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第282回 株式会社トラジ 代表取締役 金 信彦氏
update 12/04/17
株式会社トラジ
金 信彦氏
株式会社トラジ 代表取締役 金 信彦氏
生年月日 1966年1月17日
プロフィール 足立区、生まれ、深川育ち。小学生の頃からサッカーをはじめ、中学ではキャプテンを務める。大学卒業後、母を手伝うため家業の焼肉店に入店。母のもとで修業し、27歳の時に独立。1995年、恵比寿南に記念すべき「炭火焼肉店トラジ本店」を開業する。創業16年目となる2012年現在、店舗数は44店舗(直営39店舗FC5店舗)に広がり、従業員数は正社員だけで144名にもなっている。
主な業態 「炭火焼肉トラジ」「焼肉トラジ庵」「焼肉トラジ園」「焼肉トラジPARAM」「焼肉トラジILSIM」「厳選和牛焼肉Ginseng(ジンセン)」他
企業HP http://www.ebisu-toraji.com/

サッカー好きな少年は、ボールを追いかけ青年になる。

朝鮮半島から南に下った海の上にポッカリ浮かんだような島がある。大韓民国の済州島である。冬の寒さが厳しい韓国のなかでは気候が温暖で、「韓国のハワイ」と呼ばれているそうだ。今回、ご紹介する株式会社トラジ、代表取締役 金信彦の祖父・祖母は、その島から日本にきた。金が生まれたのは、1966年1月17日。東京都足立区である。5人兄弟の3男で、小さな頃からサッカーが巧い少年だった。
5人の子どもを抱えた金家は、父親がトラックの運転手などをしながら生計を立てていたが、のちに母が焼肉店を開き、家族を養うようになる。この母の店が「トラジ」の源流だ。
「父と母は性格が正反対で、父は職人気質、母は商売人気質です。私が小学生の頃、母は親戚の喫茶店を手伝うようになり、のちに一人で焼肉店を開業します。両親とも、仕事がいそがしかったからでしょうか。子ども達には、うるさいことは一つも言いませんでした。勉強をしろと言われたこともありません。ただ、わんぱくでもいいからスポーツでは負けるな、と言われていた気がします。そうですね。両親どちらに似ているかと言われれば、私は母似だと思います」。
金家は、けっして裕福ではなかった。都営住宅の2DKに兄弟5人と祖母、両親の計8人で暮らしていた。「ただ、子どもの頃はそういうものだと思っていましたから、とくに貧乏だと悲観したことはありませんね。いま思えばひどいもんだった気がしますが(笑)」。
金は民族学校に通っている。中学までは、サッカーがとにかく巧く、キャプテンも務めた。ただ、高校に上がると巧い選手が多くなり、格の違いもみせつけられた。そのなかに特段、巧い先輩がいた。「サッカーが巧いだけではなく、人間性も抜群な人でした」と、金は目を細める。金が、いまも尊敬するその先輩は、のちにJリーガーとなり、スタンドを大いに沸かした。ただ、金が惹かれたのはサッカーの巧さよりも豊かな人間性だった。「私が大学に進学したのも、その先輩に誘われたからなんです」。
高校時代、実力の差を知らされたが、金は、結局、大学までサッカーを続けることになる。

母のもとで修業。「トラジ」1号店オープンまで。

「私は、兄弟のなかでいちばん早く母の手伝いをするのですが、離れたのもいちばん早かったんです。長男は、日本の大学を卒業し、就職します。次兄は、高校を卒業して金融機関に勤めました。私は、大学を卒業して、母の手伝いをはじめました。だから、店に入ったのはいちばん早かったんです。当時、バブルということもあって、店舗数が拡大していきます。最盛期には6店舗ありました。それで、兄2人もいっしょにはたらき始め、現在は、次兄が社長を務めています。兄たちがもどってきた一方で、私は、母とそりが合わなくなっていきます。母は料理も、接客も抜群で文句の付けようもないのですが、スタッフに対する態度があまりに厳し過ぎると私には思えたのです」
「そういう意見をぶつけているうちに、母から『それじゃ、あなたもお店を経営してみなさい』と言われるんです。簡単にいえば、でていきなさいということです(笑)。もちろん、母子ですから、独立する店も母が探してくれました。それがトラジの1号店となる恵比寿のお店です」。いまでこそ恵比寿といえば、人気のエリアだが、金が独立した当時は、焼肉店もトラジを含め3店舗しかなかったそうだ。
2店のうち一方は、超高級店、もう一方はチェーン店だった。「自信がなくはない。仕込みは全部、私が担当していたし、母から料理も、タレの作り方も、丹念に教えてもらっていましたから。ただ、いくら自信があっても、初めてですから期待があれば、不安もある。そういうなかで、オープンの日がやってくるんです」。

