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第283回 株式会社ヴィクセス 代表取締役社長 中元孝太氏
update 12/04/24
株式会社ヴィクセス
中元孝太氏
株式会社ヴィクセス 代表取締役社長 中元孝太氏
生年月日 1984年9月22日
プロフィール 東京都狛江市生まれる。三人兄弟の長男。2つ下に弟、7つ下に妹がいる。高校卒業後、専門学校に進学。難関を潜り抜け、20歳で、店舗流通ネット株式会社に就職。居抜き物件など飲食関連の物件仕入れに奔走する。21歳でマネージャーに昇進。仕事で株式会社エー・ピーカンパニーと出会い、転職。店舗開発やエリアマネージャーを務める。24歳で再度、店舗流通ネット株式会社に。1年後の25歳で独立。28歳まで10店舗の出店をめざす。
主な業態 「Ue CONA」他
企業HP http://r.gnavi.co.jp/ga9m001/

3番、エース。

狛江市という東京都のなかで最も小さな市がある。東は世田谷区、北と西は調布市、南は神奈川県川崎市に接している。日本でも、2番目に小さな市だそうだ。「こまえし」と読む。今回、ご登場いただく、株式会社ヴィクセス社長、中元孝太が、この狛江市に生まれたのは1984年9月22日のこと。下に弟、妹が生まれ、3人兄弟の長男となる。
中元が、生まれた1984年は、日本経済がバブルに向かって駆け足で登り始めた時代である。飲食でいえば、ディスコなどが流行り、一時期のファミレスなどから、高級志向のレストランへ世代交代が進んだ頃と言えるだろうか。
中元は小学1年生から野球を始めている。運動神経の良さに加え、練習にも熱心に取り組み、エースで3番をつかみ取った。ところが、小学4年生から1年半、父親の転勤で新潟に引っ越すと2番手ピッチャーに降格してしまう。「野球が盛んなうえに、ハンパじゃない運動神経の奴らばっかりで、レギュラーにはなれたものの2番手ピッチャーが精一杯だった」と悔しがる。小学生の頃の中元は、メガネでスポーツ刈り。「目立ちたがりで、学級委員もやっていた」そうだ。将来の夢は、もちろんプロ野球選手。
ところが、中学になって、元気で明るく、野球熱心だった少年は、髪をのばし、ピアスをし、タバコをふかす少年になる。「いったん公式のクラブチームに入るのですが、坊主頭になるのがイヤで、辞めてしまったんです(笑)」。中学3年生の時にはバンドもやった。引越業者やラーメン店でバイトもした。心を入れ替え、狛江市を離れ、渋谷の祖母の家にバックレタのは、高校2年生のことだった。

タバコもやめた。好青年になる?

高校は学区内で下から2番目。とはいえ、中元は「勉強をすればできるほうだった」と言っている。もちろん、高校に入っても勉強をしたことはなかったので、具体的にそれを証明することはできないのだが。
勉強はしなかったが、学校好きだった。だから、まじめに通った。「勉強もしないんで、まじめとはいえませんが、中学時代にけっこう好き放題していたので、なんとなくもういいやって。高校になってタバコもやめたんです(笑)」。フツウ逆、と言いたくなるが、スパッとやめるあたり中元らしくていい。
高校卒業後は、専門学校に進んだ。「まぁ、お金をだせば合格するような学校です。あくどいとまでは言いませんが、だれも読まないのに、教科書だってバカ高いんです(笑)」。「当時、目指していたのは保育士です。母が、保育士だったこともあるんでしょうが、私も子どもが好きだったので。でも、調べると給料が安いんです。それで、ちょっとな、と思うようになりました。いまなら、事業として考えてみようかとなるんですが、昔は、断念するしかなかったんです」。
それ以外に、特別、なりたいものはなかった。友達に誘われるまま飲みに行った。寿司屋の出前のバイトもした。良くサボって出前の途中で、昼寝を決め込んだこともある。ビジネス検定は、いまだから言えるがカンニングして取得した。格好よくない。それが分かっていても、格好良く、進めない。

