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第285回 株式会社fun function 代表取締役社長 合掌智宏氏
update 12/05/01
株式会社fun function
合掌智宏氏
株式会社fun function 代表取締役社長 合掌智宏氏
生年月日 1977年6月1日
プロフィール 福井県福井市出身。中学ではテニス、高校ではバスケットボールに没頭するスポーツ少年。高校卒業後は、電気系の専門学校に進学。いったん、父親の跡を継ごうと、父の会社に入社したが、意見が合わずスピンアウトし、飲食店を経営する会社に転職。26歳の時に店長として東京に進出し、1年間で3店舗の出店に立ち上げから参加する。27歳で独立。「ホルモン酒場 合掌」を2店舗、立て続けに出店したのち、大ヒット店「ご当地酒場 北海道八雲町」を出店する。
主な業態 「ホルモン酒場 合掌」「ご当地酒場 北海道八雲町」
企業HP http://r.gnavi.co.jp/b634003/

食材の宝庫。

日本海にも、太平洋にも接している町がある。北海道、函館からしばらく北上すると、その町に入る。北海道八雲町(やくもちょう)。町と言っても面積は広く、それが日本で唯一、町として2つの海に接している理由でもある。
今回、ご登場いただく株式会社 fun functionの合掌智宏社長がこの地を訪れたのは2009年。「八雲町に転勤した友人が八雲町の食材を送ってくれたんです。その食材に感動して、スグに町役場に電話をかけ、アポイントを取ったんです」。
八雲町は、食材の宝庫。漁業だけではなく、酪農も盛んな町だ。「八雲町」役場から了解を得た合掌は、2009年8月、三越前に同社3店舗目となる「ご当地酒場 北海道八雲町」をオープン。この店が一気にブレイクする。
ちなみに「八雲町」のHP内、観光情報ブログでは、度々、「ご当地酒場 北海道八雲町」が取り上げられている。また、2012年3月9日のブログでは、合掌と共にスタッフ3名が町を訪れた際に開催された「懇親会」と「食材試食会」の様子が掲載されている。興味のあるかたは覗かれてみてはどうだろう。

社長になろう。

合掌の出身は、福井県福井市。父は電気の内装工事の会社を営み、母は北陸電力で働いていた。3人兄弟の次男で、次男の合掌が生まれたのは、1977年のことである。中学では、テニスに没頭。高校ではバスケットボールに挑戦する。「小・中の時は、将来はスポーツで食べていこうと思っていたんですが、高校生になると何をさせても巧い奴がいっぱいいて、計画はとん挫します(笑)。じゃあ何をするかと考えたとき、小さな頃からお金持ちになりたいと思っていたことを思い出して、金持ちイコール社長ですから、そうだ、父の跡を継ごうと、京都の電気系の専門学校に進むんです。いま思えば、単純な発想です」。

父の跡を継ぐという計画。

合掌と飲食との出会いは、専門学校時代にさかのぼる。
「生活費をねん出するために、個人経営のお好み焼き屋さんでバイトを始めたんです。接客がたのしいと知ったのもこの時。ただ、当時はまだ飲食で起業しようとはいっさい思っていませんでした。<父の跡を継ぐ→社長になる→会社を大きくして→金持ちになる>。父の会社は、自営業者のような規模でしたが、とにかく跡を継げば、社長にはなれますから、後は規模を大きくすれば、金持ちになれると。それが私の計画でした」。むろん、父を助け、共に家業を発展させる、そんな思いが強かったはずだ。
専門学校卒業後は、いったん京都にある電気関係の設計事務所へ就職する。入社して2年経った頃、父親が病気で倒れた。幸い、病状はスグに回復に向かい、これをきっかけに、合掌は父の下で仕事をするようになる。
「当時、飲食店の電気工事の仕事が多かったんです。この仕事で、のちにお世話になる社長さんと出会いました。父の仕事を手伝い始め3〜4年経った頃、私は、父と衝突し、退職してしまいます。そして、知り合った社長さんのお世話になることにしたんです。その社長は、福井県で数店舗を出店されていたんですが、東京に進出したいと話されていました。私も、東京で勝負してみたいという思いがあったので、合致したんです」。
父の会社を辞め、「飲食」という新たな世界へ、次なる合掌の挑戦が始まった。

独立資金200万円。どうする?

