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第273回 ファーストキッチン株式会社 代表取締役社長 齋藤俊光氏
update 12/03/19
ファーストキッチン株式会社
齋藤俊光氏
ファーストキッチン株式会社 代表取締役社長 齋藤俊光氏
生年月日 1960年9月30日
プロフィール 大阪府布施市(現在は東大阪市)に生まれる。小さい頃から勉学も、スポーツもでき、クラスのなかでは人気者。学区内でいちばんの進学校を経て、大阪大学に進む。卒業後、サントリーに入社。物流や事業開発を手がけ、山梨県にあるワイナリーの活性化を行うなど多彩な実績を残し、現在、サントリーホールディングス100%出資会社「ファーストキッチン株式会社」の社長を務める。
主な業態 「ファーストキッチン」
企業HP http://www.first-kitchen.co.jp/

工作以外はオール5の秀才。

工作が苦手だった。それでも4がついた。あとはオール5。勉強もできたが、スポーツもできた。小学校で秀才と言われ、中学で天才と言われたことも頷ける。
齋藤が生まれたのは1960年、大阪府の東に位置する東大阪市で、当時はまだ布施市と呼ばれていた。東大阪市は中小企業の町として知られており、現在でもいくつもの町工場が軒を連ねている。齋藤の父も、バフの製造工場を営んでいた。一方、母は、損害保険の代理店を営み、どちらかといえば母より、父のほうが家にいる時が多かったそうだ。
4人兄弟の末っ子である齋藤は、3人の姉とも、両親ともずいぶん年が離れている。
セールスレディだった母は、忙しい仕事の合間を縫ってデパートの食堂に齋藤を連れて行ってくれたりもした。母とともに大食堂で食べたことが、齋藤の記憶の一つに残っている。

秀才→天才→ふつうの人→ただし、剣道2段に。

書道6段、剣道2段、少林寺拳法2段。書道は幼稚園から始め大学2年まで続け、剣道は高校1年から2年の間に2段まで取った。少林寺拳法は大学で始めて2段まで取っている。
中学に上がった齋藤は、熱心に机に向かうことはなかったが、それでも常に学年で1番か2番。天才と言われた理由である。その一方で、エレキギターを奏で、生徒会長も務めた。バスケットボールのクラブではキャプテン。漫画に出てくるようなイケてるキャラクターだった。
だが、秀才、天才と謳われた齋藤も、学区でいちばんの進学校に進むと「ふつうの人」になってしまったそうだ。
「学区でいちばんの高校だったので、さすがに勉強をするようになりました。でも、今度は勉強しても成績は中の上。もう、ただの人です(笑)。でも、高校から始めた剣道では、ちょっとしたレコードをだしました。まったくの未経験から始め、半年で初段、2年の秋には2段です。段だけでいうなら、私よりうえの生徒もいましたが、私がいちばん強かったんじゃないかな。2年の夏合宿ではOBたちと戦って全勝しています。2年の春だったと思いますが、基礎練習を怠らなかったからでしょう。上達をじぶんでも感じられるようになりました。これが一つの成功体験になっています」。
府内でもトップクラスの進学校だったが、校風は自由闊達。「私服もOK。進学校ですが、けっこうカップルもいました。自主性を尊重する学校で、風紀も自由。勉強しなければいけないことを除いては、文句をつけようのない学校です(笑)」。

