エフ・エス・イー株式会社 代表取締役社長 スニル・クルカルニ氏 | |
生年月日 | 1971年12月19日 |
プロフィール | インド・マハラシュトラ州プネー市に生まれる。インドの名門プネー大学を卒業し、ITエンジニアとして現地のアメリカ企業に就職する。本田技研工業に派遣され、解析ツールなどを開発。30歳で起業し、フィデル・テクノロジーズ(株)、フィデル・コンサルティング(株)を次々、設立。敏腕、事業家の片鱗をみせる。2009年、インド料理店に資本投下し、飲食業もスタートさせる。現在、IT・コンサル・レストランの3事業を柱に、日本とインドの橋渡し的な活動を行っている。レストラン事業では「スワガット・インド・レストラン」「スワガット インディアンタパスバー」の2店舗を運営している。 |
主な業態 | 「スワガット・インド・レストラン」「スワガット インディアンタパスバー」 |
企業HP | http://www.swagat-jp.com/ |
プネー市は、インド・デカン高原に位置するマハラシュトラ州で2番目に大きな都市。「東のオックスフォード」として知られる学術都市でもある。スニル・クルカルニが、プネー市に生まれたのは1971年。日本では、万国博覧会が開催された翌年である。当時のインドの様子はどうだったのだろう。
「いまのインドとは、ぜんぜん違いますね。まだまだ貧しい国でした。父は、政府関係の仕事をしていましたが、それでも裕福ではない。ミドルクラスのなかの下のほうです」。
「インド人は子沢山というイメージがあるかもしれませんが、いまでは2人ぐらいしか産みませんよ。子どもの教育に注力しているからです。一生けんめい勉強して、海外で成功する。私たちインド人にとっては大事なことなんです」。
スニル・クルカルニは本人が言う通り、けっして裕福な家庭の出ではない。だが、いくつものハードルを越え、名門のプネー大学に進んでいる。機械工学部、CADやデータベースなどのプロジェクトを選択し、コンピューター関連の研究に従事。卒業後はプネー市にあった、アメリカ籍の研究開発センターに就職した。
エンジニアの勉強を続ける一方で語学習得にも取り組んだ。「外国語を学ぶ夜間コースがありました。1年間100時間コース。そのフィーが日本円にすればたった年間700円です(笑)」。
スニル・クルカルニは、日本語を選択。当時、日本に対するイメージは、ソニーなどを筆頭に優秀な企業が多くあり、優れた国だったということだ。メイドインジャパンを持っているだけで、「凄いね」と言われたという。
スニル・クルカルニが、日本語を選択したのは、そういう背景もあってのこと。この選択がやがて、日本に渡るきっかけとなる。
「エンジニアになるだけではだめなんです。優秀なエンジニアはたくさんいますからね。私は日本語ができたから、採用されました。そして、入社して日本に派遣されたんです」。
「最初は、ホンダさんの宇都宮で、2年間、解析ツールなどをつくりました。寒さに閉口しました。私は雪などみたことがないのでビックリしましたね。インドは40度ぐらいで、雪は降りませんから(笑)」。
「食事にも困りました。私は菜食主義者ですから、食堂のメニューには食べられるものがないんです。だから、2年間、ランチはポテトチップスとコーラです」。
「いまですか? いまも私はベジタリアンです。でも、子どもたちは違います。インドも私が子どもだった頃からは、ずいぶんかわりました。私のように海外にでる人も多くなり、文化も風習も少しずつかわってきたんだと思います。マクドナルドや牛タンが好き、というインド人もいるぐらいですから」。
「ただ、その一方で、私の店でもそうですが、いまも宗教的な理由で『特別なメニューをつくってくれないか』とおっしゃるお客さまも少なくないんです」。
ちなみにインドの宗教を調べてみた。
ヒンドゥー教が全体の78%を占め、イスラム教が15%程度を占めているそうだ。ほかにも、バラモン教や仏教などさまざまな宗教があり、生活に密接にかかわっているとのこと。とくに食生活において、宗教と生活の関係は顕著に表れ、ヒンドゥー教徒は牛肉を食べず、イスラム教徒は豚肉を食べない。また、スニル・クルカルニのように、ベジタリアンも多く、一説によればインド人の6割程度がベジタリアンだと言われているそうだ。肉は、鶏肉やマトン。
南北で気候も分かれているからだろう。北インドは、小麦、南インドは米の栽培がさかんだそうだ。
本田技研工業に派遣されていたスニル・クルカルニは、のちに転職し、約1年半、伊藤忠商事の子会社であるCTCで勤務し、業務関連のシステム開発に従事する。時はITバブルに向かっている。スニル・クルカルニも2000年には渋谷ビットバレーのベンチャー企業に転職。翌年には、起業し「フィデル・テクノロジーズ株式会社」を設立する。
インド人のエンジニアを活用することで、従来通り開発コストを抑えられるうえ、社長のスニル・クルカルニが日本国内に在住しているため、意思決定がスムーズに行われる。そのような点が、評価され業績を拡大する。
起業のきっかけを伺ってみた。