就職と、転職。

中元が就カツしていたのは、2003年だろうか。19歳。専門学校なので、大学生と比べ、多少のハンディはある。2000年ITバブルが弾け、経済は右肩下がり。就職には決していい時代ではなかったはずだ。
ともかく、そんな時代の就カツで、中元が「この人は凄い!」と思ったのが、ある説明会で出会った社長である。「髪は茶髪で、アルマーニのスーツをバシと着こなして。格好いいなぁ、と単純に惹かれたんです。それが店舗流通ネットの社長だったんです」「でも、当時の店舗流通ネットは、いまよりも人気で狭き門です。しかも、周りは、ほとんど大学生ですから。ダメもとで受験しました」。それでも1次面接も、2次面接も通過した。残すは3次の社長面接。この面談のやり取りがいい。「坊主になったら採用だ」と社長は言い、「坊主にはならない。でも入社したいです」と応える中元。その受け応えがよかったのか、採用が決まった。「奇跡的です」。中元には、そんな風に思えた。
無事、店舗流通ネットに就職した中元だが、入社2日目から徹夜だったという。「2つの課題を与えられたんです。一つはこれからどう生きていくのか、という『ライフプラン』の作成です。もう一つは、事業計画書の作成。ライフプランでは、何歳になったらどれだけの年収で、彼女はどんな人で。それを説明するために雑誌からアイドルを切り抜いて、貼ったりしていました(笑)」。店舗流通ネットの教育の一環。「ライフプラン」の作成は、おもしろい教育制度という気がする。
さて、教育期間が終了すると、中元は、物件を仕入れる部署に配属された。アポイントも取った、不動産会社の間を走り回った。地力をつけていったのは、間違いなくこの頃だろう。中元は、「人と仲良くなる、お客さんの空気を読むことに心がけて営業活動した」と語っている。周りが大卒ばかりで、中元は最少年だったが、スグに頭角を現し、21歳でマネージャーに昇格する。年収は700万円程度。21歳だから驚かされる。「とにかく、ノーと言わない営業マンをめざしました。それが、たくさんのお客様にかわいがっていただけた理由かもしれません」。そんななかに、エー・ピーカンパニーがいた。「就職して3年目の冬です。営業も4年目になって、もっとこういう風にしたいと思うようになっていました。ただ、なかなか思い通りにならないのは、サラリーマンの常ですよね。少し悶々としている時に、社長に、誘っていただいたんです」。

再度、店舗流通ネットへ。そして独立。

人との出会いが人を育てる。中元の過去をふりかえっていると、改めてそんな気がする。米山氏の下で、店舗開発とエリアマネージャーを経験。1年後、再度、店舗流通ネットに転職。短い期間だったが、エー・ピーカンパニーでは、資金の流れ、販促、メニューなど飲食店の仕組みを知ることができた。独立の際には、何より、この時の経験が役立った。
再度、店舗流通ネットにもどった中元は新部署をつくるなど奔走する。いままで一方向からしかみえていなかった飲食の事業を縦横斜めからみることができるようになっていたはずだ。「25歳で独立。これは決めていたんです。予定通り25歳になって独立を果たします。独立に際してはエムグラントフードサービスの井戸さんにも相談に乗っていただき、エムグラントフードサービスが経営しているCONAのライセンスとして、出店させていただきました。店名は『Ue CONA』、井戸さんの命名です」。
中元は、店長として現場を経験したことがない。それでも「間違いなくいける」と思ったらしい。何十、何百の経営者、また数え切れないほどの店舗をみてきた「目」が、未来を見通したのかも知れない。「立地は決して良くなかったんですが、投資額はこれぐらいだから、赤字にはならない。逆に大化けするかも知れない、と思っていました」。オープンの日が近づいてくる。オープン日には忙しいはずの井戸実氏も、やってきてくれた。カジュアルイタリアンバル『Ue CONA』の誕生である。予想通りオープン日から好調なスタートダッシュを切り、すでに4店舗(2012年2月現在)まで広がっている。ピザ釜で焼く本格ピザが500円と、極めてリーズナブル。口コミサイトを観ても、評価はすこぶる高い。

次の目標。

「飲食だけで勝負するつもりはないんです。東京だけというのも、競争相手が多いんで。それより私は地方に興味を持っています。当面は、いまの業態で10店舗まで拡大。その後のシナリオはいま検討中なんです」「一つは『故郷に錦を』、そんな計画を進めています。具体的には、沖縄出身のスタッフがいるんですが、向こうで店を出したいらしいんです。じゃぁ、ウチがまず直営で出して、彼を店長にして3ヵ月程度で軌道に乗れば、正式に店舗運営を委託して、店主になってもらおうという計画です。こういう店舗を増やすことで、スタッフたちの独立をサポートすることもできると思っています」。
「その一方で、私は新しいことが好きなので、飲食以外にもチャレンジしていきたいと。美容なんかにいま少し興味を持っています。スタッフたちに語っているのは、『つねに前を向け』です。前へ、前へ。彼、彼女たちが、そういう風に前に向かっていけるように、また向かいたくなるように、たのしい環境や希望をつくっていかねばとも思っています。私が、米山さんや、井戸さんに憧れたように、そういう若い人たちの目標になれるようになっていきたいとも思っています」。
ひょっとすれば、中元にとって、それが、いまのいちばん大きな目標かもしれない。

3月8日、5店舗目オープン。

「甲州鶏を使った新しい地鶏店をオープンさせました。この鶏は、たまたま私がネットで知った、まだ首都圏にはでてきていないブランドの鶏なんです。この甲州鶏を向こうの人たち、つまり生産者さんたちと組んで、大きなブランドに育てていきたいと思っています」。
「もちろん、『Ue CONA』のテイストは守っていきますが、新たなことにもチャレンジしていきたい。まだ私たちの年代なら、どんどんチャレンジしていいと思っているんです。そんな挑戦のなかで、ひとまず30歳まで、次の核をつくっていければと思っています」。
最後に、人材についても話を伺った。「思いがあって、やる気、根性があれば、大歓迎です」とのこと。このシンプルさがいい。
たしかに、店舗流通ネットの社長に出会うまでの、中元自身、明確な目標も、経験もなかった。ただし、社長をみて、中元のなかにある何かが反応した。「思いがあって、やる気、根性があればいい」。思いと、やる気と根性をぶつけてくれる若い人材を中元は、待っている。経験は一切、不問。

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