閑古鳥が鳴いていた。いまからは想像できないきびしいスタート。

オープンは1995年 12月、恵比寿南の路地裏の2階で、わずか6テーブル、23席の「炭火焼肉店トラジ 本店」が営業を開始する。自信はあったものの、蓋を開ければさっぱり流行らない。損益分岐点まで下回る。
「損益分岐点は200万円です。売上は月に180万円ぐらい。1年ぐらいは、閑古鳥が鳴く毎日でした(笑)」「給料はもちろんとれません。ただ、支払いはできたんで大丈夫だろうと。母の店にいた時は6店舗の仕込み全部を任されていましたから、1店舗になって肉体的にはましになった。そのぐらいの気持ちでいました。ただ、仕事は、真剣にできることを精一杯やろうと思っていました」。
メニューは母の店の半分に絞り込んだ。良いもの、納得のいくものだけをお出しし、価格も抑えた。だが、なかなか客は入らない。では、いつ頃、どのようにしてブレイクしたのだろう。いまや「トラジ」といえば、界隈では知らない人がいない人気店である。
「実をいうと、これといって、理論立ててお話できるものはないんです。ただ、どうでしょう。恵比寿という街とともに、人気化したところはあるんじゃないでしょうか。そういう意味では、恵比寿だから、いまのトラジがあるといえるかもしれません。店を探してくれた、母に感謝です(笑)」。
たしかに、一理あるが、恵比寿が人気エリアになればなるほど競合店が増えるのもまた事実である。実際、いまの恵比寿には相当数の焼肉店があり、ホルモン店まで加えると、簡単には数えきれない。その激戦区で、生き残り、いまなお抜群の人気を誇っているのだから、エリアとの巡り合わせで、たまたま人気店になったわけではないことがわかる。ちなみに、恵比寿のランドマークとなる「恵比寿ガーデンプレイス」は、「トラジ本店」が誕生するより1年ほど早い1994年10月8日にグランドオープンしている。

愚直な生き方で16年。店舗数は44店舗に増えた。144名の仲間もいる。

「そういえば、芸能人も良くいらっしゃった」と金は、当時の様子を語る。ただ、それはいまになって言う話である。芸能人が来たと宣伝する店も多いが、そういう宣伝に一向に興味がなかった。
「だいたい、芸能人をよく知らなかったんです。時々、私のこと知っている? なんて聞かれもしましたが、知りませんって。ホントに知らなかったもんですから」。
この愚直さがいい。金は、母似だというが、父の愚直な、職人気質もまた引き継いだと思えるエピソードである。ともかく、そういう風にして「トラジ」は人気店となる。こののち、1998年 12月には、 恵比寿駒沢通り沿いに2号店の「炭火焼肉トラジ 庵」をオープン。「焼肉トラジ」の評価を確立する。翌年には、法人化し、その後も、オープンを重ねていくのだが、そのあたりは、会社のHPの沿革を参照いただきたい。
2012年3月現在で、店舗数は44店。従業員数は正社員だけで144名になっている。この144名は、奥様と2人でオープンしてから、16年、この間に金に魅了された人たちだ。取材時も感じたことだが、社長である金と社員の間には距離がない。一人ひとりが金の言葉を理解し、金は全員の気持ちを理解している。
最後にその点について、話を伺った。

共有し、やがて、引き継がれる思い。

「社長は、日頃から、『かっこいい焼肉店にしよう!』と言います。合言葉のようなものです。理念は<食文化を通じ、お客様を幸せにする企業>であり、目標は<焼肉、韓国食文化の地位向上>なのですが、時と場合によっては、こうした理念や目標よりもっと誰にでもわかるような合言葉にして、発信することが大事なんだと思います。こういう点でも距離感を感じさせない社長だと思います」と広報の梅松氏。入社6年目の社員である。
「思いの共有、社長が大事にするのは、この一点」ともいう。
「思いの共有」。
言葉にするのは簡単だが、これは意外にむずかしい。
スタッフが経営者と同じ目線に立つことが困難であるのと同様に、経営者がスタッフと同じ視点で物事をとらえることもまた簡単ではないからだ。
立ち位置が違えば、思いはすれ違う。
ところが、トラジではこの「思いの共有」がなされている。社員と金の間にあるはずの、距離のなさがそれを証明しているように思えてならない。スタッフにとって金は、目標であり、尊敬する人だからなのだろう。「私は、いい加減で、大ざっぱなんです」と金は笑う。その笑いのなかに、おおらかさや愛情が伺える。
スタッフの思いに応えるように、人材教育にも注力している。「独立支援」や「開業支援」を積極的に行っているのも、金がスタッフたちの立場で物を考えている証拠だろう。ただし、独立しても追いかけるのは、「焼肉、韓国食文化の地位向上」でなければならない。
「焼肉、韓国食文化の地位向上」。言い方をかえれば、「かっこいい焼肉店にしよう!」。144名が、この「思い」を胸に、自ら口にする。これこそが、トラジの「ちからの源」ではないか。独立支援の話を聞いて、改めて、そんな気がした。
2DKの小さな住まいのなか、祖母と両親、そして5人の兄弟たちとひしめくようにして始まった金のストーリー。それはいま、144名の飲食の戦士たちと共に、目標を追いかけつつ歩む、大きなストーリーに生まれ変わっている。かっこいい、生き様だ。

思い出のアルバム
   

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