらは経営者にとってなくてはならない要素である。
さて、就職の時期が来る。山本は、どういう尺度で、この人生のイベントを迎えるのだろうか。

就職活動で自分試し。

「もともと楽しくないと思うものに対してはモチベーションがあがらないタイプなんです」と山本。就職活動には、多くの場合、相当のエネルギーがいる。モチベーションがなくては、エネルギーも生まれない。
いくつかの会社を受け、内定もいただきました。ただ、私の場合、起業をすでに考えていましたので、言葉は悪いですが、ものはためしに、というような感じでした。ただ、就職の面接は、ジブンを表現するうえで、大事な経験になるだろうと。そんな山本が、いくつかの面接を受け、就職先に選んだのは、株式会社ムジャキフーズという会社だった。起業するために、就職する。いっけん矛盾しているように思えるが、ムジャキフーズは、独立支援制度を整えており、起業への最短ルートをとれると判断したからだ。
「どこかで修業する手もなくはないし、多くの人はそういうプロセスを選ばれるでしょう。ただ、私は、困難でもゴールがはっきりとみえるものに挑戦したかったんです。ムジャキフーズには、手を挙げて、審査され、過半数の評価を獲得できれば出店できる、そんな仕組みが整っていたんです」。
「もちろん、仕組みだけではなく、経営者の人柄にも惹かれました。何より、夢を持っている人にチャンスを、という考えに共感したんです。その一方で、失敗をするにしても、若いうちなら、それもまた経験になると、思っていたのも事実です」。
慎重になり過ぎれば、かえってチャンスを失うことになる。ただし、大学を卒業したばかりの青年が飛び込むには、あまりに困難な気もする。少なくともラクな道じゃない。青年、山本の戦いが始まった。

騙されているんじゃないの?

ムジャキフーズに入社すると、同期がいっぺんにいなくなるほどのハードワークが待っていた。ラーメン店での勤務である。いままで何も言わなかった両親も「大丈夫か」「騙されているんじゃないか」とたまらず口にしたそうだ。だが、山本はそんな声を一蹴するかのように迷いなく、懸命に働いた。
「飲食のノウハウを覚える、経営のしくみを知る、それが目的です。だから、何かあればスグに手を挙げて挑戦させてもらいました。ハードワークも気になりません。そういう姿勢も評価いただいたんでしょう。1年2ヵ月後にはハンバーグをメインにした、それまで温めていたプランの店を出店させてもらえることになったんです」。 言葉でいえば、たった数行でも終わるが、実際の1年2ヵ月は長い。この間は山本にとって、壮絶な戦いの連続だったのではないだろうか。
ちなみに、株式会社ムジャキフーズのしくみはこうだ。ムジャキフーズが出店場所を確保し、開業資金も提供する。店主は、その店の運営を委託されるというしくみ。つまり、委託というスタイルではあるが、資金がなくても、独立が可能となる。もっとも、経営のプロたちが審査し、一定の評価を獲得しなければならないのだが。その評価を山本は、たった1年2ヵ月で獲得したことになる。しかも、山本のケースは、主力であるラーメン店ではなく、ハンバーグというムジャキフーズにとっても初の業態というハードルも超えている。
この制度を利用して山本が「俺のハンバーグ山本」を開店したのは2005年6月。わずかな経験しかない、23歳の青年に、会社はウン千万円を投じた。山本は「今でもこのようなチャンスをいただいたムジャキフーズの皆様には、大変感謝している」と語っている。

俺のハンバーグ山本がブレイクする。

「6月に開業したんですが、最初はぜんぜんダメでした。なかなか業績も上がりませんでした。ラーメン店ならレシピもノウハウも豊富にあるんですが、初めての業態でしたから、ぼくたちの感覚だけが頼りです。いろいろアドバイスはいだだけるのですが、現場で判断するのは最終的に自分自身です。。最初からそうとわかってスタートしたわけですから、逃げ出すこともできません。ところが、幸いなことに徐々に口コミで、広がっていったんです。ちょうどブログが流行り始めた頃で、うちのハンバーグを写真にとって載せてくださる人も増え、それで12月頃でしょうか。一気にブレイクするんです。6ヵ月はかかった計算です」。
「俺のハンバーグ山本」は、独特だ。ネーミングも良い。最初からメディアを上手く利用していれば、オープン当初から話題になったかもしれない。だが、そういう方法を知らなかったのか、それとも、そのような戦略を取るのを、潔しとしなかったのか。いずれにしても、ただ人気化するだけが、山本の目的でなかったのはたしかだ。

心の豊かさを問う経営者、山本。

「俺のハンバーグ山本」出店から、3年と3ヵ月後の2008年9月、株式会社俺カンパニーが設立される。そして2012年、現在、5店舗。うちムジャキフーズの資本ではなく、直営で出店した店が3店舗ある。社員数はアルバイトを含め50名ということだ。
店主となり、7年目。社長になり、4年目を迎えた。この間、どんなジブンの尺度でものごとを測ってきたのだろう。
「接客のマニュアルは意味がない。でも、心のありようの、お手本となるようなマニュアルがあれば、みんなで共有したいと思います。豊かな心、これが私の尺度です。いかに<豊かな心を持ったスタッフ>を育て上げられるか。それが俺カンパニーの行く末を左右すると思っています」。
出店計画はどうなんだろうか。
「いたずらに出店を急げば、すべてがマニュアル化してしまいます。もちろん、どの店でもおなじ味の料理を食べてもらわなければいけません。サービスも同じです。ただ、それらが同じでも、スタッフたちの心の持ちようで、お客様の評価はぜんぜん違ったものになってしまうでしょう」。
「だからといって、出店しないのではありません。環境が整えば、出店はします。目標としては、心の豊かな人がはたらく店をたくさんつくっていきたい。そんな店が増えれば、社会をもう少し豊かにできると思うんです」。

俺ハンバーグが表現する「あした」。

不効率でも、いい。山本の尺度で測れば、効率より、大事なことはたくさんある。「美味しさ」と同じように「健康」というキーワードを掲げているのは、山本ならではの、判断からだろう。
山本は、学生時代に一人暮らしを始めて、改めて母のチカラに感動したことがある。それは、手抜きをすることなく、明日の活力となる料理を毎日しっかりと作ってくれていたことに思い至ったからだ。
あの母の思いをハンバーグに込めて、俺のハンバーグは出来上がる。HPで山本はこう言っている。「皆さんに元気になって欲しい、そんな気持ちをこめて毎日一所懸命作っています。美味しく、健康を維持しましょう!」と。
その山本の思いがもう一つのかたちになった、それが「俺カンパニー」という会社だろう。
1号店目から数え、すでに5店舗を展開しているが、まだまだ若い集団だ。「俺のハンバーグ山本」。独創性豊かな山本がつくった、そして食を提供する人間の愚直な思いが込められた「俺のハンバーグ山本」という逸品を客として堪能するもよし。この若い集団に仲間として参加するのもまたよしである。
ところで、心の豊かさは、人に感謝する気持ちが育てる心と言っていいだろう。その観点からいえば、山本のたぐいまれな人間力は、人との出会いによって後天的に育まれたと言っていいようだ。少なくとも山本は、そう思っているのではないだろうか。豊かな心と感謝の気持ち。だからだろう、山本の独創的なアイデアは、人の心をつかまえて、離さない。

思い出のアルバム
   
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