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第279回 株式会社C&Mフードリンク 代表取締役 菊地 努氏
update 12/04/10
株式会社C&Mフードリンク
菊地 努氏
株式会社C&Mフードリンク 代表取締役 菊地 努氏
生年月日 1974年7月29日
プロフィール 神奈川県大和市に生まれる。小・中・高とサッカー部に所属。大学では少林寺拳法部に入り、体と心を鍛える。卒業後は、大手食品メーカーに就職。3年間、勤めあげ、先代である父の後を継いで2代目店主となる。2010年12月4日にはテレビ東京で放映された「関東近郊 クチコミB級グルメベスト30」で2位に選ばれている。
主な業態 「炭火・七輪 ホルモン焼 珍満」
企業HP http://r.gnavi.co.jp/g710200//

サッカーにて、初めての挫折。

姉と妹に挟まれた長男。幼少時代は、手先が器用で何でもこなすような少年だった。「珍満(ちんまん):創業昭和42年」の初代店主である父は、仕事に追われ、なかなか子どもたちと接する時間が持てなかった。その分、育児はもっぱら母に任された。菊地いわく、「教育熱心な母親だった」そうである。小学校に上がると、サッカーにのめり込み、中・高もサッカー部に所属。勉強も、スポーツも良く出来た。ただ、高校に入るとそうともいえなくなった。「進学校だったんですが、サッカー部は強く、県大会にも出場していた選手がたくさん入部してきたんです。運動もできるし、勉強もできる、そんな奴がたくさんいました」。上には上がいることを知った。好きなサッカーでは、なかなか出場の機会も与えられなかった。初めての挫折といえば、そうなる。「ちょっとメゲました(笑)」と菊地は笑う。

珍満(ちんまん)。意味もわからず店名をきらった。

「中学生の頃だったと思います。珍満(ちんまん)という店名がイヤで、父親まできらいになったことがありました。そのくせ、店の手伝いをしてちゃっかりお小遣いはもらっていたんですが(笑)」。当時は、周りに大手の工場があり、珍満はいつも客でにぎわっていた。「そのおかげで私は1浪もさせてもらえたし、大学にも進むことができました。いまでは珍満にも、オヤジにも感謝の気持ちでいっぱいです」。大学に進むと、少林寺拳法部に入った。「サークルとかではなく、ちゃんとした部に入りたかったんです」。ただ、抱いていたイメージとは少し違った。合宿になると浜辺を走り、夕日に染まった海に向って1000本突き。辞めようと心に決めたことも少なくなかった。4年間の部活はけっしてたのしいとはいえなかったが、就職に有利にはたらいたのは事実である。

一部上場の食品メーカーに就職。

「美人のアナウンサーと付き合ってやろうとTV局も受けました。でも、さすがにどの局もなかなか相手にしてくれません。飲食店からはスグに内定をいただけたんですが…」。サラリーマン志向だった。父をみていたからだろう。結局、メーカーに就職する。食品加工の大手メーカーだった。「当時は、海外志向が強くて、海外部門に入って世界を転々とするサラリーマンになろうと思っていたんです(笑)。ただ、1流大学出身の奴らもたくさんいましたから。私たち3流大学は、もっぱら国内、専門です」と言って笑う。ただし、一部上場の食品メーカーである。将来は、安定していた。

2代目への道。

もし、父が他界しなかったら、どうだったんだろう。もしくは、店がうまく回っていたら。2001年。菊地は上場会社を辞し、2代目店主になる道を選んだ。体を悪くした父は、「店を頼む」と息子に言った。断れるはずはない。ただ、引き継ぐにはあまりに業績が悪化していたのも事実である。「上司からは何度も引き留めていただきました。結局、3年、勤めます。私が店に立ったのは、父がなくなってからしばらくしてからです。3年勤めれば、少ないですが、退職金もいただけます。私にはそんな気持ちはなかったのですが、上司はたぶんそこまで考えてくれていたんでしょう。2年11ヵ月の時に、もう限界です。辞めさせてください。何度目かの直訴の時に上司はこう言ってくれました。あと1ヵ月でつぶれるようなら、いずれにしてもつぶれるさ、と。はやる私の心をなだめてくれたんだと思います」。辞める覚悟は、始める覚悟でもある。ほとんど客も来ないさびれた店に2代目店主が誕生する。

ゼロからのスタート。

「店のことは、何度も手伝っていたので、だいたいはわかっているつもりでいました」。しかし、店主となって店に立つとみえる風景がまるで違った。「サービス品がやたら多くて。5品目はあったんじゃないですか。数時間、飲んで、お会計がいくらだと思います? 300円です。ボトルをキープしてもらっていたからなんですが、水も、氷も、料理だって煮こみなどがサービスですから(笑)。一品だけ頼んでいただいて、〆て300円です」。サービス品については、正確なことはわからない。客の言い分がすべてだった。「息子が店をやっているというのを聞きつけて、昔の常連さんがもどってきてくれました。でも、好意的な人だけじゃない。親父の時は、これがタダだった、これもそうだ、と言われれば無料でサービスするしかたなかったんです」。「ツケで飲む人も多くって、それも、全部払ってくれない(笑)」。ゼロからのスタートはあまりにつらい現実のなかで、始まった。

雌伏の8年。

「まず無料のサービス品を何とかしなくっちゃいけないと奮闘しました。もうウーロン茶までタダですから、儲ける気があるのか、と。でも、有料にすれば、客が来てくれないかもしれない。ジレンマです。それで、一年で一品ずつだけ、有料にしていきました。ツケも徐々にお断りしていきました」。むろん、それだけで好転するわけはない。昔あった大手の会社は、ぜんぶ姿を消し、工員たちであれほど盛況だった店には、近くの住民の姿しかなかった。客の獲得。周りの店に自ら飲みに行き、店の宣伝をした。ゼロからの戦い。それでも、一気に繁盛するわけはない。少しずつ、少しずつ。一人、一人の客を大事にした。結局、店舗をリニューアルするまで、8年かかっている。そこが凄いと思う。まだ若い菊地である。ひょっとすれば、もっと早く勝負に出ることもできたはずだ。だが、はやる気持ちを抑え、地道なあゆみをつづけたことで、いまの菊地があるような気がしてならないからだ。

A級ブレイク。

雌伏の時を経て、菊地がマスコミをにぎわしたのは、2010年12月4日にテレビ東京で放映された「関東近郊 クチコミB級グルメベスト30」で2位に選ばれたことがきっかけだ。2011年には、2011「神奈川フードバトル」で銅賞を受賞している。こうなると客が殺到する。店の拡張が功を奏した。またたく間に、人気店となる。ブレイクはA級だ。屋号は、昔のままの「珍満」。かつて快く思っていなかた名前をいま堂々と引き継いでいる。そして誰よりも「珍満」を愛しているはずだ。2代目店主が、先代の思いを引き継いだ証拠でもある。最後に社名の由来も尋ねてみた。「C&Mフードリンク」。「食」をキーワードに連鎖的に会社を大きくしていきたいという意味を込めているそうだ。2011年12月海老名SAで販売した「やわらかホルモン炒め調理キット」をきっかけに物販にも力を入れていく予定である。この「やわらかホルモン」は、神奈川県大和市で2010年5月9日に開催された「大和B級グルメ王決定戦」で、見事優勝している。今春からはインターネット通販も開始。イベント・催事にも積極的に出店する予定だ。2代目店主の本格的な戦い。それはまだ始まったばかりなのかもしれない。

思い出のアルバム
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