大阪大学少林寺拳法部、18代世代の、革命。

高校生活の終わりには、大学受験という難関が待っている。進学校だから尚更かもしれない。
「英語と国語が苦手だったんですが、志望は文系です。数学だけで突破してやろうと大阪大学を受験しましたが、数学の点数が数点足らず、失敗。翌年、リベンジしました」。
大学では、少林寺拳法部に入った。齋藤の足跡をたどると、凡人にはなかなか歩めない道が続いているように思える。頭もよく、好奇心も旺盛、スポーツも万能。だが、もう一つ、これが、齋藤の歩みを魅力的なものにした気がするのだが、行動力に長け、人を引き付ける才能に富んでいたことだ。大学の部活動で、その才を発揮する。
「まったく話にならない部だったんです。弱くってもいいやって感じでした。大会では予選落ちと決まっていました。でも、私は、やるからには強くなりたかった。勝ちたかった。だから、動いたんです」。
のちにOB会でも一目置かれる、18代、齋藤世代の始まりだ。
「私とおなじように熱いやつらをあつめて練習方法も練り直し、最終的には新たな指導者を迎え入れることまでやりました。その結果、私たちの代では無理でしたが、2年下の後輩たちが関西の大会で初優勝。その後も連勝が続きます」。
高校時代のレコード記録。それだけみれば齋藤本人の才によるところが大きい。ところが、こちらの話は、齋藤という人の「人格のちから」がクローズアップされている気がする。ちなみに大阪大学のホームページで調べてみたところ、いまもさまざまな大会で優勝を遂げていることがわかった。

学生だが、給料15万円。

大学時代、クラブ活動に没頭する一方でアルバイトにも精を出した。これが、のちに就職することになるサントリーとの出会いだった。
「ケータリングをやっていたサントリー系列のダイナックのアルバイトです。大は数百人のパーティから、小は数名のパーティまで。時には佐治敬三さんがスピーチされるパーティがあって、その時、肝銘を受けたことがサントリーに興味を持った始まりです」。
月の半分はバイトに入った。学生だが、平均15万円ぐらいは手にしていたらしい。その金で旅行も行った。旅が好きで、グループ旅行だけでなく、一人旅もよく行った。田舎の駅舎で寝袋に寝たこともある。大学までで北海道から沖縄まで、都道府県の2/3は制覇した。行った先で独自の風習に触れ、地元の人と触れあったりすることが好きだった。もっぱら、国内だったが4年生の時に、独りでアメリカを1周している。
就職では、金融機関をはじめ大手広告代理店など、さまざまな会社から誘いを受けた。だが、結局、サントリーに落ち着く。
「酒が飲めない私が、ウイスキーメーカーに入るなんて、ちょっとミスマッチで、ゼミの先生からも辞めとけって言われたりもしたんですが、これもまた人生です」。
社名はださないが、たしかに、錚々たる企業から誘いを受けている。ゼミの教授が、やめておけといった気持ちもわからないでもない。当時、サントリーは学生の人気ランキングで1位。それでも、他の顔ぶれを聞くと少しはちゅうちょする選択だったはずだ。でも、たしかに、それも人生。齋藤のサントリー人生がスタートする。

サントリー入社。ワイナリーの活性化まで。

サントリーでのスタートは、物流関係の業務だった。最前線に、せっせとビールやウイスキーを送り込む仕事である。国際物流にもたずさわった。その後、新たなキャリアを求めて社内公募で事業開発部に進んだ。
この事業開発部は、文字通り新たな事業を開発する部である。「簡単にいえば、ティップネス(フィットネスクラブ)のような事業を開発する仕事です」と齋藤。当時、関東ではゴルフ場やリゾート開発が盛んに行われていたが、齋藤が配属されたのは大阪。「ホテルを造れ」「温泉を掘れ」「公園を造れ」と傍目からみれば、いかにもおもしろそうな指令が下りてきたようだ。
事業開発部に入ったことで、齋藤の仕事はいち飲料メーカーの枠を超え始める。
サントリーを代表した交渉や折衝も増える。山梨のワイナリーの活性化も任され、花とワインの観光施設のある工場に活性化した。すると運営も任される。
「観光施設の運営はもちろん、ワイン工場の事務長まで担当するようになりました。いずれも経験したことがなかった仕事ですが、その時の経験がいまの私をかたちづくっている気がします」。
子どもの頃から未知なるものに興味があった。中学でバスケットボール、高校で剣道、大学で少林寺拳法に進んだのもその性格からだろう。しかも、結果を残している。齋藤が活性化した、このワイナリーは、現在も残る「登美の丘ワイナリー」のことだろう。豊かな自然と、ワインの試飲などもでき、観光スポットの一つとなっている。ここでも、結果を残したことになる。その原動力となったものは何なのだろう。与えられた課題を解決する責任や使命感なのだろうか。それとも、未知なるものに対する興味と、いったん始めたからには中途半端では終わらない性格によるものだろうか。その答えを追ってもう少し話を進めたい。いよいよ「飲食の戦士」齋藤の登場である。