「インド人のサミュエル・バティアがマイクロソフトにHotmailを売って大金を手にするんです。そういうニュースに刺激されたこともあるし、インド人の平均寿命は62〜63歳と言われているんです。私は30歳になっていましたから、もう半分しか残っていません。だからやるなら今だと。『起業する』と言ったら奥さんはビックリしていましたが、『万が一、失敗しても30歳だからやり直せる』と説得したんです」。
スニル・クルカルニは、小さなオフィスを借り、おなじインド人のエンジニア仲間と2人で新たなスタートを切った。
IT関連の会社を軌道に乗せたスニル・クルカルニは、その一方で、フィデル・コンサルティング株式会社を設立する。インドと日本を結ぶコンサルティング事業を手がけ、主に視察ツアーや展示会のサポート、マーケティングや営業代行などを行う会社である。インドがちょうど市場としても注目されつつある時で、こちらの事業も順調に滑り出した。
ITの開発に、コンサルティング事業。スニル・クルカルニはエンジニアでありながら、ビジネスマンとしても、注目されるようになる。事業意欲は旺盛だ。ただ、それら2つの事業と、飲食の接点はない。では、どのようにして飲食事業をスタートさせたのだろう。
「2009年のことです。知り合った友人がレストランを経営していたんです。でも、リーマンショックもあり、経営がうまくいっていなかった。インド料理店があぶないと思って、私が出資し買い取りました。でも、日本のサービス業はきびしいですね。それが良くわかりました。もともとは人形町・高田馬場・溜池山王・江古田に4店舗あったんですが、結局、溜池山王以外の店は閉めることになりました」。
ITやコンサル事業はうまく起動したが、経験もないレストラン事業は、さすがのスニル・クルカルニでも手を焼いたようだ。だが、それでは終わらない。あきらめない。
「飲食の戦士」に国境はないのだろう。
「2010年11月、六本木に『スワガット インディアンタパスバー』をオープンさせました。スワガットは、『ウェルカム!』 タパスは『少量』、バーは、『インドレストランにはお酒というイメージがない』ので(笑)」。
店名に戦略が現われている。練り込まれていると言ってもいい。
「スワガット インディアンタパスバー」のメニューをみると、ナンがない。「そうなんです。ナンは置いていないんです。なので、ガッカリされるお客さまもいらっしゃいます(笑)。でも、代わりにチャパティという全粒粉でつくったインドパンをご用意しています。ナンは、重い。チャパティは、もう少し軽くて胃にもやさしいです」。
ほかにも、インド最大都市ムンバイで人気のボンベイ料理を中心に、日本人には、まだ馴染のない料理がならんでいる。最近、レストランやワインバーなどでみかけるようになったインドワインも豊富だ。写真をみれば、グルメでなくとも、いずれも食指が動く料理ばかり。
「レモンやマンゴの、日本でいうお漬物もあるんです。インドのスナックも各種あって、少量ずつでも、多くのインド料理に接してもらえればと思っています。大型のレストラン形式ではなく、ファストフード店のような展開も検討しています」とのこと。
一方では、「日本の、たとえば『おにぎり』などはインド人にも抵抗なく受け入れられるのではないかと日・印両にらみの展開も検討している」そうだ。
この旺盛な事業意欲が、スニル・クルカルニの持ち味かもしれない。
レストラン事業では、ユニークな取り組みも行っているので、そちらもご紹介しておこう。「社員食堂化プロジェクト」がその名称。スニル・クルカルニもそうだったように、調べてみると日本に在住するインド人の多くは、食生活でストレスを抱えているそうだ。
スニル・クルカルニのようにベジタリアンなら尚更だろう。
それは、当時より多くのインド人が日本で勤務するようになったいまもかわらないらしい。そのストレス解消に一役買うのが、この「社員食堂化プロジェクト」である。
主にIT関連の会社に勤めるインド人を対象にした「契約レストラン」という位置づけ。
「名刺や社員証のご提示だけで、自動的に10%ディスカウントします。インド人を雇用する企業も多いですから、彼、彼女らのためにぜひ、活用いただきたいと思っています」とのこと。日本国内でも、インド、日本の両にらみ作戦である。
もっとも、スニル・クルカルニが実現したいことは、事業の拡大だけではない。インドとニッポン、この両者を結ぶこと。だからこそ、本格的なインド料理にこだわる。
「インド料理といえば、ナンやカレーだけだと思っている日本人はたくさんいますが、そうではない(笑)。私は完全なベジタリアンです。だから、うちの店には、お肉を使わないメニューも豊富です。そのように、なかなかほかでは味わえないインド料理を召し上がっていただき、インドのことを少しでも好きになってもらえれば嬉しいですね」。
日本にいて、日本に迎合するだけではない。インド人としての誇りを何より大事にする、そんなスニル・クルカルニだからこそ、ホンモノの橋渡しが可能なのだろう。
「食の民間大使」。そんな風な名称も悪くない気がする。
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