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第278回 株式会社シンプライズ 代表取締役 大野太陽氏
update 12/04/03
株式会社シンプライズ
大野太陽氏
株式会社シンプライズ 代表取締役 大野太陽氏
生年月日 1977年3月23日
プロフィール 新潟県新潟市に生まれる。小学3年生で東京都葛飾区に引っ越す。姉と弟に挟まれた3人兄弟。小学5年生の時に父を亡くし、母の手によって育てられる。小学校時代から勉強もスポーツも万能で、都立ではいちばんの進学校「両国高校」に進んでいる。1年浪人の末、明治大学に進学したが、1年で意味を見いだせないと退学。さまざまな飲食業態を経験し、23歳で友人と共に独立。その後、単独経営を始め6年目に、シンプライズに商号を変更。その後も順調に業績を伸ばし、現在は、原宿・西麻布・目黒などに「パスタバール TASPA」「からあげバルハイカラ」などカフェ・ダイニングバーを幅広く展開している。その一方で、バンタンスクールグループが運営する「食」のデザインスクール/レコールバンタンの講師も務めている。日本で初めて「もち米」を使った生ライスパスタ専門店をオープンするなど、注目を集める経営者だ。
主な業態 「パスタバール TASPA」「からあげバルハイカラ」他
企業HP http://www.simpraiz.net/

家事を分担する子どもたち。

1977年3月23日、新潟県新潟市に生まれる。小学3年生の時に葛飾に引っ越し、5年生には、いったん千葉に移り、もう一度、葛飾に戻っている。「小学校の時、4回転校した(笑)」と大野。もともと大野の父親は、新潟市で「花屋」を営んでいた。1階がお店で、2階が住居。最盛期には3店舗ほど出店されていたそうだ。ところが、大野が小学3年生になる頃には、業績が陰り店を畳まなければならなくなった。「それで母の実家がある葛飾のほうに引っ越したんです。父はトラックの運転手を務めていたんですが、私が5年生の時に急に倒れ、他界してしまいました」。母は、ショックから半年は立ち直れなかったという。当時、大野家では、大野を真ん中に2つ上の姉と2つ下の弟の兄弟3人が仲良く家事を分担していた。母の負担をなくすためだ。「私は、料理が好きで、洗濯と掃除はまったく好きになれなかった」と振り返っている。

キャプテン拝命。弱小チームを都大会にみちびく。

一方で、学校ではどんな少年だったのだろう。小学校から大野は、サッカーが好きな少年だった。サッカーボールを追いかけ、グランドを駆けまわった。中学になってもサッカーをつづけ、3年時にはキャプテンを拝命。練習メニューをイチから見直し、弱小チームを都大会まで導いた。学業のほうはどうだったんだろう。小学生の時は音楽を除いてオール5。中学でもまったく勉強せずに、同様の成績を取った。さすがに都立でもいちばんの進学校に進んでからは、勉強しないとついていけないようになるのだが、秀才ぶりが伺えるエピソードだ。ちなみに母は生保レディで課長職にもなったが、車が好きという理由でタクシー運転手になった。そうやって、父親が他界した後は、母が女手一つで子どもたちを育てていったのである。

少年から、青年に。大学は意味を見いだせず1年でリタイア。

ここまでの話のなかで、ターニングポイントと言えるのは、中学時代、キャプテンに選ばれたことだろう。もともと内気だった大野が、仲間を率いるようになる。自ら考えたメニューで練習を積み、結果を残したことで自信も芽生えたに違いない。そのようにして少年は、自立した青年に向かって走り始めた。大学は1年間浪人して、明治大学に進んだ。入学金も、学費もすべてアルバイトで賄っている。そうまでして入学した明治大学だったが、1年でリタイア。大野いわく、大学に通う意味を見いだせなかったからである。

アルバイトがきっかけとなり、飲食にハマる。独立をめざし、奮闘。

その一方で、ドイツ料理店でのアルバイトにハマった。アルバイトにかかわらず、メニューも任せてもらったりしたからだ。「コースの前菜をやってみろ、って言われたり、数字(原価)までいじらせてもらったりして。人間、ほめられ、任されるとうれしくなるじゃないですか」。ますますのめり込む。独立という二文字が、この頃から明確なかたちを持ち始めた。「独立を前提に、いろんな店でバイトをします。バーテンダーもしたし、バーテンダーの募集だと思って行ったらホストクラブだったこともありました(笑)。ファストフードとファミレス、それ以外は全部しました。厨房も、ホールも経験しました」。すべて実地。ノウハウ本からは得ることができない貴重な経験を積み重ねていく。反面、貪欲な大野に対する店側の評価は二つに分かれた。「できる奴」という評価と「生意気なヤロー」という評価である。「アルバイトなのに名刺を刷ってもらったこともありましたし、フライパンが飛んでくることもありました」と笑いながら修業時代を振り返っている。常時、数軒かけ持ち、朝から晩ではなく、朝から朝まではたらいた。それが血肉になる。

23歳で独立。のちにレコールバンタンで講師も務める、飲食店経営者、誕生。

独立を果たしたのは23歳の時。小学校時代の友人と2人でディジーフードワークスという会社を設立。弁当の店を運営する。ただ、友人はもともとIT企業を興すことが目的だったため、数年で別れることになる。ともあれ、大野の「飲食の戦士」としての歩みが始まった。いまから12年前のことである。その後の大野のあゆみは極めて順調だ。もちろん、危機を迎えたこともある。ただ、それもバネにした。6年目、ディジーフードワークスという社名を改め、現在のシンプライズに。法人も、有限から株式にしている。教育事業を展開するバンタンスクールグループが運営するレコールバンタンの講師も務めるようになる。2010年には、日本で初めて「もち米」を使った生ライスパスタ専門店をオープン。モチモチした食感・低カロリーで女性を中心に大ヒットした。現在、大野は、原宿・西麻布・目黒などに「パスタバール TASPA」「からあげバルハイカラ」などカフェ・ダイニングバーを幅広く展開している。将来の目標を伺うと、日本人に合うパスタチェーン店の展開だという。「たとえば、ミートソースに味噌を使うなど、和食のテイストを取り入れた日本人好みのパスタ店です」。その一方で、「からあげバル」のチェーンも推し進める考えだ。前者はじっくり育て、後者は一気にチェーン化するという。

生き様がお手本になる。

「もともと飲食店の経営者になるなんて思っていなかった」という経営者は多い。大野もその一人だろう。大野は、アルバイト時代に飲食のおもしろさに出会った。いったん飲食に目覚めると、独立に向かってわき目も振らずまい進する。ただ、経験はアルバイトのみ。しかし、アルバイトでも強い意志を持ってさえいれば、独立のための知識も、経験も積めることを実証してくれた。徒手空拳という言葉がある。「資金・地位など頼るものがなく、自分の身一つ」という意味だ。だからと言って、ひるむことはない。そんなことも大野は教えてくれている気がする。大野の生き様自体が、飲食をめざす若者たちの教科書になる。レコールバンタンで行われる大野の講義が、人気なのも頷ける気がした。最後に、大野が求める人物像を伺ってみた。「サービス精神を持った人です。これは大事です。独立心のある人材も歓迎したいと思っています」とのこと。どうだろう。シンプライズの扉を叩いてみては。大野の講義を、給料をもらいながら受けることができるチャンスである。

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