やるなら、会社経営を。新たな選択。

「ある時、上司が『これから先、どうしたいんだ?』とたずねてくるんです。他の工場やワイン関連の業務などの選択肢もありましたが、その時、私は、グループ会社で勉強したい、という返事をしたんです。それが、ファーストキッチンへ向かう意思表示ともなりました」。
ファーストキッチンは、ご存知のように、サントリーホールディングス100%出資で、ハンバーガーなどのファストフードショップを全国展開している会社である。
サントリーに入社してから、後方支援的に飲食にかかわった経験はもちろんある。ワイナリーではレストランの運営にも関与したはずだ。しかし、直接的に飲食にかかわるのは、今回が初めて。学生時代のダイナックでのアルバイトから、久々に、飲食で齋藤の手腕が問われることになる。もちろん、アルバイトと社長の立場はまるで異なるが。

女性比率70%のバーガーショップ。

「ファーストキッチンは、女性客の比率が男性客を上回っています。もともとは男女比は半々でしたが、特にこの10年の様々な施策により、女性比率が70%を占めており、男性比はファーストキッチンでは30%に過ぎません。じつは、これがファーストキッチンの特長なんです。2005年から「City Convenience Restaurant」をテーマに、メニューラインナップ、店内レイアウト、ロゴマークなど企業イメージを全面的にモデルチェンジしました。パスタを始めたのも、この時です。このパスタが、生パスタに変更したり、品質改良を重ねたこともあって、いまでは構成比の12%を占めています。フレーバーポテトも女性のお客様に大人気です」。
「女性のお客様に受け入れられてきたファーストキッチンという業態を更に進化させ、<日本一女性に愛される外食チェーンを目指す>ことがいちばんいいと判断し、そう打ち出しています。店舗も3年前からナチュラルモダンな雰囲気に改装を進め、その度に女性比率が10%上がるという結果になっています。席の間隔も、5センチ広くしました。この5センチがいごこちの良さを作ります」。
仕掛けも考えている。異業種とのコラボなどもその一つだ。

未知なる世界にも勇気を持って飛び込め。

経営者の資質を測るには、いろいろなモノサシが挙げられる。もちろん、すでにみてきたように、齋藤にはさまざまな種類の資質が備わっているが、だからといって、経営者として大成功するかどうかの保証にはならない。いかに人の心をつかみ、適材適所を実現するか、飲食では、とくにそのあたりがポイントとなるだろう。
最後に人に対する考えを聞いてみた。
「学歴は不問。好奇心、向上心があれば、あとは何とかします(笑)」とおおらかな答えが返ってきた。
「もちろん人と接することが好きであること、飲食業ですから、これはなくてはならない資質です。もう一方では、そうですね、私の経験でも言えることですが、その都度の状況を楽しめるマインドはあったほうがいいですね。若い人への私からのアドバイスを一ついえば、どんなところでも、行った先、行った先で勉強になることは必ずあるということです」。
たしかに齋藤自身がそうだった。ただ、「勉強になる」と思っていたわけではなく、あとになって「勉強になった」と思い至ったということだろう。そうだとすれば、やはり「未知なるものに対する好奇心と向上心」、これがカギになる。
「未知なる世界に恐れず、興味を持ってトライせよ」。
齋藤の生き様からは、そんな声が聞こえてくる。

思い出のアルバム
思い出のアルバム1 思い出のアルバム2 思い出のアルバム3
大学時代の旅行 サントリー入社数年(国際物流)時代 少林寺拳法(OB会)
   
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