「私が26歳の時です。東京に進出が決まり、私は店長として東京に向かいました。26、27の時は、この会社で、3店舗の立ち上げにかかわり、27歳で、退職。独立、開業に舵を切りました」。
とはいえ、独立資金は200万円。「国民生活金融公庫も考えたのですが、話を聞くと融資の額はたった200万円。手持ちと合わせても400万円です。そんな時、たまたま店舗流通ネットのことを知って、相談に伺ったのです。その時、相談に乗ってくださった営業担当の方が、エムグラントフードサービスの井戸さんだったんです」。
店舗流通ネットのことは、「飲食の戦士」でも度々取り上げているので、詳細は割愛するが、いわゆる委託店舗を運営するというシステムを取ることで、低投資の独立開業が可能なしくみを提供している。
一方、エムグラントフードサービスの井戸実氏は、いまや知らない人はいないだろう。合掌は、この店舗流通ネットのしくみを利用して開業すると心に決めた。井戸氏という存在が、店舗流通ネットのしくみに賭けてみようと思った引き金になったのはいうまでもない。
ただ、出店するにも余裕がない。物件が決まるまでの3ヵ月、多少なりとも運転資金にと運送会社でバイトもした。そして、晴れて、開業。「ホルモン酒場 合掌 東京総本店」がオープンする。自己資金の200万円は、加盟金でなくなっている。赤字になれば即刻、退散。初月が、ひとつの勝負だった。

大ヒット「ご当地酒場 北海道八雲町」リリース。

「赤字を出したら潰れるしかない状況でした。もう、やるしかない! 幸いにも、初月から黒字スタート。胸をなで下ろしました。しかし、大幅な利益がでたわけではありません。2店舗目も、店舗流通ネットから出店しました」。
ただ、いずれも人気店になった。ただ、合掌がいうように大幅な利益を出す超繁盛店ではない。合掌が一気にスターダムにのし上がったのは、3店舗目。正確にいえば、新たに開発した「ご当地酒場 北海道八雲町」のオープンがきっかけである。「ご当地酒場 北海道八雲町」はすでに書いたが、「北海道八雲町」とのコラボレーションにより、誕生している。店内にも、メニューにもズラリと八雲町産がならぶ。「魚介類もそうだし、畜産品も、野菜も、ぜんぶ揃っています。八雲町だけで、すべてが賄えるんです」。オープン当初より人気化し、売上はスグに1000万円を超えた。
この店の出店で、マスコミにも多数取り上げられ、一気に注目を浴びる。利益が出るようになり、社長=金持ちという方程式も、自らのモノにできた気がした。
「ですが、どうなんでしょう。お店にどんどんお客様が入ってくださって。もう、興奮しますよね。私にすれば、渾身のガッツポーズです。でも、それって、売上が上がり、利益が上がったという嬉しさとは少し違うんです。八雲町の人も喜んでくださって。金儲けより、よっぽど楽しいことがあるじゃないか。贅沢にもそんな風に思いました(笑)」。

ご当地酒場というコンセプト。

人と人、結局はこの心のつながりが人を動かすのではないかと思う。合掌の心意気に賭けた八雲町の人たち。その思いをカタチにした合掌の思いとチカラ。その両者が、数百キロも離れた距離でつながったのである。「今後も、『ご当地酒場』というコンセプトは大事にしていきたい」と、合掌はいう。八雲町以外にも、相談されている町や市があるそうだ。
「4年後には20店舗にしたい」というのが合掌のプラン。「100年継続できるお店を作りたい」とも言っている。「ご当地酒場」のキーワードはホンモノか、どうか。それが、大事だとのこと。紆余曲折があり、辿り着いた一つのキーワード。「ホンモノか、どうか」。その意味で、合掌が試されるのは、いまからといえるかもしれない。ただし、彼の過去を辿ってきた私たちにとって、結果はもう見えている気がする。「慎重」かつ「大胆」。成功するために大事な二文字を、合掌は、いずれも持っている。

思い出のアルバム
 

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